十一話
「まあまあまあ! そんなひどい身なりで!! 苦労なさったんですねぇ……ここはイニシエルの寺院です。あなた方のような人が、安心して身なりを整えられる場所ですよ! なにせ身なりが悪いと、話を聞いてくれる人が減り、機会が失われますからね!」
イニシエルの寺院は、町の中心部からやや南にある、それなりに立派な場所だ。
そこについたとたん、寺院の入り口を掃除していた尼僧さんが駆け寄ってきて、見るからにぼろぼろな私達を、直ぐ公共の風呂がある場所に案内してくれた。
「服はどうします? こちらで適当なものを用意しましょか?」
心底気遣われているから、私は何だかほっとして、こっくりと頷いた。
「お願いします……なにせ金品関係はごっそり奪われてしまって……」
「まあ、でしたら、少々くたびれていますけれど、お金をいただかない衣装を用意しますね」
尼僧さんはそう言って、アフ・アリスを見て顔を赤くしつつ、去っていく。
彼女を見送ってから、私達は男女別れている風呂に入り、衣類を提供してもらう事になったのだった。
泥まみれよれよれくたっくた、そんな状態から、体を綺麗にすると、途端に人間らしい気持ちになって来る。誰だってそういうところはあるはずだ。
私は誰が見ても普通の女の子に見えるように身を清めて、尼僧さんが用意してくれた、ふた昔前の流行の衣装に身を包み、アフ・アリスを待っていた。
アフ・アリスはのそのそと風呂場から出てきて、それを見た私は呆れた。
「明らかに胸の筋肉がぱっつぱつ」
「服ガ破れないかとても、心配ダ……」
アフ・アリスの着ている衣類は、大きさが合わなかったのだろう。彼の見事な体躯のせいか、胸のあたりは伸びきっているし、結構窮屈そうだった。
もしかして魔王のしもべって、筋肉量の問題で、腰巻一丁だったんだろうかと邪推したくなる物がそこにある。
そして長く、伸ばしっぱなしの放置されていた髪の毛が、うっとうしそうだ。
「髪の毛、切ろうか」
長い髪の毛をかきあげるたびに、人々の、特に若い女性の視線を集めている彼に聞くと、彼は真面目に頷いた。
「これだけ長いカラ、売れるゾ」
「たしかに質のいい髪の毛だこれ……」
私はアフ・アリスの髪の毛を引っ張って、しっかりとしていて艶があって、かもじとして上等間違いなしの質だから、これはそういうところに持って行ったら間違いなく売れると同感した。
風呂場には、一応の事を考えて、はさみとか剃刀はないので、寺院の関係者に声をかけるほかない。風呂場から一本の通路を進んで、通りかかった尼僧さんに、私は声をかけた。
「すみません、連れの髪の毛が伸びすぎていたんで、切りたいんです。はさみと場所を借りられませんか」
「あら、それでしたら、理髪師見習いのジョン君が、今日、無料で切ってますよ」
「へえ……ジョン君はどちらに?」
「寺院の中庭にいますよ。定期的に練習のために、来ているんです」
「ありがとうございます」
いい情報を聞いた、と頷き、アフ・アリスがどっちが中庭だろうという顔であたりを見回しているから、私は寺院のお決まりの構造を知っているから、その手を掴んで歩きだした。
「……素手だと、えらく手の皮が厚いのがわかるね」
掴んだ拍子に気が付いた事を言うと、アフ・アリスがそうか、と静かに答える。
剣を扱う人達は、訓練の結果、手の皮が厚くなるという。実際にヘリオスの手も、手のひらの皮が厚めだった気がする。
魔王のしもべとして長らく、戦い続けていた結果が、アフ・アリスの手のひらに現れているような気がして、それ以上何か言えなくなってしまった。
でも、アフ・アリスは気にならなかったみたいだ。
「ジルダの手は、骨が細い」
「いや……アフ・アリスと比べたら、ほとんどの人の骨は細いんじゃないかな……?」
