二章 前編 全文掲載
「さっさと入れ」
冷たい声でそんな事を言われて、私はどんっと思い切り強く突き飛ばされたから、つんのめって膝を石で出来た床に思いきり打ち付けて、思った以上に痛くてうめいた。
さらに言えば、体中に絡みついている網が邪魔して、思うように動けないってのもある。
「うう……」
「まったく。雌の魔物ってのはおっかないなあ! それも人間にとりついて、魔王のしもべと手を組んで魔物を、このダズエルに引き入れる計画を立てていたなんてなあ!」
そういう町の衛兵の人は、私の反論する隙もなく、ぺっと唾を吐き、私が着ている服にそれがついた。
避けようにも避けられなかった。網が思い切り鬱陶しいのだ。
そしてげたげたと笑って、色んな意味で絶句している私のお腹を蹴飛ばして、さらにその空間の奥に行くように言って、がっちゃんと、思い切り音を立てて、その空間……牢屋の鉄格子の鍵を閉めて、足音高く、その衛兵は仲間とともに笑いながら去って行った。
「本当にバカな雌の魔物だよなあ!!」
「まったくだ!! まさか勇者を助けるふりまでしたとは演技派だ!」
「だがそんな演技で、勇者様のお仲間である、リリーシャ聖姫様や、シンディ魔術師殿、ウテナ剣聖を騙しとおせるわけもないのに!」
「きっと、形勢が不利になったあたりで、逃げる算段をつけるために、勇者様を庇うふりをしたのだろうが」
「本当に頭の悪い雌の魔物だ!! せっかく魔王の居城で、生贄の女性にとりついて、人間のふりをしたって言うのになあ!!」
そんな事を大声で言う声が徐々に遠ざかっていく。私は気休めにしかならないけれど、吐かれた唾を、その辺にあった……もう何のためにあったものなのか、考えたくない朽ち果てたぼろきれで拭った。
そういうのは、すごく気持ち悪いけれど、着替えとかは与えられないわけで、これから先、食べられる物が用意されるかもわからない。
まともな水さえ、用意される可能性は低いし、お便所の事は……そのあたりにある壺に、用をたせって事だ。
こんな扱いを受ける事になる日が来るとは、欠片も思わなかった。だから、まだ頭の一部が、現実を受けられないのか、少しぼんやりしている気がする。
私は、あっちこっち散々蹴り飛ばされたりしたから、じくじくと痛む体を庇いつつ、座り込んで、顔を覆った。
「女の嫉妬舐めてた……」
現状は、まさに女の嫉妬を舐めていた結果、私に降りかかってきた超弩級の災難と言っていいだろう。
……私としては、聖剣の鞘であるジーナが死んだ扱いになっていたから、勇者一行と歯他人のふりとかはできると思っていた。
というか、勇者の仲間の彼女たちも、私なんて知らないふり、混乱に巻き込まれたただの一般市民だと認識してくれるんじゃないかな、と希望的観測を持っていた。
だって私は、自分が本来勇者ヘリオスの正式な婚約者のジーナである、と誰にも言わないで、こそこそと地味に生活を続けていたのだから、彼女たちだって、私がもう、ヘリオスの婚約者という事を望んでいないで、平凡な平和な生活を望んでいるって、理解してくれると想像していたのだ。
その方が彼女たちにとっても都合がいいだろうとも、思っていた。
彼女たちは、皆、勇者ヘリオスを愛しているわけで、聖剣の鞘と勇者のお約束という事だけで、婚約者になっていた私なんて、いない方が都合がいいだろうと。
だから、知らぬ存ぜぬ彼女は一般市民、と扱ってくれると思っていた。
彼女たちだって、それなりの期間一緒に旅をして来た女の子を、殺してまで排除したりなんかしないだろう。
そういうものだと考えていた私の方が、考えが甘かったのか、それとも彼女たちにとって、私という“聖剣の鞘”とヘリオスとの間に、切っても切れない関係が残ってしまう事だけでもう、生きていて欲しくないほどの相手になってしまっていたのか。
蹴られまくって散々痛む体で、なんとか座り込んで思い出すのは、彼女たちが、魔王のしもべの前で、ぼろぼろ泣いている私に、各々の武器を構えて、なんとか大広場まで集まれた衛兵たちに、声高に言う光景だ。
理解不能の光景と言っていいだろう。
「とうとう尻尾を出しましたね!!」
リリーシャさんが、演技のような声で言った。大声で、誰にでも聞こえるような大声で、私を指さして、続ける。
