三話
そう。その出っ張った部分は、石に見えるように、丁寧に塗られた板切れで、その板切れの奥には、私には読めない古い文字らしきものに囲われた、丸い水晶みたいな透明な石がはまっていたのだ。
これだけ……?
そんな事を思って、実は自分が脱出経路とかが出て来る事を、思い切り期待していた事に気が付いてしまった。そんなご都合主義があるわけはない。
「もう、イいかい」
「うん。予想した事は何も起きなかった」
「……」
魔王のしもべは私の気落ちした声に、すうっと首を持ち上げて、天井を見上げる。
「そうダろうな。あれハ月の術ダ。昼ニナニかおきタりしない」
「え、あれも読めるの」
「かるく、は」
月の術って何。それが読める魔王のしもべって、いったい何歳なの。
喉から出かかった問いかけも、きっと夜になればわかるのだろう。
それまでは、体を休めるべきかもしれなかった。
結局、一日の間に、一度も食事も水も用意はされなかった。だからお腹が痛いほど空腹だし、喉は干からびていて、人間って一日こう言う目にあうだけで、あっという間に心も弱るものなのだろう、と実感させられた。
そりゃあ拷問の一種に、そういうものが出てくるわけだ。
実体験で経験したくなかった。そう思いながら、寝転がって、じっと時が来るのを待っていた夕方。そして夕方が終わり、もう、月の登る夜だ。
魔王のしもべが言った事が事実なら、今、何かが起きるはず。
ぜひとも、私たちが生き延びられる何かが起きてほしい。
半分何かしらに祈りつつ、天井の丸い透明な石を睨んで、睨んで……そして。
不意に、私は気が付いた。あの透明な石の向こうが透けている。星空が写っていて、魔王が倒されるまで、ぼんやりとかすんだ物しか見た事のなかった満月が、明瞭な光をたたえて空に浮かんでいる事に。
え。この地下牢、そんなに天井薄いの? 薄いならば、地面の足音とかが響いてくるはずなのに、と目を見開いていると、それが起きたのだ。
透明な丸石に、月の光だろう白い光が、いっぱいに溜まる。それから、天井の彫られた何かが光って、その光が、私の寝転がる冷たい石の床に反射したのだ。
その光も、やっぱり、途中途中でぶつ切りになっている。
そして石組みの境目とかを、光がぐるぐると動いている。
この光を、正しくつなぐと、何か起きるんじゃないか。
そう思ったんだけど、私だけじゃ天井に届かないし、私の腕力じゃ、石を組み替えたりなんてとてもできない。
気になるけれど、出来そうにない、と思って、床を蹴った時だ。
彫られた何かを反射した光が、すうっと動いたのだ。
……これ、もしかして、床の光は動かせるの?
なら、やってみる価値は何かあるかも。
そう思って、顔をあげると、魔王のしもべと目が合った。
「……動かしてみようって思った?」
私の問いかけに、魔王のしもべはこくりと頷いた。
*
その仕組みは、まるでとても難しい、子供のスライドパズルの様だった。
ああでもない、こうでもない、と床の光を滑らせて、延々と動かす。
一体何時間、二人で動かし続けたか、分からなくなってやっと、その光は全部繋げられたのだ。
そのつながった模様を見て、私はかなり驚いた。だって。
「ダズエルの町旗の印だ……」
町ごとに旗の印は違い、その印は町の人たちの誇りであり所属を示す。
それと同じ模様が、床の上に現れたのだから、びっくりするでしょう。
さらに驚く事は続いて、私が町旗の印だと口にしたその時に、光は消えて、がこんがこんと、壁際の床が動き出して、さらに地下に続く通路が現れたのだ。
「……」
進むべきか、隠すべきか。ちょっと考えたけど、どうせ魔物扱い、ここで骨にならなくても殺される可能性の方が高い、と頭の中で計算が回って、私は魔王のしもべを振り返って、こう告げた。
「私、この場所に降りてみる。一緒に来る? それとも、ここでただ何もしないで、処刑を待つ?」
「君をおイテ? できない」
ある意味答えは予測できていたけど、相手の考えを確認して、私はさらに地下に続く階段を、音を立てないように降りて行った。
螺旋に似た形状の階段を降りていき、行き止まりには鉄格子の門がある。他をどう見ても、行く場所はなさそう。そして鉄格子の門は押しても引いても動かない。
……これの先には進めないかもしれない、と思って、でもあきらめたくなくて、暗くて手元も怪しい中辺りをあちこち調べると、床から伸びるレバーがあって、そのレバーを動かそうと体重をかけてみた。しかし、長い歳月の間にそのレバーはさび付いていたのか、私ひとりじゃ動かない。
くっそ、と思っていると、私の手の上に、手袋がはまった大きな手がかけられて、ぐっと力がこめられる。隆起した腕の筋肉に、一瞬呆気にとられていると、レバーは何とか、悲鳴のような音を立てて動き始めた。
それとともに、鉄格子の門が、じりじり、ぎちぎち、と文句を言うような音とともに動き出して、私達は、さらに奥に進めるようになった。
「……この先に魔性が出て来るとか、そんな事はないよね?」
人間の耳では、魔性の生息音が聞こえない。でも先は暗くてよく見えないし、何か出てもおかしくない。
だから後ろに立っている魔王のしもべに聞いてみると、魔王のしもべは首を振った。
「聖水のにオいがする」
「……は?」
「魔性はちカヨレナい」
聖水。それは大地から湧き出る、魔性を退ける力を持った聖なる水で、湧く場所は聖地と言われるくらい、価値がある水だ。
その匂いがするって……?
「ここは」
魔王のしもべが、床に目を凝らして、それから、予測もしなかった事を言った。
「聖水をまチニナガす、地下水路だロう」
「……ダズエルに、聖水が流れる地下水路があったら、皆ありがたがってるはず」
「昔ノ町は、湧ク聖水を水路にながしテ、魔性ヲ退けタ。ダズエルハ、とてモふるイ町だかラ、昔ハそうデアッタんダロウ」
「水路にしては、水流れてないけど」
「……」
魔王のしもべは、実際にほとんど水が流れていない水路らしき溝を見て、言う。
「先にすすもウ」
そう言って、手のひらがぼうっと明るくなる。光を呼ぶ魔法で、聖姫とか、聖魔術師とかじゃないと、使いこなせない、もう使える人も限られているそれに、私はまた呆気にとられた。
魔王は闇の存在だった。魔王のしもべも当然、闇に属しているはずで、なのに、光の魔法を操れる。
それってどういう事なの。なんで、今では使える人も少なくて、使えたら超一級の実力と言われている、光を呼ぶ魔法を、そんなに簡単に使えるの。
疑問が口から出てきそうになった。でもそれを押しとどめたのは、魔王のしもべが、私を柔らかい光の瞳で、見ていたからだ。
信頼する、友達を見る目にしか、思えない視線だったから、私はそれらの、疑惑に似た物を飲み込むほかなかった。彼は聞かれたくないのだろう、という事も何となく察して、私が偽りでも友達だから、秘密を見せた、そんな事がどうしてか理解できたためだった。
「うん、行こう」




