十二話
魔性の群れは、興奮気味に人語ではない言葉を放ちながら、ひしめき合う人々を襲っていた。
それを誰もが理解し、その場はたちまち阿鼻叫喚の大混乱の場所へと変貌したのだ。
私は、運がよかった。ひしめき合う人たちの中でも、割と外側にいたから、押し合いへし合い、なんとか聖なる印を持つ建物の中に、逃げ込もうとする人たちにもみくちゃにされる事なく、ぺいっとその外側に押し出されて、行動の自由がある程度確保できたのだ。
私は周囲を見回し、なんとか自分だけは安全な所に逃げ出そう、とそれまでの熱狂的な大騒ぎを忘れて、死に物狂いで逃げている人たちを見やり、一番いい観覧席にいたヘリオスたちが、どう動くのかを見た。
ヘリオスは、魔物が、町の中に侵入するという前代未聞の出来事に動揺しつつも、神剣を抜き放ち、観覧席から飛び出しているみたいだ。
そしてその援護をする幼馴染の女剣士、訓練仲間の魔法使いの女性、癒しの力と退魔の力を持つ聖なる姫がそれに続こうとしているのに、人々があまりにも自分の事だけを考えて動くものだから、高い所にある観覧席から下りられず、そして街路にいる人々が多すぎて、広範囲に発動する攻撃魔法とか、聖なる魔法とかを使えず、女剣士も己の武器を振り回せず、何もできないでいる。
私も、どこか安全な場所、聖なる印があって、魔性が立ち入る事の出来ない場所に避難しよう、と思って、ぎゅうぎゅう詰めの大通りではなく、細い路地裏を進もうとした時だった。
「たす、け、て……!!」
走り出そうとした私の耳に届いたのは、女の人の息も絶え絶えな声で、そんな声は今この場所に満ち溢れているのに、その人の声は近かったのかよく聞こえた。
とっさに振り返った私が見たのは、赤ちゃんを抱き、群衆に巻き込まれた時に足をひねったのか、倒れている女性だった。
「おねが、い! この子、だけでいいから!!」
女性は逃げきれないと判断した様子で、誰でもいいから赤ちゃんを助けてほしい、と声を出しているけれど、皆それに手を貸せる余裕がない。
そして、倒れている女性なんて魔性にとって格好の獲物で、彼女の背後に、魔性が迫ってきている。
見捨てても、良かったのに、私の体は動いていた。逃げ出す時に誰かが落とした斧があって、私は、その斧を、その女性の背後から切り殺そうとする剣士系の魔性に、力いっぱい投げつけたのだ。
投擲の訓練もそれなりに受けて来ていた過去が、ここで初めて私の役に立った。
投擲された斧は回転しながら、その剣士系の魔性の顔面に直撃し、剣士系の魔性はどうと倒れ伏したのだ。
私は相手が絶命したか確認する前に、彼女に駆け寄り、死に物狂いで彼女を立ち上がらせ、その辺に落ちていた板切れの破片で、彼女のくじいているらしい片足を固定し路地の細い道を指さした。
「あっちに走って! 突き当りを右に曲がれば、寺院の聖堂の脇の道に着く!!」
「あ、ありがとうございます……!」
「お礼は生き残ってからにして!!」
私は怒鳴り、彼女を先に走らせ、彼女は赤ちゃんとともに生き残りたいから、火事場の何とやらを発揮してすごい勢いで走り去っていく。
私も、逃げねば、と走り出そうとして、その時胸を襲ったすさまじい痛みに、うめき声も出せないで膝をついた。
こんな時に!!
心の中で自分を罵った時、私の視界の影で、ヘリオスが、いかにもこの魔性の群れの頂点のような、一層禍々しい魔性と打ち合っているのが見えた。
ヘリオスの周りに、彼の仲間は一人もたどり着いていない。
彼女たちは、人々がひしめきすぎて、そちらに駆け付けられないのだ。
そっちを見ると、彼女たちもなんとかヘリオスのもとに行こうとしているのに、かなわないどころか、人々に助けてとすがられて、身動きがほとんどとれていない。
「助けてください!」
「聖姫様!」
「剣士様!」
「魔法使い様!」
「私だけでも助けてください!!」
そんな声が雑音に似た量になるほど、彼女たちを取り囲み、彼女たちはそれを振り払えない。多すぎるのだ。
私はそして、単身、補助も援軍も何もなく、魔性の長と打ち合うヘリオスを見やる。
魔王を倒したヘリオスだったら、補助とかがなくても、魔王と比べれば弱いはずのそれに勝利すると、思われた。
でも、そう簡単にはいかなかった。魔性の長は強いようで、ヘリオスの剣技を受け流し、決定的な攻撃がどうしても当たらないのだ。
ヘリオスは動きにくい正装を破りながら、必死に戦っている。きっとあの魔性の長らしき魔性を倒せば、他の魔性たちも引き上げると思っているのか。
……でもどうして、今まで、町や村には一切入ってこなかった魔性たちが、人間の暮らす場所に入れば、諦めて去って行った魔性たちが、そんなのもう関係ない、と言わんばかりに、ここダズエルの高い壁を突破して、入ってきて人々を襲っているのか。
考えても答えは出ない。私は、ヘリオスの援護をすれば、道は開かれる、と信じて、意地で立ち上がった。
これ位の痛みだったら、魔王との決戦の時の方がずっと痛い。あの時は失神できないから、殺してくれって思いたくなるほど痛かった。
今はそこまでじゃない。だったら、援軍のこないヘリオスを、援軍したくても人々に縋られて、押されて、駆け付けられない彼の仲間や、町の衛兵たちの代わりに、補佐するのだ。
私は立ち上がり、ふらつく足でも、叱咤して、走り出した。
走って、ヘリオスの背後まで走る。そこで、ヘリオスが数多の切り傷を負っていて、魔王討伐の際に着用していた聖なる鎧もないから、結構直接魔性の剣を受けていると気付いて、私が出来る、焼け石に水くらいにしかならない、最低級回復魔術を唱えた。
それは、紙一重で、ヘリオスの命を守った。彼の首に走った傷だけが、瞬く間にふさがって、彼が大量出血で死ぬ事を防いだのだ。
私は、神殿で普通とはいいがたいほど訓練を受け続けてきた。でも、かろうじて覚えたのは、切り傷をいくつか直せる程度の、ちゃちな最低級回復魔術と、魔性相手に役に立たない事の方多い投擲術と、何とか一般人の攻撃を受け流せる体術くらいで、旅の間魔性との戦いでは、足手まといの役立たずにしかならなかった。
でも、その、最低級が三つも揃えば、何かにはなれる。だから、私はヘリオスの傷を一つずつ、厄介なものから順番に癒す事に集中した。
ヘリオスが、あの魔性の長を倒すまで、なんとか持ちこたえさせられればいい。元々少ない魔力量の私は、直ぐにそれを枯渇させてしまうだろう。
でも、やらないで死ぬよりも、やって死ぬ方がまだ胸を張れる。
ヘリオスは、私の方を見やりもしない。いいや、見やる余裕なんてない。それ位、魔性の長の剣の腕は卓越していて、魔王との戦いを実際に見ていない私には、魔王以上の強さではないか、と思ってしまう物があった。
それでも、私は、魔性の長とヘリオスの戦いを、意地で補佐した。枯渇しそうな魔力をぎりぎりまで絞り、ヘリオスの致命傷だけに集中してふさぎ、ヘリオスが剣をふるうたびに走る激痛に歯をくいしばって耐え続けた。