私は華奢なお嬢さんじゃない自覚がある。結構骨も太いし、折れそうな美しくか弱い女性とは全く持って系統が違う自信がある。
そのため、アフ・アリスの言っている事はなんだか、聞きなれない評価過ぎて、受け止められる物じゃなかった。
そりゃあ、あなたと比べたらほとんどの女性の骨は細いだろうよ……といった感じである。
「……にしても、アフ・アリスの見た目は破壊力抜群だと思う」
「……そうダろうか」
「整えたら、誰もが振り返る見た目のいい男になりそう」
「……道理で、昔と違って、皆ガ見るわけか」
覆面腰巻野郎の時は、皆見ないふりをしそうだものな、魔性の間でもそんな対応だったんだろうな、と思いつつ、中庭を目指すと、ジョン君っぽい男の人が、立て看板を立てて、
「整髪の練習してます、髪を切りたい人募集!!」
という立札を振り回していた。振り回したら当たるんじゃないかな、と思いつつ、私達は近寄った。
「すみません、髪の毛を無料で切ってくれるって聞いたんですけど」
振り回していた男の人に声をかけると、ジョン君はぱっと、そばかすだらけの顔を明るくさせて、頷いた。
「そうです!! 親方に、今日は八人の髪の毛を整えて来いって言われて! まだ七人で、最後の一人を探してたんです!! お嬢さんですかそれとも……」
ジョン君はそう言いながら、私の後ろの男を見て、目を丸くした後、口をあんぐりと開き、まじまじと眺めて、問いかけてきた。
「そちらの、すごい髪の毛が伸びている男性でしょうか……」
「こっちの男性の方をお願いします。あ、髪の毛買い取ってくれるともっとありがたいんですけど」
「喜んで!! こっちに座ってください!!」
ジョン君はそう言いながら、いそいそとアフ・アリスを椅子に座らせて、布で覆って、髪の毛を触った。
「こりゃあすごい質のいい髪の毛だ!! 親方が、こういう髪の毛で鬘を作りたいって言ってたんですよ!! お兄さん、どれくらい切ります?」
「……」
どれくらい、と聞かれても、分からないのだろう。アフ・アリスは戸惑っている。
彼がこういう理髪師に関わった事がないと、ジョン君もすぐに気付いたみたいだった。
そのため、質問の仕方を変えた。
「どれくらい短くしますか? 三つの中から選んでください」
言いつつ、三つの絵姿が書かれている板を出す。アフ・アリスはそれで理解したらしく、一番短くした物を指さした。
「コれでいい」
「わかりました! ではこれに添って、お兄さんが一番格好良くなるように整えますね!!」
ジョン君はそう言って、鼻歌を歌いながら、丁寧に髪の毛を切り始めた。
結果、物凄い量の髪の毛が切られていき、最後それをかき集めて、ジョン君はほくほく顔だった。
「親方が喜びそうです! お兄さん、出来はどうです? なかなかでしょう?」
「……短くナッタのはわかるが、出来はわからなイ。……すまない、詳しクナいんだ」
髪の毛を、短くさっぱりと整えられたアフ・アリスは、顔の造作があらわになったからか、光り輝きそうな位の色男になっていた。その辺の舞台俳優とかが、おもちゃみたいに見えるくらいにすごい。
髪の毛を切っても切らなくても、彼の美貌は隠せなかったらしい。そんな事実に気付くよううすもなく、アフ・アリスは頭を下げる。
「ありがトウ」
「いいんですよ!! あ、これ、髪の毛のお代金!! 今年一番の掘り出し物でしたね!!」
髪の毛が掘り出し物、という感覚が分からなかったんだろう。アフ・アリスは変な顔をしたけれど、ジョン君が喜んでいるから、気にしない事にした様子だった。
「ジルダ、行こウ。ウロボロスの宝箱ヲ、見たい」
「わかった。じゃあありがとうございました!」
「またのお越しをお待ちしております!!」
ジョン君がぶんぶんと手を振って、八人のお客さんを相手にした後だから、片付けを始めている。
それを後ろに、私とアフ・アリスは、ウロボロスの宝箱がある広場に、歩いて行った。
