二話
「……きみは きらわレているのカ」
「あー、色々面倒くさい女の嫉妬がらみがあるみたいでね」
これはよく分からなかったんだろう。私もあんまり話したい中身じゃないから、詳しく話す気にならなくて、そのまま天井を眺めて……あれ、天井に何か、彫ってある。
「……」
私はそのまま無言で、天井に彫ってある何かを目で追いかけてみた。複雑な曲線が、こっちにつながって、それからこう来ているけれど……途中で不自然に途切れている。
こっちの線は、こう言う風に曲がって……これも中途半端に途切れている。
どういう事なのか。……一か所、天井にやけに大きな正方形の石がはまっていた。それは違和感がある位、ちょっと出っ張ってる。
……あれ、もしかして動くのか?
……動かせたらどうなるんだろう。身長的に届かないけれど、魔王のしもべに手伝ってもらえれば、たぶん、届く。
どうせというかなんというか、私達には時間がある程度はある。変な事しても、衛兵たちには頭がいかれたのだと思われて終了だ。
よし、あれを動かせるか、やってみよう。
私は、一度見つけてしまった以上、そのでっぱった正方形の石が気になって仕方なくて、痛む体を動かして、もう一度立ち上がろうとして、……痛くてやっぱりできなかった。
「いまは ねてイナクテハ だめダ」
無理をした事を見抜かれて、魔王のしもべに、簡単に片手で押しとどめられたから、それももっともだという事で、私は牢屋の中の、まだましそうな場所に、寝転がった。
正直に言うと、石床は体温を思い切り奪うし、硬くて、痛む体にとってはかなり悪い寝心地の場所だったけれど、体を休める事は必要で、さらに私はヘリオスのために、なけなしの魔力を使い果たして、疲労はすごい物があった。
だから、寝転がってそのまま、そんなに時間をかける事もなく、夢の世界に旅立っていた。*
夢の中身は覚えていない。覚えている方が珍しい物だと聞いた事もあるし、印象に残る予知夢とかは、神様からの贈り物だから、忘れる事はないと訓練を受けた神殿の神官たちが言っていた。
あれは訓練が終わって、へとへとになって体を引きずるように動かして食堂に入る時だったか。
とある占い師の男性が、とてつもなく恐ろしい夢を見た事で、何かあるのではないかと神殿に駆け込んできた時に聞いた説明だったはずだ。
その神殿の神官たちが言う事が正解なら、私の見た夢は大した事じゃないし、予知夢とかそんな重要性のある物でもないはず。
なんか妙に切羽詰まった夢だった気がするけれど、輪郭さえ覚えていないから、気にしなくてもよさそうだろう。
そんな事を思いつつ起き上がると、私の脇には魔王のしもべが座り込んでいて、私が起き上がると同時に目を開けた。
寝ていたというよりも、単純に目を閉じて休息していただけのように思える反応だ。あまり眠らなくても大丈夫な体質なのだろうか。
「おはよう。何時かわからないし、太陽が昇っているかもわからないから、皮肉にしかならないけど」
「おそラく昼をすギていル」
魔王のしもべはそう言った。どことなく、喋り方に馴れてきたのか、発音が少し滑らかになってきている気もする。
そう考えると、どれだけの期間喋る事もしなかったのだろうと聞きたくなるけど、それは彼にとって嫌な思い出かもしれないから、問いかける事はしない。
「体は、大丈夫?」
「問題、ナイ」
「それならよかった。……暇だから、手伝ってほしい事があるんだけど、いい?」
こんな事を持ちかけたのは、魔王のしもべ死ぬまでは、私を友人だと区分けしていると推測したからだ。
友達だから助けたと昨日言っていたから、きっと友達の区分けがされている。
なら、少しの好奇心を満たす事だったら叶えてくれそうだな、と判断したのだ。
