六話
「僕の婚約者はジーナであって、リリーシャ姫ではない。元々リリーシャ姫との結婚は、王からの褒美とされていた。だが、婚約者が生きているのに、あなたと結婚する不誠実なクズにはなれない」
「そんなっ」
思ってもみなかったという反応をするリリーシャ姫。確かに、魔王のしもべの処刑を見届けたのち、超特急で王都に戻り、そのまま婚礼の儀式が行われるはずだったのだから、相当な衝撃であるのは間違いない。
「それに、ジーナは、ジーナと僕は、聖剣の鞘と勇者、切っても切れない、つながりがある。だから、わかる。いいや、分かってしまった。彼女が死んだのならば、僕ははっきりとそうだとわかるという事を。そして僕が死んだと思えない以上、彼女は生きているんだ」
「ば、馬鹿な事を言わないでちょうだい、ヘリオス!!」
「そうだよ!! リリーシャ姫との結婚がなくなったら、私達も側室になれないでしょう!!」
「……もともと、僕はたった一人の人を、一番大事にしたいんだ。君たち全員を平等に愛する事なんてできない」
そして。ヘリオスは、彼女たちが呆然とする事を言い放ったのである。
「僕が世界で一番大事にしたい相手は、たった一人。僕の外付けの良心であり、僕の半身ともいえる、ジーナだけなんだ」
その部屋は沈黙に満ちた。三人の美女たちは想定外の事に絶句し、ヘリオスはもう譲らないと決めている。
ヘリオスはさらに続けた。
「そうとわかれば、国王陛下に、至急手紙を送らなければ。無論直接の謝罪もするし、君たちへの償いもする。だがジーナが生きている以上、君たちとそう言う仲にはなれない」
それを聞き、三人の美女たちは、各々涙を流し始めた。
美女の涙は美しいのに、ヘリオスは、どうしても、どうしたってほだされない。
「もともと国王陛下は、リリーシャ姫との婚儀にたいして、思う事があったご様子だったし、僕の我儘を聞いてくださるだろう」
「いやです!! 私はあなたの妻になりたいです!」
リリーシャ姫が泣きながら言う。だがヘリオスは優しい瞳で、でも譲らない。
「ジーナがいるのに、あなたは僕の妻にはなれない。だって」
彼は一呼吸してから、こう告げた。
「君たちが、慕っている勇者ヘリオスを作ってくれたのは、ジーナなんだから」
「勇者様!! お体は大丈夫でしょうか?」
ヘリオスが特別病室を後にして、通路を歩いていると、彼を見かけた尼僧が話しかけてきた。
「ありがとう、もうすっかり良くなったよ」
「それはよかった! ……ですが、私達には恐ろしいと思う事があるのです」
「恐ろしいと思う事?」
「はい! 実は、魔王のしもべが、あの魔性の軍隊を呼んだのだろうと皆噂しているのですが……魔王のしもべは、まだ生きているのです!! ああ、また魔性の軍隊が来たらどうしましょう!!」
身を震わせて怯える尼僧。突如襲ってくる魔性の軍隊など、恐ろしい以外の何物でもないだろう。
事実であり真実だ。魔性の軍団はそれほど恐ろしい。
一般的な人間をはるかにしのぐものを持つ魔性という物は、まさに、人間の勇者たちでなければ倒せないと言われる理由が明らかなのだ。
「それにしても、……まさかジルダさんが、ジルダさんが」
尼僧はそう言って悲しげな顔になった。ジルダとは聞き覚えのない名前であるけれども、大切なジーナの名前に似ている。
そのためヘリオスは少し親近感を抱き、問いかけた。
「そのジルダという人がどうしたのですか?」
「ジルダさんは、実は魔性に魂を食べられてしまって、体を乗っ取られた女性だったのです……魔王のしもべと手を組み、このダズエルに、魔性の軍団を呼び入れる準備をしていたのだと、リリーシャ聖姫様たちが教えてくださいました。でも、でも……」
尼僧はそう言って考え込む様子になる。何かあるらしい、と嫌でも感じ取れる挙動だ。
そのためヘリオスは問いかけた。
「何か考えるところがおありの様ですね」
「……ええ、まあ。ジルダさんは、いつだって仕事にきちんと向き合い、丁寧に仕事をこなし、時に困った人を助け、手伝い、とても魔性がジルダさんを演じていたとは思えない、善良な女性だったのです」
「しかし……魂を食べられて、体を乗っ取られていたと?」