「魔王の女配下!! 人間にとりつき、人間の魂を食らい、数多の悪事を行ってきたお前を、私達は内密に探してきたのですよ!!」
そんな話、どこかにあったっけ、と私は涙をこぼしつつ、それをぬぐいつつ、ちょっと他人事のように考えてしまった。
魔王は確かに数多の魔性を支配してきた強大な存在だったけれども、人間の魂を食べて乗っ取る配下なんて、どこの町でも聞いた事がないし、そういう魔性がいるという話を聞く事は、旅の間一度もなかった。
どういう理由で、なんでそんな、同じ旅路を歩いてきた私に回ってこなかった情報を、この場で声高に言うのだろう。
それもこの言い方だと、私がその恐ろしい魔王の女配下の様ではないか。
そんなのは絶対にありえない、と彼女たちの方がよく知っているはずなのに。
「魔王のしもべとともに、魔性たちをこのダズエルに引き入れ、人間たちが油断したすきを突き襲うなど、まさに悪!!」
「魔王のしもべもろとも、この場で倒されてくれない?」
「そもそも、魔王のしもべがこのダズエルに入った時点で、魔性たちの襲撃の計画はあったんでしょうね」
剣を構えて、舌なめずりせんばかりにこっちを見ているウテナさんの眼には、人間に向ける事のない、そういう殺意がこぼれんばかりで、冷静な風を装って、杖を構えて、いつでも何かしらの上位魔法を放てるように魔力を練っているシンディさんの目にも同じものがあった。
彼女たちは、明らかに私と、そして魔王のしもべを殺そうとしているとしか思えなくて……完全に私は固まり、魔王のしもべは何か考えている様子で、打開策なんか私達にはなかった。
でも、この時、打開策が思いつかなかった私達は、完全に背後に気が回ってなくて、前にいる彼女たちの方ばかり気にしていたから、反応がすごく遅れたのだ。
ばさっと、何かが上から迫ってきた、と思ったら、それは投げ網だったのだ。
「はっ!?」
「!」
ばさりとかけられて、身じろぎをしようとすると、網の口が閉じて、私と魔王のしもべは見事に網の中に囚われてしまった。
そしてその網を投げたのは、屈強な男たちで、どうもダズエル付近の大きな川で、漁をしている人たちだったらしい。
「へへっ、並の魔性でも早々破れねえ、うちらの特製の網だ!! そこで大人しくしていやがれ!!」
「聖姫様、魔術師殿、剣聖殿の手を煩わせるまでもねえ!」
「このまま町内を引きずり回しましょうぜ!!」
私と魔王のしもべが、なんとかお互いを押しつぶさないようにもがいている中で、漁師たちが自慢げにそう言い、リリーシャさんが仲間を見て、それから自分が癒しているヘリオスを見て、衛兵たちを見回した。
「いいえ、引きずり回して網がもしも破れては大変です。……確か、この町には呪われた牢屋がありましたよね?」
「は、はい」
「……前に聞いたかもしれないわ、確か数日で骨になる呪いがかかった牢屋でしょう」
呪われた牢屋、という話を聞いて食いついたのは、シンディさんで、それに衛兵たちも頷く。
私は初めて聞く牢屋だったから、もしかしたらダズエルの町民だったら当たり前の常識で、知らない人の方がいない牢屋だったのかもしれない。
「そこに入れましょう」
「……まあ、それでこいつらを確実に消滅させられるんだったら、切ったり焼いたりするよりも間違いがないわね」
ウテナさんが、そんな物騒な事を言って、でも剣を納めたりはしない。
「荷車を用意して、網に入れたまま運びましょう」
……そう言うわけで、私と魔王のしもべは網の中でもがきながら、荷車で牢屋まで運ばれて、網に入れられたまま、えっちらおっちら歩かされて、足が遅いと蹴飛ばされたり殴られたりしながら、その牢屋にぶち込まれたのだ。
ぶち込まれた衝撃で、網がほどけて、衛兵たちが去ってからやっと這い出せて、それだけは幸いだったけれど、現状はとても絶望的である。
「……だいジョうぶかい」
「私よりも、あんた散々蹴飛ばされて、鈍器で頭殴られてたけど」
「しょてデ ほのオデ あタまを やかレるよりは」
「……それを言っちゃあおしまいなんだけど」
魔王のしもべは、ゆっくりと網から這い出て、私の脇にしゃがみ込んで、問いかけて来る。
