森の異常
出発地点からかなり歩いたところに少し開けた場所があった。倒木が多いので嵐の影響をモロに受けたのだろう。少し歩いたところから川が流れる音が聞こえる。水には困らないだろうし、かなりいい立地だろう。音のする方に行くと、川とそれに繋がる沼があった。
「なんだこれ……」
沼には何十、何百の魚が泳ぎまわっていた。バシャバシャと水面が揺れて落ち着きがない。魚たちは常に観光地のコイが餌をもらったときのような勢いで、怖ささえ感じる。レイスタさんもかなり引いているようだ。
「これは……異常ですね。しかも川に魚はほとんどいない。これだけ池に密集しているのなら競争を避けて移動してもいいはずなのに」
「でもこんな風になってるんだ? 森が豊かになったことと関係あるのか?」
「それはまだ分かりませんが……見てください。沼の周辺は明らかに木々や草花、ついでにキノコが豊富でしょう。ここまではっきりとした差はなかなか見られません」
たしかに、この森は全体的に様々な植物が生えているが沼の辺りは密度も種類も頭一つ二つ飛びぬけている。木々は川と沼に覆いかぶさるように茂っていて、差し込む日差しはわずかだ。
よくよく見ると、無数の魚たちはずっと沼の中心に向かって泳ごうとしていた。そういう盛り付けをされているかのように放射状に隙間なく広がり、水面を覆いつくしている。
レイスタさんが顔がついた杖の頭を捻ると槍の穂先が飛び出した。俺が仕掛けに驚く暇もなく魚群を一突きする。正直に言って鋭さも速さもあったものではなかったが流石に数が多いこともあって一匹は獲れた。
レイスタさんは槍に刺さったままの魚をじっと見つめた。俺が見てもやけにぬめっていることしか分からないが、魔法使い(仮)のレイスタさんになら何か思い当たることがあるのかもしれない。
「マナが多すぎる……」
「マナ?」
「ええ。この魚、鱗の光沢が強いでしょう? 本来この種類はこんな色をしていないのです。恐らくマナを必要以上に摂取し続けた結果、鱗がマナを帯びて光っているのでしょう」
聞いたことはある。万物は全てマナを帯びていて、マナの循環の中にあるということを村の子どもたちはみんなよく聞かされていた。昔話にもマナを操る魔法使いはよく出てくる。異世界転生したからにはせめてファンタジー世界であってほしいと思ってはいたが、まさか本当にそんなものがあるとは。
「それ、俺たちでどうにかできるのか?」
「魚が現在含んでいるマナを今すぐ排出させることはできませんが、これ以上摂取するのを防ぐことはできます」
レイスタさんはリュックからスコップを取り出すとズボンの裾をまくった。
「たぶんこの地点に何かがあります。それが森の異常な発達と……恐らく村の不作にも繋がっている」
「なあ、やめた方がいいんじゃねえの?」
「このまま放ってはおけませんよ。これからも住むなら余計に解決しないと」
「でもこの沼、深さも分からないんだぞ。槍刺して測るくらいしろ」
「……たしかに」
レイスタさんが槍を水面に差し込むとあっという間に沈んでいき、ついにはギリギリつかめるくらいまで沼に浸かってしまった。
「……」
「入らなくてよかったな」
「ですがこれでは調べようが……」
そのとき沼底から浮上してくる影が見えた。
「っ、下がれ!」
レイスタさんを無理やり引っ張って下がらせるのとほぼ同時に凄まじい量の水が溢れる。姿を現したのは巨大な魚だった。いわゆるヌシというやつだろう。ヌシは溢れ出た水のせいで岸辺に打ち上げられた大量の魚を意に介さず俺たちを一瞥した。
「避けろ!」
レイスタさんを突き飛ばす。その直後、巨大魚は水鉄砲のように水を噴き出した。俺は避けきれず肩を抉られるような痛みが貫いた。
「がっ……」
「ラフィム!」
「ばか、来るな……」
「赤き鳥よ、鮮血を捧ぐ。燃ゆる両翼で我らを包み給え」
ヌシは一度水に潜り、攻撃のためにもう一度浮かんでくる。
レイスタさんが何かを唱えると俺を抱きかかえたレイスタさんを中心に夕日のような色の障壁が生まれ、俺たちとヌシを遮った。ヌシはなおも人を殺せそうな勢いで水を噴出させているが、障壁に触れた途端ジュッという音をたてて蒸発していく。
障壁は無敵に見えたが、ヌシの方もただ攻撃を防がれているだけではなかった。一度深く沈み込むと尾びれを思いっきり反り上げる。そのたびに溺れそうなほど大量の水が障壁に覆いかぶさる。次第に赤い色が薄くなっていく。
「くそっ、相性もタイミングも最悪だ……」
「なあ、これ……まずいんじゃないか?」
「大丈夫です。私がなんとかしますから」
レイスタさんは持っていたナイフで腕を切った。すでに一度切っていたのか、二本目の赤い筋が白い腕に浮かぶ。
「フェネクスよ。この穢れた血を呷り、淀んだ命を焼き払い給え」
上から鱗粉が降ってくる。火の粉のようにも見えるそれは沼の水面や巨大魚に触れた瞬間に勢いよく燃え盛る。炎の雨を浴びせられたヌシは声なき悲鳴をあげて水中に潜った。しばらく何の音もしなかった。
「やったのか……?」
「いえ。水の中にいられては分が悪すぎます。ひとまず追い払えたのでさっさと逃げましょう」
レイスタさんは俺の肩を布で手早く止血すると立ち上がった。そのとき、俺はふと妙な事に気がついた。
「なあ、あの魚あれだけ大暴れしたのに全然水かさ減ってなくないか?」
「え……」
全部が一瞬だった。気づけば俺は洪水に巻き込まれ、沼に引きずり込まれていた。水が冷たい。薄暗い水中で家ほどもある魚と目が合う。息ができない。
ふと、何かと繋がる感覚があった。冷たくて柔らかい何か。それは俺を包み込むように全身を撫でた。
俺は何ともなしに手を広げた。ヌシの大きな口が迫る。走馬灯がすさまじい勢いで駆け抜けていく。舞い落ちる火の粉。何かが焼ける臭い。腕が鈍く痛んだ。
覚えているのは火傷しそうなほどの熱さと陸に打ち上げられたかのようにのたうち回る影だけだった。