その間の道を進んでいくと、やっぱり、イニシエルには魔性の侵入がないみたいで、聖水で成長する聖樹の力が半端なものじゃないんだな、と思ってしまう。
でも、聖水で成長する魔王の指先と、違いはどうなんだろう……確かに、聖樹はきらきらした光を放つ緑の葉っぱの、どっしりした樹だけれど。
私が知らない物がいっぱいありそうだ。
「聖樹は本当に、魔性を遠ざけていると思う?」
歩きつつ、隣の男に問いかけると、元魔王のしもべは迷いなく答えた。
「聖樹ハ、葉から聖水の聖性を放出する。魔性は、これが大嫌いダ」
「聖性……?」
「聖水ノ聖なる力ダ」
葉っぱから聖なる力が放出されているのか、なるほど。
それは魔性が嫌いそうな感じがする。
私はそれ以上言う事もなく、前にウロボロスの宝箱を見た場所に進んでいき、やっぱりそこは大行列になっていた。
ウロボロスの宝箱に触って、開ける挑戦をしたい人は多いのだ。
それだけ、ウロボロスの宝箱には、特別なお宝が入っていると、皆思っているから。
実際に、思いっきり力業で壊された宝箱の中には、一生かかってもお目にかかれないくらいの貴重な宝物が入っていたという記録もある位だというし。
お宝を、宝箱の所有者と半分こしたい人は、多いだろう。
そんな人たちに交じって、行列に並んで、しばらく待っていると、私達の番になった。
そこで私は、ウロボロスの宝箱を、まじまじと近くで見る事になったのだ。実はこんな近くで見るのは初めてである。
その宝箱は、精緻な鉄の飾りがついていて、防腐剤なのか、赤色で塗られていた。
そっと触れてみると、中に入っている物は軽いんだろうか、そんな動き方をする。
「中身は何だろう……」
「服」
「……え?」
私の独り言に、隣の男が当たり前の事を言うな、という声で言い切った。
あんまりにも当たり前の事を言う声だったから、驚いてそっちを見ると、アフ・アリスは鍵の金具に触った後に、宝箱を見張っている人に問いかけた。
「動かシても問題は?」
「ああ、ひっくり返しても大丈夫だ。……あんた、開ける挑戦をする気か?」
「これクラいは開けラれる」
「……はい?」
見張っている人も意味が分からない、という顔をしている。
そんな中、アフ・アリスは一抱えもあるその宝箱を動かして、底をあらわにした。
それでわかったのだけれど、宝箱の底には、円と数字が書かれた板がはまっていた。
アフ・アリスは慣れた調子で、宝箱に耳を当てて、その円と数字の板をくるくると回し始める。
「……おい、あの男何してんだ?」
「あんな事してあくのかよ」
「誰かあんな開け方知ってるか?」
他の、私達の後ろに並んでいる人たちが、口々に言う。
そんなのを気にする様子もなく、数回板を回したアフ・アリスが、箱を元に戻して、金具の所をちょっと指でいじった。
ぱちん、という音がして、何かが開くようなそんな音も続いて……アフ・アリスは当たり前に開くものを開けた顔で、誰も開けられなかったウロボロスの宝箱の、蓋を呆気なく開けてしまったのだった。
余りにも簡単そうに開けるものだから、人々は早業に絶句し、自分達が見ている物が信じられないという目をしている。
そんな中、アフ・アリスは私を引っ張り寄せて、ちょっと笑った。
「ほら、開イた」
「……開くものなんだ……」
なんか、もともとアフ・アリスは普通じゃないって分かっていたけれど、ウロボロスの宝箱をあっさり開けるものだから、なんかこう、……すごい……としか言いようがないような……
「だ、旦那様を呼んで来い!! 今すぐにだ!!」
宝箱を見張っていた人が、我に返って仲間に叫ぶ。仲間もはっと我に返り火が付いた勢いで走っていく。
そして、宝箱を見張っていた人が、私達にこう言った。
「旦那様が来るまで、取り分は待ってもらえないか」
「あ、はい」