それに返答すると、反応に困る言葉が返ってきて、何とも言い難かった。
私はあたりを見回した。暗くてじめっとしていて、そして何よりかなり寒い。
地下に続く階段を、半ば落とされるような状態で降りてきた物だから、多少日当たりが悪いとか、湿気が多いとかは想定したけれど、その想定を軽く超えた場所だ。
とてつもなく、水っけが多い。
そんなここは、入った魔物が数日で骨になり果てる呪いがかけられた、恐ろしい牢屋なのだと衛兵たちは言っていた。
元々ここの建造物自体も、魔王が青空と星空を奪う前からあったという事だとも、衛兵たちは脅してきた。
つまりそれ位昔から、ここは呪われた場所なのだと言いたかったらしい。
「……ここ、数日で骨になる呪いがかかってるんだって」
「らしいナ」
「数日ここに、魔性を閉じ込めておくと、骨だけになるって……そんなよくできた、ご都合的な呪いって存在するわけ」
「トてもむずかシイが、やれル」
私があり得ない、という事を確認したくて口に出したのに、魔王のしもべはあちこちを見回しながら、出来るっちゃあできる、みたいな言い方をして来た。
やめてくれ。骨になる未来とか考えたくない。
いや、死んだ後土の中で骨になるのは自然の摂理、それに関しては怖くないけれども。
今はそれを考えるよりも、する事があるかもしれない。
私は、そう思いながら、やっとの事で立ち上がって、私の脇に座り込んであっちこっち見回す、魔王のしもべの頭に手をやった。
魔王のしもべは大人しくされるがままで、それ幸いと頭とかに怪我がないか、一応確認してみる。思った以上に魔王のしもべは頑丈なのか、頭部の傷はほとんど確認できなかった。
あれだけがんがん鈍器で、大事な頭を殴られていたのに。
私も人間の範疇の中では頑丈だけど、魔王のしもべはそれをはるかに上回って頑丈だと、また改めて思い知らされる。
これだけ頑丈だったら、呪い効かないんじゃないのか、と思うくらいには。
「あなたの頭、怪我も傷も腫れたところもない。でも脳みその損傷まではわからないけれど」
私がそう言うと、魔王のしもべが少し申し訳なさそうにこう言って来た。
「……きみのケがをかくにンシタいが、ふくノナカをのぞくのは、むりだ」
「私が散々やられたのは、服の下になる場所ばかりだから。大丈夫、受け身はとった」
実際はすごく痛いし、ちょっと無理な動きをしたらそれだけで、体が悲鳴を上げるけれど、やっぱり比較で行くと、魔王との決戦でヘリオスに、心臓である聖剣を振るわれた時が、頂点なので、何とも言えない。
私の痛覚の基準はたぶん、狂っていると思う。
体の骨は……折れていないと思う。
折れていたら流石に気付くはずだ。
そんな事を考えて、また座り込むと、魔王のしもべは周囲を見回して、床に指で何かをなぞっていた。
何か考えているのだろう。
「……私たちどうなるんだろう。まさか勇者を助けて、悪い奴ら扱いを受けるとは思わなかった」
「きみだケはそうはナらないと おもッたのに」
「一応死ぬ覚悟とかは、あの牛の魔性と向き合った時はあったけど、勇者の仲間に主犯格扱いを受けるとは考えなかった」
ここで私が、魔王のしもべと会話をしていても、誰も聞いていないから、私は声を潜める事無く喋る。
喋って少しくらいは気を紛らわせたかった。
それと同じくらいに、魔王のしもべも、私の事で気になる部分があったらしい。
こっちを、その透き通りすぎるほど澄んだ緑の目で見て、唇を開いたのだ。
「……きみは きらわレているのカ」
「あー、色々面倒くさい女の嫉妬がらみがあるみたいでね」
これはよく分からなかったんだろう。私もあんまり話したい中身じゃないから、詳しく話す気にならなくて、そのまま天井を眺めて……あれ、天井に何か、彫ってある。
「……」
私はそのまま無言で、天井に彫ってある何かを目で追いかけてみた。複雑な曲線が、こっちにつながって、それからこう来ているけれど……途中で不自然に途切れている。
こっちの線は、こう言う風に曲がって……これも中途半端に途切れている。
どういう事なのか。……一か所、天井にやけに大きな正方形の石がはまっていた。それは違和感がある位、ちょっと出っ張ってる。
……あれ、もしかして動くのか?
