十話
そして、ついに、とうとう、というべきか、処刑が前日に迫っていた。
こうして、古新聞を持って、訳あり部屋に入るのも最後になるだろう。
どうして牢屋に戻されなかったのかと言えば、牢番が暴走した事で、他の牢番が同じ事をしないかという、疑惑が上層部に生まれた結果だったそうだ。
牢屋の中で暴行死というのは、処刑が決まった虜囚を見に、勇者が来るというのに、ありがたくない話で、やっぱりそこが重視されていた。
医療院の訳あり部屋ならば、暴行の可能性は一気に下がるという事で、処刑の日まで、大人しい状態ならそこから動かさないと決まっていたのだ、と教えてくれたのは、副院長だった。
これが最後に古新聞になるのだ、と私は昨日の新聞を握って、訳あり部屋に向おうとした。その時だった。
「ジルダさん」
私は院長に呼び止められた。何の用事だろうか。もしかしたら、もう、あの魔王のしもべの面倒を、見なくていいという事なのかもしれない。
でもきっと、最後の最期、現れない友人の事を思って、怨霊になられたら困るのは医療院その他だから、そこを訴えれば、今日までは、あの意外と大人しくて理知的な、魔王のしもべの友人でいられる気がした。
「はい、どうしましたか」
「……ジルダさんが、一週間前に、洗濯担当の魔術師たちに、魔王討伐の時から一気に減った怪我人が、また増えているような気がする、と相談していたと聞いて」
「はい。簡易宿泊施設のシーツに、思ったよりも血が付いている事が、増えだしていたので、おかしいと思ったんです」
「……やはり時期的にはそれ位からなのか……」
「時期的に、とは?」
私は院長が何か自分だけで納得しているから、気になって問いかけた。
その問いかけに、院長が答える。
「ダズエルまで、王都の情報が来るのには時間差があるという事は理解できるだろうか?」
「そりゃあ、色々なモノが限られていますし……高級な連絡用の魔術道具を、そう頻繁に使用できないとも聞きますし」
「そう。そのため辺境と言っても過言ではないダズエルまで、王都からの情報が来るのが数週間単位で遅れてしまったわけだが……どうも、王都付近の村が、いくつも廃墟になっているらしいんだ。人間同士の争いの結果にしては、妙に徹底的に過ぎる、という事で、王都から変化の情報を求められていてね」
院長は溜息をついた。
「ダズエルは、魔王の居城に最も近い町の一つで、魔物との小競り合いも頻繁だったから、変化の度合いが、よく分からない時も多くてね。色々知っていそうな人に聞きまわったら、洗濯係の魔法使いが、そう言えば、ジルダさんがそんな事を言っていた、と教えてくれたんだ」
ジルダさんは、平和になってから簡易宿泊施設で働いていたから、分かりやすい変化だったんだろうね、と院長はいい、続けた。
「怪我人が増えた気がしてきたのは、どれくらいからだろうか?」
「気になるほどになったのは、先々週くらいからです。働き始めてからすぐは、シーツの汚れで多かったのは、泥とか砂ぼこりとか、よだれとかだったんですけど、先々週あたりから、怪我人が増えてきて、寺院の治癒とか、医療院の医療神官の人を頼る人とかが、ぐっと増えている気がしていました」
「ありがとう。町長たちにも、それらの情報を回さなくてはならないからね。君の貴重な意見を聞かせていただいて、うれしいよ。ダズエルに長いと、よく分からなくなってしまうものだね……」
院長はそれだけだよ、と言って、立ち去ろうとして、そこで思い出したように言った。
「魔王のしもべは、大人しいものだね。君が何か精神操作でもしてみたのかい」
「私にそんな力はありませんよ。子供の頃色々測定しましたけれど、結果は全部平均以下でしたから」
「そうだったのかい。それは悪い事を聞いてしまったね」
院長は今度こそ、医療院の院長室の方に去って行った。
私はそれを見送りつつ、訳あり部屋の方に向かっていく。
処刑が明日だからなのか、最後に魔王のしもべの様子を見て見たい野次馬でも増えたのだろうか。
入口のあたりに、人が数人いて、話し合っていた。
「いよいよ明日だぞ」
「勇者様の姿をこの目に映せるなんてなんて幸運なのかしら」
「魔王のしもべがいなけりゃあ、そんな事もかなわなかっただろうな!」
「他の町では、魔王のしもべを一匹も見つけられなかったらしいぞ。だからこの魔王のしもべが、分裂して多数の魔王のしもべになっていたのではないかという話もでているって」
「勇者様たちが、処刑を見にくるのは、もしもの事があった時に、ダズエルを守るためだとも聞きますよ」
「勇者様たちが守ってくれるなら、安心して処刑を見物できらあ」
……