「聖姫様が嘘をおっしゃる理由がわかりませんわ、きっと事実なのでしょう……でも、ジルダさんに助けられた人というのが、いるのです。それに、ジルダさんが、襲って来た魔性の軍団の長らしき牛の魔人から、ヘリオス様、あなたを庇って立っていた、という光景を見た町民もある程度いて……聖姫様や魔導士様、剣聖様たちは、そんなのは形勢が不利になったから、生き延びるためにこざかしい事をしたのだ、と言っておられますが……」
「何かが違うと、尼僧殿は思うのですね」
ヘリオスの言葉に、尼僧は頷いた。
「はい! だって、勇者様、あなたが倒れ伏し、絶体絶命で、それは明らかに魔性たちにとって有利な状況であったはず。その状況で、勇者様を倒そうとするならまだしも、勇者様を庇い、時間稼ぎのように対話をするというのは、あまりにも、合わないのです」
「……その、ジルダという女性は今、どこにいるのでしょう。お話が出来れば、何かリリーシャ姫たちの勘違いもしくは、見間違いという事も」
ヘリオスの言葉に、尼僧は顔を曇らせた。
そして口ごもった後、実に言いづらそうに続けたのだ。
「今、ジルダさんと、魔王のしもべは同じ牢屋に入れられています。それは……肉奪いの牢とダズエルで呼ばれている、呪われた牢屋です……」
肉奪いの牢。聞きなれない名前だが、いかにも禍々しく、おぞましい響きのようにヘリオスには思えた。
「そこは一体どのような呪いがかけられている牢屋なのですか?」
「数日そこに魔性を閉じ込めておくと、魔性が必ず骨だけになる、という恐ろしい呪いがかけられている牢屋です。魔王のしもべも、ジルダさんも、もはや魔性になり果てた存在である、ならばその牢屋で骨になるのを待った方が、戦わずして勝利できるという事で、網に捕らえられてつれていかれました……」
「すみません、お時間があったら、そこに案内していただけませんか」
ヘリオスの言葉に、尼僧はじいっとヘリオスを見てから、ため息をついてこう続けた。
「明日にしてくださいませ、勇者様。勇者様は激戦で体が弱っております。そのような状態で、おぞましい呪いが充満する牢屋に、いくらなんでも連れていけませんもの」
「……すみませんね……」
数日ののちに骨になる呪いがかけられているのならば、きっと魔性ではなかったら、骨にならずに済むのだろう。ヘリオスは尼僧の言葉からそう判断し、息を一つ吐き出した。
やる事はいくつかある。その中でも、婚礼の中止は、特に大きな問題に違いなかった。
だがリリーシャ姫の父国王も、勇者と聖剣の鞘の重要なつながりや関係性を知っているため、聖剣の鞘が生きているならば、結婚できないという勇者の考えを、頭ごなしに否定はしないだろう、と判断したのだった。
「その事情は分かりました、あと一つだけお伺いしてもいいでしょうか?」
「はい、私が答えられる事だったら喜んで。勇者様とお話したというので、皆に自慢できますし」
そういってころころと笑う尼僧は、やはり善良なジルダの事が気がかりなのか、顔は少し暗く見えた。無理をして笑っている、という風にヘリオスには感じ取れた。
そんな彼女に、ヘリオスは穏やかな声を意識して、こう問いかけた。
「一番、王都に早く手紙を送れるのは、このダズエルではどこでしょうか?」
「それなら、間違いなくこの医療院の速達部門です! 治療には迅速な情報が必要とされていますから、医療院は何処も一級の速達係がいるのですよ」
「それはありがたいですね、使わせていただいても、問題はなさそうですか」
「ダズエルをすくった勇者様を、断るなんて事を誰もしませんよ」
ヘリオスは、その言葉を聞いて少しいぶかった。
「ダズエルを救った……?」
「はい! 勇者様が、魔性の長が撤退するほど戦ったから、魔性の軍団も撤退したと、聖姫様や魔導士様、剣聖様がおっしゃっておいででしたから!」
違う、とヘリオスは言いかけて、何がどうして、仲間たちがそんな嘘をついたのか、と考え始めた。
明らかに、あの時、自分は倒れて役に立たない状態で、そして何か圧倒的な力を持った存在が、ジーナと、そして結果的に自分を助けて、あの牛の頭の魔人を叩きのめしたはずなのだ。
それが秘密にされる理由とはいったい何なのだろう……?
よく分からない情報の勘違いが起きているのか、それとも恣意的に何かがゆがめられているのか。
よく分からない寒気がしつつも、ヘリオスは尼僧の案内で、速やかに王宮の国王あてに手紙をしたため、一番速く、どの速達よりも早く送ってほしい、としっかり言って、速達のための担当に、その手紙を預けたのだった。