……動かせたらどうなるんだろう。身長的に届かないけれど、魔王のしもべに手伝ってもらえれば、たぶん、届く。
どうせというかなんというか、私達には時間がある程度はある。変な事しても、衛兵たちには頭がいかれたのだと思われて終了だ。
よし、あれを動かせるか、やってみよう。
私は、一度見つけてしまった以上、そのでっぱった正方形の石が気になって仕方なくて、痛む体を動かして、もう一度立ち上がろうとして、……痛くてやっぱりできなかった。
「いまは ねてイナクテハ だめダ」
無理をした事を見抜かれて、魔王のしもべに、簡単に片手で押しとどめられたから、それももっともだという事で、私は牢屋の中の、まだましそうな場所に、寝転がった。
正直に言うと、石床は体温を思い切り奪うし、硬くて、痛む体にとってはかなり悪い寝心地の場所だったけれど、体を休める事は必要で、さらに私はヘリオスのために、なけなしの魔力を使い果たして、疲労はすごい物があった。
だから、寝転がってそのまま、そんなに時間をかける事もなく、夢の世界に旅立っていた。*
夢の中身は覚えていない。覚えている方が珍しい物だと聞いた事もあるし、印象に残る予知夢とかは、神様からの贈り物だから、忘れる事はないと訓練を受けた神殿の神官たちが言っていた。
あれは訓練が終わって、へとへとになって体を引きずるように動かして食堂に入る時だったか。
とある占い師の男性が、とてつもなく恐ろしい夢を見た事で、何かあるのではないかと神殿に駆け込んできた時に聞いた説明だったはずだ。
その神殿の神官たちが言う事が正解なら、私の見た夢は大した事じゃないし、予知夢とかそんな重要性のある物でもないはず。
なんか妙に切羽詰まった夢だった気がするけれど、輪郭さえ覚えていないから、気にしなくてもよさそうだろう。
そんな事を思いつつ起き上がると、私の脇には魔王のしもべが座り込んでいて、私が起き上がると同時に目を開けた。
寝ていたというよりも、単純に目を閉じて休息していただけのように思える反応だ。あまり眠らなくても大丈夫な体質なのだろうか。
「おはよう。何時かわからないし、太陽が昇っているかもわからないから、皮肉にしかならないけど」
「おそラく昼をすギていル」
魔王のしもべはそう言った。どことなく、喋り方に馴れてきたのか、発音が少し滑らかになってきている気もする。
そう考えると、どれだけの期間喋る事もしなかったのだろうと聞きたくなるけど、それは彼にとって嫌な思い出かもしれないから、問いかける事はしない。
「体は、大丈夫?」
「問題、ナイ」
「それならよかった。……暇だから、手伝ってほしい事があるんだけど、いい?」
こんな事を持ちかけたのは、魔王のしもべ死ぬまでは、私を友人だと区分けしていると推測したからだ。
友達だから助けたと昨日言っていたから、きっと友達の区分けがされている。
なら、少しの好奇心を満たす事だったら叶えてくれそうだな、と判断したのだ。
事実、魔王のしもべは私の方を見て、問いかけてきた。
「なにヲ?」
「あれ、動きそうだから、動かしてみたいの。でも、私の身長じゃ届かないから、肩車とかをしてほしい」
あれ、と昨日見つけた天井の四角い出っ張った石を指さすと、魔王のしもべはすっと、痛みなどまったくない様子で立ち上がった。
昨日あれだけ殴られて、蹴飛ばされたのに、そんなに動けるのか。
すごいな、と相手が魔性だとか人間だとか言う前に、感心してしまった。頑丈さでは折り紙付きの人間である私だって、まだあっちこっち痛むのに。