私はぐっと古新聞を握り締めた。彼等の意見はある方向から見れば正しくて、私が嫌がる理由なんて何もない。彼等の考えも人間として正しい。
私も、少しだけその話を聞いていた。魔王のしもべは分裂するのかを調べるために、処刑ののちに、魔王のしもべの死体は箱に詰められて、王都の研究所に送られるという噂を聞いた。
死体になってもなお、安らかに眠れないのか、とやっぱり胸が痛くなったけれど、私だって同じ人間で、まがい物の友達をやっているだけで、ここで噂する彼等と何も変わらないのだ。
だから。
ここでふざけるな、と怒鳴りたい心の、奇妙な感覚を抑え込み、彼等が無反応な扉に詰まらなくなって去っていくまで、隠れてやり過ごし、そして誰にも見つからないように、慎重に中に入ったのだった。
入って、いつもと同じように、魔王のしもべが床に座っていた。置きっぱなしにしていた、昨日まで置いた古新聞たちを、読んでいる。
「……これが、あんたの最後の古新聞になる」
私は、何と声を出せばいいか迷いながら、それだけを言って、魔王のしもべの前に立った。
この大きな体を見るのも、明日でおしまいで、明日になればこの相手は、首を落されて、この世から退場する。
どんな顔をしたらいいのか、分からなくなっている自分がいる事に、気付いてしまっていた。
だが魔王のしもべは、その言葉を聞いて、明日が処刑だと気付いたらしかった。
「あしタか」
「そう、明日、あんたは明日の正午、ギロチンで首を落されて処刑される」
淡々とした声を維持しようとして、うまくできなかった。妙に声がひしゃげて、おかしい、情なんて持たないようにしていたのに、やけに喉が苦しい。
友達のふりなんてしたからだ。
本物の友達みたいに感じてしまっている、心の一部が、死ぬ友に、投げかける言葉を探して泣きわめいていた。
偽物で、まがい物で、偽りの友情であるはずで、ふりってだけのはずだったのに。
今、私は、この相手がこの世からいなくなる事実を、つらい、と思ってしまっていた。
それを、その感情を押し隠して、私はいつも通りの声で続けた。
泣いてしまうなんて、できるわけあるか。いつも通りに、なんて事はない日常を続ける顔をして、この相手を見送るのだ、と意地を張った。
「最後になるから、いいものもってきた」
そう言って、私は服の中のポケットから、一粒の飴を取り出した。
魔王のしもべは、それを見て、不思議そうだった。
どうして今、この時に、飴なのだろう、と思ったのかもしれない。
飴という、高級品である砂糖を溶かして固めた物に見覚えがなかったら、これは何だろうと思うかもしれない。
そっちかもな、とどこかで思いつつ、言葉を続けた。
「……あんた、ずっと、ずいぶん笑えない、まずい食事しか、食べてないだろう? 死ぬ前に、甘い飴の一つくらい、許されると思って、さ」
事実この一週間の間の魔王のしもべの食事は、まともとはいいがたい質の、いかにも嫌われている、憎まれている存在が、かろうじて与えられているといった感じの物で。
美味しいとか、まずいとか、そういう基準とは大きく違う食べ物だった。
もっとましなものをよこせ、と言うと、魔王のしもべの仲間だと思われて、何が起きるかわからないから、私は状況の改善何て訴えられなかった。
だから最後、少しくらい、美味しい物を。
持っていても気付かれないくらいに、小さくて携帯しやすい物という事で、思いついたのが飴で、それを持ってきたのだ。
一粒でも、結構給料が飛ぶ、貴重な物だけれど。
最後の最後、いい夢だったと、思ってもらいたかったからだ。
服から取り出して渡した飴を、貴重な香料とかは一切入っていない、砂糖をとかして金色にしただけの単純な飴を、魔王のしもべはじっと見つめて、毒なんて絶対に入っていない、というかのように口に放り込んだ。
「……アまい」
しばらく口の中で舐めて転がした後、魔王のしもべは、そう言った。
「美味しい?」
「あア」
魔王のしもべは頷き、私が最後になるからと、持ってきた古新聞を掴んだ。
「さいゴマで、ゆメヲツづけてくレ」
その言葉を聞いて、私は昨日と何も変わらない態度を貫く事に決めた。
隣に座り込んで、肩を密着させて、古新聞をめくっていく。
たったそれだけの、静かな時間も、もう、終わりが迫っていた。
最後の食事だって、いい物を食べさせてやれない無力感とか、最後死ぬ時に、看取ってやれない事とか、色々頭の中で後悔したいものはあったけれど、それを言っても、何も変える事が出来ない私は、ただ、隣に座って、体温を分け合って、最後の一日を過ごしたのだった。
そしていつも通りの鐘の音とともに、私が寮に帰ろうとした時だ。
「さいゴにヒトつだけ」