事実、魔王のしもべは私の方を見て、問いかけてきた。
「なにヲ?」
「あれ、動きそうだから、動かしてみたいの。でも、私の身長じゃ届かないから、肩車とかをしてほしい」
あれ、と昨日見つけた天井の四角い出っ張った石を指さすと、魔王のしもべはすっと、痛みなどまったくない様子で立ち上がった。
昨日あれだけ殴られて、蹴飛ばされたのに、そんなに動けるのか。
すごいな、と相手が魔性だとか人間だとか言う前に、感心してしまった。頑丈さでは折り紙付きの人間である私だって、まだあっちこっち痛むのに。
立ち上がった魔王のしもべは、手を伸ばして、事実自分だけでも、無論私だけでも天井に届かないと確認したみたいだ。
こっちを見て、手を伸ばしてこう言った。
「立てルかい」
「まあ」
言いつつ私も、出来るだけ傷まないように体を動かして、立ち上がった。
立ち上がっても、昨日蹴られたお腹のあたりに、ずきずきとした痛みが走って、顔が歪む。
私の顔が歪んだから、魔王のしもべも、私が相当痛いのだと気付いたらしい。
そして、何を思ったか、膝をついて手袋で覆われた指を、私のお腹のあたりに触れさせた。
「……」
魔王のしもべは、何かよく分からない音を紡いだ。その音の途中から、ふわりと柔らかな光がその指先にともって、私のお腹のあたりにゆっくりとしみこんでいく。
しみ込みだすのとほぼ同時に、痛みというものがゆっくりと薄れていって、光が消えると、お腹のあたりの痛みはもうなくなっていた。
「あなた、回復呪文もつかえたの」
私は呆気にとられてそう言った。だって魔王のしもべがヘリオスたちと戦っていたあの時、魔王のしもべは回復呪文の、最低級のものさえ使わなかったからだ。
あの時、魔王のしもべがささやかだろうと回復呪文を唱えられていたら、戦況は大きく変わったし、私の心臓もそこで折れて、ヘリオスたちも斃れた事は間違いないのだ。
その才能もあったのに、その技術もあったのに、どうして使わなかったのか、と思ってしまうのはおかしくないだろう。
そして私の言葉に、魔王のしもべは驕るでも何でもなく、淡々と答えた。
「ずいぶんト忘レていた」
呪文を使える事を忘れるってどんな生き方だ、と突っ込みかけて、それを忘れるほど、それまで圧倒的な武力だけで物事が進んでいたのかもしれない、と思い至る。
必要がないから思い出すのを忘れて、使うのも忘れていたという事だったら、それはそれで変だけれど、納得がいくかもしれなかった。
しかし、それでもそうだとすれば、この魔王のしもべは、ヘリオスが来るまで、一度たりとも呪文の必要性を感じないほど、歴代勇者一行を蹂躙して、全滅させてきたって事でもある。
……人間たちを助けるために、人間の希望と言われている勇者たちを殺すのって、一体どういう心境で行い続けたんだろう。
こんな事をいくつも私が考えている間に、魔王のしもべは準備が整ったみたいで、私にずいと顔を近づけて、遠くで見ても、至近距離でも、整い方があり得ないほどの美貌で、問いかけてきた。
「肩車、しヨう」
「あ、うん」
そう返事をして私は、魔王のしもべによじ登った。と言っても、魔王のしもべがしゃがんで、その肩に足をかけて、動いたっていう程度だったけれども。
でも、やっぱり、体格のいい魔王のしもべの肩に乗ると、安定しているし、うまい具合に天井の出っ張った四角い石を押す事が出来て、動くんだろうな、と思いつつ力いっぱい押してみると、がっこん、と何かが動きだす音が、牢屋の中に響いた。
え、これだけ? と期待外れに思ったその矢先の事だ。
出っ張った四角い石が、ぼろりと外れて、石が外れる重さに、腕に力をいっぱいに込めると、それは予想外に軽かった。
「……石っぽく塗った板……?」