立ち上がった魔王のしもべは、手を伸ばして、事実自分だけでも、無論私だけでも天井に届かないと確認したみたいだ。
こっちを見て、手を伸ばしてこう言った。
「立てルかい」
「まあ」
言いつつ私も、出来るだけ傷まないように体を動かして、立ち上がった。
立ち上がっても、昨日蹴られたお腹のあたりに、ずきずきとした痛みが走って、顔が歪む。
私の顔が歪んだから、魔王のしもべも、私が相当痛いのだと気付いたらしい。
そして、何を思ったか、膝をついて手袋で覆われた指を、私のお腹のあたりに触れさせた。
「……」
魔王のしもべは、何かよく分からない音を紡いだ。その音の途中から、ふわりと柔らかな光がその指先にともって、私のお腹のあたりにゆっくりとしみこんでいく。
しみ込みだすのとほぼ同時に、痛みというものがゆっくりと薄れていって、光が消えると、お腹のあたりの痛みはもうなくなっていた。
「あなた、回復呪文もつかえたの」
私は呆気にとられてそう言った。だって魔王のしもべがヘリオスたちと戦っていたあの時、魔王のしもべは回復呪文の、最低級のものさえ使わなかったからだ。
あの時、魔王のしもべがささやかだろうと回復呪文を唱えられていたら、戦況は大きく変わったし、私の心臓もそこで折れて、ヘリオスたちも斃れた事は間違いないのだ。
その才能もあったのに、その技術もあったのに、どうして使わなかったのか、と思ってしまうのはおかしくないだろう。
そして私の言葉に、魔王のしもべは驕るでも何でもなく、淡々と答えた。
「ずいぶんト忘レていた」
呪文を使える事を忘れるってどんな生き方だ、と突っ込みかけて、それを忘れるほど、それまで圧倒的な武力だけで物事が進んでいたのかもしれない、と思い至る。
必要がないから思い出すのを忘れて、使うのも忘れていたという事だったら、それはそれで変だけれど、納得がいくかもしれなかった。
しかし、それでもそうだとすれば、この魔王のしもべは、ヘリオスが来るまで、一度たりとも呪文の必要性を感じないほど、歴代勇者一行を蹂躙して、全滅させてきたって事でもある。
……人間たちを助けるために、人間の希望と言われている勇者たちを殺すのって、一体どういう心境で行い続けたんだろう。
こんな事をいくつも私が考えている間に、魔王のしもべは準備が整ったみたいで、私にずいと顔を近づけて、遠くで見ても、至近距離でも、整い方があり得ないほどの美貌で、問いかけてきた。
「肩車、しヨう」
「あ、うん」
そう返事をして私は、魔王のしもべによじ登った。と言っても、魔王のしもべがしゃがんで、その肩に足をかけて、動いたっていう程度だったけれども。
でも、やっぱり、体格のいい魔王のしもべの肩に乗ると、安定しているし、うまい具合に天井の出っ張った四角い石を押す事が出来て、動くんだろうな、と思いつつ力いっぱい押してみると、がっこん、と何かが動きだす音が、牢屋の中に響いた。
え、これだけ? と期待外れに思ったその矢先の事だ。
出っ張った四角い石が、ぼろりと外れて、石が外れる重さに、腕に力をいっぱいに込めると、それは予想外に軽かった。
「……石っぽく塗った板……?」
そう。その出っ張った部分は、石に見えるように、丁寧に塗られた板切れで、その板切れの奥には、私には読めない古い文字らしきものに囲われた、丸い水晶みたいな透明な石がはまっていたのだ。
これだけ……?
