前世の話と明日の話
俺は普通の高校生だった。チャリ通なので毎日自転車を走らせていたことも覚えている。いつもの交差点を左に曲がって……信号無視の車に正面衝突したのだ。しかも逆走車だった。 俺は間違いなく死んだはずだ。それなのに今こうやって座って話してるってことは……
「ここって死後の世界?」
「それだと私もあなたも死んでることになりますけど……」
違うらしい。ということは、あまり認めたくはないが、俺は異世界転生というものをしたようだ。今の俺には名前が日本人の高校生としてのものと、もう一つある。
「もしかしてさっき頭打ったんじゃ……。自分の名前は言えますか?」
「……ラフィム。名前は、ラフィムだ」
口に出すと記憶が整理されていく。
ラフィムは12、3歳の少年だった。両親は物心ついたときには亡くなっていて、ラフィムは村人で協力して育てられていた。と言えば聞こえはいいが、実際はあちこちの家をたらい回しにされていたというのが本当だ。労働力としてこき使われながら大きくなった。そして村の風習で成人の儀式として『天使の腕』を両手につけさせられた。
『天使の腕』とは村の宝である篭手だ。何かの伝説が名前の元ネタらしいが、ラフィムはあまり興味がなかったので覚えていない。ラフィムはまだ12歳なので成人にはまだ10年ほどあるのだが、村人は俺を早く大人として扱って働かせたかったのだろう。
「……『天使の篭手』っていう村の宝物を盗んだんじゃないかって疑われたんだ。俺は元々親がいなくて村のお荷物だったから嫌われてたからその腹いせだと思われてる」
「では、村には帰れない?」
「帰ったらさっきよりも酷い目にあうだろうな」
考えるだけで嫌になる。村からしばらく道なりに進めば町があるだろうから、そこで職を探すしかないだろうか。12歳で求職ってハードル高すぎだろ……。
俺が地味に落ち込んでいると、レイスタさんはいいことを思いついた、と言いたげに手を叩いた。
「実は私、隠居したいと思っているんです。それで人里離れていてかつ住みやすい所を探しているんですが、地元の方から見てここはどうですか?」
「その年で?」
「人を年齢で判断してはいけませんよ」
「まあ、人と会いたくないならいいと思うけど住むのはちょっと」
「悪いところが?」
俺はラフィムの記憶を掘り起こした。人格は完全に日本人だが体が記憶を忘れていないのか、思い出そうとすればだいたい思い出せる。
「すごくじめじめしてる。あと、化け物がいる、らしい。」
「化け物ですか……」
「まあ言い伝えだけどな」
レイスタさんは少し考え込む素振りを見せた。うーんと唸っているのを見ていてもしょうがないので残ったスープを掬う。ふと、追われているときに起こった妙な現象を思い出す。レイスタさんは探しものをしているのか荷物を漁っている。俺は目の前の何もない空間に向かってボソッと呟いた。
「ステータスオープン」
何も起こらない。
「すみません、何か言いましたか?」
「言ってない。ほんとに何も言ってない」
俺は恥ずかしくなってスープの残りをかきこんだ。
中世ファンタジーっぽい世界だからってステータス画面がある方がおかしいだろ。なんであれで何か起こると思ったんだ。
俺はさっきのことは忘れることにして、これからのことを考えた。さっき追いかけられたときはそれっぽい力が発動した気がするが、できることは暫定落とし穴だけだ。そんなものに頼るのは無理だろう。そろそろ夜が来るのでできればここで一晩泊めてもらって明日は町にむかって、
「明日、私と一緒に来てくれませんか?」
「え?」
「私はこの森に詳しくありませんから。化け物がいるかもしれないとのことですし、少ないですがお給料も出しますよ」
「やります」
その日はレイスタさんのテントで寝かせてもらい、翌日の早朝に出発することになった。
「うーん、ここにしましょうか」
レイスタさんが突然立ち止まる。この辺りはわりと村に近い方で、人里離れているとは言えない。ここでいいの? マジで? と思っているとレイスタさんは突然あちこちの木の枝を折り、持っていた顔の装飾がついた杖を地面に突き刺した。その杖の周りに小枝を置く。
「示しなさい。命湧き立つ豊穣を」
さっきまでしっかり立っていた杖がメトロノームのように大きく振れる。今にも地面にくっつきそうなくらいグラングランしている。あっちにいったりこっちにいったりしていた杖がふいにある方向を示してピタリと止まった。
「キェァアアア!」
声をあげてパタン、と地面に倒れ込んだ杖を拾い上げ、レイスタさんは俺を振り返った。
「あっちだそうです。行きましょうか」
「いや今のなに!?」
思わずツッコんでしまったがレイスタさんはなんてことないような顔で首をかしげた。
「占いですよ。突き立てた杖の周りに四方の自然の恵みを置いて豊かな地を調べるっていう。ここはどこも豊かですから杖も迷ったみたいですね」
「いやそうじゃなくて……」
言いたいことが色々ありすぎる。
いやでも、流石にここで魔法のあれこれを聞くのは空気が読めなさすぎる。一飯の恩で付いて来てるだけで、この人が住み家を決めたらそこでさよならなんだし。
「やっぱなんでもない。ここは凸凹が多いから気をつけろ。あ、その木の花の匂いを嗅ぐと酔っぱらうから離れた方がいい」
「まだ小さいのに森に詳しいんですね」
「ガキのころからじいさんに連れられて入ってたから。この森に詳しいのは俺と猟師のじいさんくらいだからあんたは運が良かったよ」
「おや、村にとって森は貴重な資源では?」
「やっぱりそうだよな。でも村のやつらはこの森を呪いの森って呼んで近寄らないんだ」
レイスタさんは森を見回した。葉をいっぱいにつけた木々は陽の光を黄緑色に透かして揺れている。遠くで鳥がチュンチュン鳴いた。ひんやりとしているのに湿った空気が頬を冷やす。
「そんな恐ろしい森には見えませんねぇ。豊かな森です。確かにちょっと鬱蒼としてますが、生き物の気配がするのはいいことですよ」
「でも村のじいさんばあさんが子どもだった頃とか、もっと昔はこんなに豊かじゃなかったらしい」
「急に木が生えだしたということですか?」
「流石にそこまで急な変わり方じゃなかったと思う。ただ、何十年もかけて森が成長するにつれて逆に村の畑は痩せていったらしい。川の水も減って、最近は天候は悪くないのに不作続きだ」
村人は自分たちの畑の栄養を森が吸い取っているように思ったんだろう。しかも最近は化け物が出るのだ。迷信深い村人が呪いの森と呼ぶのも頷ける。
「でも、あなたはそんな不気味な森に詳しいんですね」
「まあな。親がいないって言っただろ。子どもだから畑に行っても手伝いくらいしかできないし、猟師のじいさんについて行って猪とかを罠にかけてた。でも俺一人だとデカい獲物は運べないから、じいさんが腰をやってからは小動物だけだな」
「……頑張ってきたんですね」
後ろからレイスタさんが俺の頭を撫でた。同情してくれているらしい。俺は湿っぽい雰囲気を変えるように明るい声で言った。
「こことかいいんじゃないか?」