十一話
魔王のしもべが、私の腕を掴んで、引き留めたのだ。
それまで、魔王のしもべが自分から私に触れた事は一度もなく、一週間ろくな運動も食事もとっていない肉体だというのに、魔王のしもべの頑強さが、触れた手から伝わってきていた。
驚いて振り返ると、魔王のしもべは、私をじっと見つめて、口を開いた。
「きみのナマえを、とものナまえを、きかセてくれなイか」
偽りだって言ったのに。夢の出来事のように扱うって、分かっていたはずなのに。
最後に、私の名前を聞き、現実のように扱うのか。
たとえ名前を聞いたとしても、魔王のしもべは、明日死ぬというのに。
死ぬ前に、夢の中の友人の名前を、知りたいというのか。
私は、来た時に迫ってきた、どうしようもなく泣きだしたい感覚がまた迫ってきたから、それを必死に飲み下して、なんて事はない、という声を出そうとして、失敗した。
ひっく、と喉が引きつった。だめだ、泣くわけにはいかない。友達の名前を聞きたいなんて言う、当たり前の考え方に、私は、偽りの、偽物の、かりそめの友達として答えなければ。
引きつる喉を抑え込み、何度もつばを飲み込んで嗚咽をやり過ごし、私は答えた。
「ジルダ」
それを聞いて、魔王のしもべは、満足そうに頷いた。この世の未練なんて何一つない、という様な満足げな頷きかただった。
「ジルダ、ずッと、わすレない」
明日死ぬんだろうが。と言いかけて、それを言った私の方に衝撃が来る気がして、とてもじゃないけれど言えなかった。
鐘の音が終わりに近付いている。そろそろ戻らなくてはならない。
私は最後になるだろう、柔らかい終わりの手前の時間の中にいる、魔王のしもべをよくよく記憶に焼き付ける事にして、訳あり部屋を後にした。
翌日は、朝から物凄い大騒ぎのお祭り騒ぎになっていた。
この世に生きている中では、七人目と言われている、特別な勇者であるヘリオスが、魔王を倒したヘリオスが、ダズエルにやってきているからだ。
誰しもが、我先に真の勇者を、お伽話の中の勇者よりもなお立派な功績の勇者を見ようと、大通りに群がっている。
ヘリオスたちがやってくる方角の街道の方に、皆押しかけているし、詰めかけている。
大変な騒ぎの中で、感激のあまり失神する人とかも一定数いるものだから、私は医療院とか寺院の方に担ぎ込まれてきたそういう人たちを、介抱するという仕事を請け負う事になっている。
外に出ようとした時に、運び込まれてきた人達をうっかり介抱した後、なしくずし的にそうなったのだ。仕方がない。
着衣を緩めて、呼吸を楽にして、簡易寝台に寝かせたり、水を飲ませたりすれば、だいたいの人はすぐに回復して、また大通りの勇者たちを見るべく、寺院や医療院を出て行く。
だからとても、入れ替わりが激しくて、そういう仕事をする羽目になっている人たちはてんてこ舞いで、忙しい。
勇者ヘリオスたちは、処刑を見る前に、一度、医療院とか寺院の方に挨拶に来ると聞いていたから、その時は裏方に引っ込み、顔を合わせなければいいと思っている。
見つかったらとても面倒くさい事になりそうだし。
心臓砕かれたのに生きているとか思われて、魔物の類と判断されたらとてもじゃないがたまったものじゃないし。
そんな風にずっと介抱を続けて、ルナさんがいったん寺院の方に戻ってきて、私に食事交代が出来ると言ってくれたから、私は厨房の方に急いで、堅いパンとスープの食事をできるだけゆっくり食べた。
たぶんこの時間くらいしか、ゆっくり出来そうにないと判断したためだ。
休める時にきちんと休まなければ、今日を乗り切れそうにないからである。
そして、実際にゆっくりとした食事は功を奏し、食べている途中で、厨房の人たちが忙しなく動き出し、ヘリオスたちが医療院や寺院を見に来たと知った。
まあ医療院とか寺院の事を見ても、厨房に時間を押してまで来る事はないから、ここでこっそりしていれば、見つからない。運がよかった、と思ってしまうほどだった。
……でも、私は、食事とかが終わって、正午の時間になったら、処刑の場所である大通りの広場まで、行く事に決めていた。
偽りでも、偽物でも、まがい物でも、かりそめでも、友達の死を見届けるためだ。
最期の時を見送ってやりたいと思うのは、人間的な感情で、私が意識を切り替えるために必要だと思ったまでの事。