そんな事を思って、実は自分が脱出経路とかが出て来る事を、思い切り期待していた事に気が付いてしまった。そんなご都合主義があるわけはない。
「もう、イいかい」
「うん。予想した事は何も起きなかった」
「……」
魔王のしもべは私の気落ちした声に、すうっと首を持ち上げて、天井を見上げる。
「そうダろうな。あれハ月の術ダ。昼ニナニかおきタりしない」
「え、あれも読めるの」
「かるく、は」
月の術って何。それが読める魔王のしもべって、いったい何歳なの。
喉から出かかった問いかけも、きっと夜になればわかるのだろう。
それまでは、体を休めるべきかもしれなかった。
結局、一日の間に、一度も食事も水も用意はされなかった。だからお腹が痛いほど空腹だし、喉は干からびていて、人間って一日こう言う目にあうだけで、あっという間に心も弱るものなのだろう、と実感させられた。
そりゃあ拷問の一種に、そういうものが出てくるわけだ。
実体験で経験したくなかった。そう思いながら、寝転がって、じっと時が来るのを待っていた夕方。そして夕方が終わり、もう、月の登る夜だ。
魔王のしもべが言った事が事実なら、今、何かが起きるはず。
ぜひとも、私たちが生き延びられる何かが起きてほしい。
半分何かしらに祈りつつ、天井の丸い透明な石を睨んで、睨んで……そして。
不意に、私は気が付いた。あの透明な石の向こうが透けている。星空が写っていて、魔王が倒されるまで、ぼんやりとかすんだ物しか見た事のなかった満月が、明瞭な光をたたえて空に浮かんでいる事に。
え。この地下牢、そんなに天井薄いの? 薄いならば、地面の足音とかが響いてくるはずなのに、と目を見開いていると、それが起きたのだ。
透明な丸石に、月の光だろう白い光が、いっぱいに溜まる。それから、天井の彫られた何かが光って、その光が、私の寝転がる冷たい石の床に反射したのだ。
その光も、やっぱり、途中途中でぶつ切りになっている。
そして石組みの境目とかを、光がぐるぐると動いている。
この光を、正しくつなぐと、何か起きるんじゃないか。
そう思ったんだけど、私だけじゃ天井に届かないし、私の腕力じゃ、石を組み替えたりなんてとてもできない。
気になるけれど、出来そうにない、と思って、床を蹴った時だ。
彫られた何かを反射した光が、すうっと動いたのだ。
……これ、もしかして、床の光は動かせるの?
なら、やってみる価値は何かあるかも。
そう思って、顔をあげると、魔王のしもべと目が合った。
「……動かしてみようって思った?」
私の問いかけに、魔王のしもべはこくりと頷いた。
*
その仕組みは、まるでとても難しい、子供のスライドパズルの様だった。
ああでもない、こうでもない、と床の光を滑らせて、延々と動かす。
一体何時間、二人で動かし続けたか、分からなくなってやっと、その光は全部繋げられたのだ。
そのつながった模様を見て、私はかなり驚いた。だって。
「ダズエルの町旗の印だ……」
町ごとに旗の印は違い、その印は町の人たちの誇りであり所属を示す。
それと同じ模様が、床の上に現れたのだから、びっくりするでしょう。
さらに驚く事は続いて、私が町旗の印だと口にしたその時に、光は消えて、がこんがこんと、壁際の床が動き出して、さらに地下に続く通路が現れたのだ。
「……」
進むべきか、隠すべきか。ちょっと考えたけど、どうせ魔物扱い、ここで骨にならなくても殺される可能性の方が高い、と頭の中で計算が回って、私は魔王のしもべを振り返って、こう告げた。
「私、この場所に降りてみる。一緒に来る? それとも、ここでただ何もしないで、処刑を待つ?」
「君をおイテ? できない」
ある意味答えは予測できていたけど、相手の考えを確認して、私はさらに地下に続く階段を、音を立てないように降りて行った。
螺旋に似た形状の階段を降りていき、行き止まりには鉄格子の門がある。他をどう見ても、行く場所はなさそう。そして鉄格子の門は押しても引いても動かない。
……これの先には進めないかもしれない、と思って、でもあきらめたくなくて、暗くて手元も怪しい中辺りをあちこち調べると、床から伸びるレバーがあって、そのレバーを動かそうと体重をかけてみた。しかし、長い歳月の間にそのレバーはさび付いていたのか、私ひとりじゃ動かない。
くっそ、と思っていると、私の手の上に、手袋がはまった大きな手がかけられて、ぐっと力がこめられる。隆起した腕の筋肉に、一瞬呆気にとられていると、レバーは何とか、悲鳴のような音を立てて動き始めた。
それとともに、鉄格子の門が、じりじり、ぎちぎち、と文句を言うような音とともに動き出して、私達は、さらに奥に進めるようになった。
「……この先に魔性が出て来るとか、そんな事はないよね?」
人間の耳では、魔性の生息音が聞こえない。でも先は暗くてよく見えないし、何か出てもおかしくない。
だから後ろに立っている魔王のしもべに聞いてみると、魔王のしもべは首を振った。
「聖水のにオいがする」
「……は?」
「魔性はちカヨレナい」
聖水。それは大地から湧き出る、魔性を退ける力を持った聖なる水で、湧く場所は聖地と言われるくらい、価値がある水だ。
その匂いがするって……?
「ここは」
魔王のしもべが、床に目を凝らして、それから、予測もしなかった事を言った。
「聖水をまチニナガす、地下水路だロう」
「……ダズエルに、聖水が流れる地下水路があったら、皆ありがたがってるはず」
「昔ノ町は、湧ク聖水を水路にながしテ、魔性ヲ退けタ。ダズエルハ、とてモふるイ町だかラ、昔ハそうデアッタんダロウ」
「水路にしては、水流れてないけど」
「……」
魔王のしもべは、実際にほとんど水が流れていない水路らしき溝を見て、言う。
「先にすすもウ」
そう言って、手のひらがぼうっと明るくなる。光を呼ぶ魔法で、聖姫とか、聖魔術師とかじゃないと、使いこなせない、もう使える人も限られているそれに、私はまた呆気にとられた。
魔王は闇の存在だった。魔王のしもべも当然、闇に属しているはずで、なのに、光の魔法を操れる。
それってどういう事なの。なんで、今では使える人も少なくて、使えたら超一級の実力と言われている、光を呼ぶ魔法を、そんなに簡単に使えるの。
疑問が口から出てきそうになった。でもそれを押しとどめたのは、魔王のしもべが、私を柔らかい光の瞳で、見ていたからだ。
信頼する、友達を見る目にしか、思えない視線だったから、私はそれらの、疑惑に似た物を飲み込むほかなかった。彼は聞かれたくないのだろう、という事も何となく察して、私が偽りでも友達だから、秘密を見せた、そんな事がどうしてか理解できたためだった。
「うん、行こう」
理解したから、今この場で、魔王のしもべを裏切る事も出来なくて、相手の言葉に返事だけをして、私達は進み始めたのだった。
幸いな事なのか、道は一本で、脇道とかそういう物もない。ひたすら、魔王のしもべの手のひらの光を頼りに、進んでいく。
いったいどれくらい歩いただろう? 体感的に数時間も歩いている。魔王のしもべはその間一言も喋らない。私も、干からびた喉が痛くてあまり言葉を言いたくない。
先もわからない道は、唐突に終わって、私は目にした光景に、目を大きく見開いた。
そこは、水を貯めている貯水池のような見た目で、でもすっかり干上がっていた。
便宜上貯水池といいたくなるそこの中心には、錆び一つない剣がささり、それに、魔王のしもべの手のひらの光を反射して、怪しい紫と黒に輝く蔦状の植物が這っていたのだ。
そして剣がささっている床にも、その蔦状の植物はそこを埋めるように這いまわっていて、なんかこう言うと変だけれど、紫光りする黒い塊の様になっていた。
「もっと近づこう」
とても気になるから、私は魔王のしもべの腕を掴んで、先に歩き出す。
どんどんその蔦状植物に近付くと、剣がささる地面から、じわじわ、と水が出ていて、それが一瞬で、湧いたそばから植物に吸い込まれているという事も、見て取れた。
これは一体。
聖水を吸い込む植物なんて、今までの人生で聞いた事もないし、存在も知らなかったのに、その事実だけで、その蔦状植物が、とんでもなく禍々しいんじゃないか、という気がして来た。
「魔王の指、ダ」
何かよくわからない物だから考えていた私の背後で、魔王のしもべが、ぼそり、と記憶を掘り起こしたようにそれの名前を告げた。
「……魔王の指?」
「昔、そう呼ばれテいた。井戸ヲことごとく、涸ラすから」
それはきっと忌み嫌われた植物だったんだろうな、と口ぶりから察せられた。
そして、魔王のしもべがさっき言った事を組み合わせると、ある事実も予想できた。
「この草どうにかしたら、ダズエルに、魔性は来なくなる?」
「あァ」
「……んじゃあ、引きちぎろう」
そう言って私は、その蔦状植物を掴んだ。水を吸い込むし、黒くて紫光りしていて、堅そうな外見の割にとても柔らかい。
そして、ぶちぶちと引っこ抜いたりしていくと、剣が刺さった場所から、どんどん、水が広がっていくのだ。
これが結構面白い。
……聖水だから、魔王のしもべにとって嫌な物……だったりする?