きっと数多いる群衆の中から、魔王のしもべは私みたいに平凡な人間を見つける事は出来っこないけれど、私は相手を見つけられるし、最期を確認できる。
ヘリオスたちが去ったと、厨房の人たちが興奮気味に喋っているから判断して、私は厨房を後にして、大広場に向かった。
大広場は、物凄く熱狂していた。それは勇者たち、見目麗しい英雄たちが、一番いい席に座って、人々に手を振っているからだろう。
最期に見た時よりも、ヘリオスは落ち着いた顔をしていた。魔王討伐が終わって、そう言った重圧がなくなったからかもしれない。
そして彼が結婚する聖なる姫君は、驚くべき耀ける美貌で、仲間たちもそれぞれ、種類の違う際立った美しさで、ヘリオスの周りに座っている。
私がその場にいたら、あまりにも場違いだと思われていたに違いない、席順だ。
やっぱり、私は聖剣の鞘だったけれど、ヘリオスの婚約者としては相応しくない女の子だったんだな、と何とも言えない事実を改めて確認した気分だ。
そして、人々が熱狂する中、檻に入れられていた魔王のしもべが頑丈な鎖につながれた手枷に引っ張られて、姿を現した。
「死ね!」
「化け物め!!」
「さっさと消えろ!」
「汚らわしいものめ!」
「怪物が!」
「人間の裏切り者が!!」
「いい気味だ!」
姿を現した魔王のしもべに対して、民衆は一般的な事を言う。魔王の配下は憎まれる存在であって、私のように死を悼む神経の人間は早々存在しない。
私だって、関わらなければ、彼等と同じような言葉を口に出していたはずだ。
それ位、勇者たちを殺してきた魔王のしもべは、忌み嫌われる相手なのだ。
だが、魔王のしもべはそれらの声など聞えていないような姿勢で、静かに歩いていた。
それはあまりにも堂々とした素振りで、とても処刑される魔性とは思えない立ち振る舞いだ。
私は、もともと詰めかけていた人たちの隙間に、なんとか入り込んで、その様子を観察している。皆早々に場所取りをしていたから、よく見える場所なんて立てない。
かろうじて、見える。かろうじて、認識できる。
それ位の、位置に私はぎゅうぎゅうに圧されながら立っていた。
そして、魔王のしもべがギロチン台の上に、頭を乗せる。
そこで、ヘリオスたちが、打ち合わせにあったのだろう立ち上がり方をして、民衆によく聞こえるように、こう言った。
「これより、数百年に渡り、数多の勇者一行を殺した、大罪人の処刑を執り行う! 魔王のしもべよ、魔王に与した人類の裏切り者よ! お前を今ここで終わらせる!」
ヘリオスの大声に、民衆たちはわっと歓声を上げる。ころせ、ころせ、ころせ、と足踏みをして高らかに熱狂する。
「呪われし罪びとよ! お前は首を落され、未来永劫、地獄の底から救われる事もなく、己の犯した罪への罰を受け続けるのだ!!」
そこで聖なる美貌の姫が、呪いの言葉を唱える。
大国の聖なる姫君が、死んだ後の安寧を許さず、呪われろと唱えれば、唱えられた対象は真実、あの世で苦しみ続けると言われている。
誰もがそれにおびえるし、聖なる姫はその事を十分に理解しているから、滅多に呪いの言葉なんて口に出さない。
それなのに、こうして魔王のしもべに対して唱えるというのだから、いかに魔王のしもべが罪深い存在なのかという事を、人々に知らしめるのだ。
私は、ぐっと涙をこらえた。でも聖なる姫君の言葉に感動して泣いている人もいるから、私だって感動のあまりの涙を、こらえていると思われただろう。それでいい。
優しい夢をつかの間見る事だけを望んだ、実は理知的な魔王のしもべへ向ける道場に似た感情を、誰かに気付かれるわけにはいかないのだから。
誰にも気付かれないように目元をこすり、私は、魔王のしもべの終わりを見届けようと目を凝らし、いよいよギロチンが落とされる準備が整ったその時だった。
最初は、熱狂した人々が、熱狂しすぎて叫んでいるのだと思っていた。
だがそれが、異様に必死で、命からがらに聞こえる声になってきて、誰もがギロチン台の方ではなく、悲鳴が聞こえてきている方……町の出入り口の門の方を向いた時。
私だけではなく、たくさんの人々が、大広場に押しかけてきていた人たちが、見たのは、数多の……あまりにも多すぎる魔性の群れだった。