はっと我に返って魔王のしもべを見やると、相手は疑問のある顔をしていた。
「ダズエルを助ケるのかい」
「ダズエルだから助けるんじゃなくてさ」
どうやら嫌がる様子はない。だったら抜こう。そう思いつつ、私は魔王のしもべの疑問に答えた。
「助けてくれた人達がいる。その人達を助けたい。つまりあなたと似たような結論」
「……!」
私の言葉が何に引っかかったのか、魔王のしもべは目を見開いた後、その、際立って透明度の高い翠の目を、緩めた。
「いっしょ、ダ。……手伝ウ。二人デ、やれバ早い」
「そうだね」
そこからはもう、延々とぶちぶち、魔王の指という蔦状植物を引っこ抜き、端っこに積み上げた。積み上げつつ気付いたのは、魔王の指が、魔王のしもべの光が近いと、瞬く間に干からびて、燃え上がって、消え去っていく事実だった。
「……あなたのその明かりの術を、一気に魔王の指に向けたら、あっという間じゃない?」
「……やって、ミよう」
私が指摘して、二人で、魔王の指が実際に燃え上がって消え去るのを、黙ってみた後、魔王のしもべは、手の中の光に、息をふうっと吹き込んだ。
息を吹き込まれて、風船みたい煮膨らんだ光のたまが、強く強く光りだして、そして、魔王の指はその光の強さに耐え切れなくなったのか、引っこ抜く作業が無駄だったと思うとんでもない速度で、燃え尽きて、消え去って行った。
「……」
「……っ、く、あっはっはっは!! わー、気付くのおそかった! 作業にかかった時間無駄だった!! あー、おかしい!! 笑える!!」
それが、笑い出したくなるくらいあっという間過ぎて、吹き出したら、笑いが止まらなくなって、私は喉が痛いのも忘れて笑い声をあげた。
そんな風に、笑い出したこっちを見て、びっくりした顔の魔王のしもべが、唇だけで、笑った。
優しい笑い方だった。
そしてさらにすごい事が起きて、結構な音を立てて、剣が刺さる場所から、聖水であろう水が、水路を満たそうというのか、一気にあふれて流れ出したのだ。
「飲むトいい。聖水ハ力がわく」
「うん。あー、一日と半分ぶりの水だ!!」
そういって喜んで、その水を飲むと、体中に染みわたって、歩いて疲れていたのとか、そんなのも一気に薄れて、がんばった甲斐が十分にあった、と思えた。
魔王のしもべも、手で水をすくって飲んでいる。
「聖水、飲んで、大丈夫なの?」
問いかけた後、あ、聞かない方がよかったかもしれない、と思ったのだけれど、魔王のしもべは頷いた。
「もう魔王ガ、いないカラ」
魔王がいないから、供給されていた魔王の闇の力がなくなったから、平気なのだろうな、きっと。
そういう風に納得して、さて、ここからどうする、と今後を聞こうと思って、私は気が付いた。
魔王のしもべと、この先も行動しようと思っている自分に。
偽りじゃなくて、一緒に行動する友達だと、自分の中に位置づけているという事実に。
……あー、あー。やっぱり、ルナさんの言う通り、情は移ってしまったのだ。
そりゃそうだ。穏やかで優しくて、命の危機に、約束だからと、自分の事も顧みずに助けてくれて、比べれば弱い私を、気遣ってくれる。
勇者の仲間の彼女たちよりも、ずっと普通の扱いをしてくれる相手を、毛嫌いしたり、出来るわけがなかったのだ。
情が移った。うん。もう情が移ったままでいい。もう、ちゃんと友達になろう。
そのためには。
「ねえ、これからの事を相談する前に。あなたの名前を教えて欲しい」
「……なゼ?」
「友達の名前を、知りたいと思ったから」
私がそう言うと、魔王のしもべはこぼれんばかりに目を見開いて、それから顔を覆って、数秒黙った後、手を離して、静かに、名乗ったのだった。
「私ノ名前は」
アフ・アリス




