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狂気の正体

 ラフィムたちが広場で戦っている間、他の場所でも戦闘が続いていた。

 古本市が開かれていた道の奥では迫りくる狂った民衆と市民が泥沼の戦いを繰り広げている。


「くそ、全然減らねえ!」

「気絶させた奴に近寄るな! 感染する(うつる)ぞ!」


 彼らは手に武器を持って応戦するが、正気を失って襲いかかってくる人々が気絶すると、近くにいた人も同じように正気を失ってしまう。一度気を失うと正気を取り戻す者もいたが、一人意識が戻ると別の誰かが正気を失ってしまうので劣勢のままだった。


 レイスタには彼らが正気を失っているのではなく、何かに体が乗っ取られているだけだということが分かっていた。だが、それを伝えたところで戦っている人々が攻撃をためらい、傷つくだけだ。誰にも言えないまま、一人で策を考え続けている。


「レイスタさん、またけが人が……」

「そちらのスペースに寝かせてください。あなたは怪我していませんか?」

「ああ、またけが人が出たら運んでくる!」


 不幸中の幸いというべきか、レイスタは旅の荷物を持ったままだったので治療に必要な物を一通り揃えていた。そのため怪我人の治療に専念している。

 だが、このままではいずれ薬も包帯も尽きる。襲いかかってくる人々は元々一般人だったのだから、殺すことはできない。裏口からも正気を失った者たちが押し寄せており、誰も打開策を思いつけないでいた。


「すみません、そちらの包帯を取ってください」

「うん」


 レイスタが抱きかかえて連れてきた男の子が包帯を手渡す。名前を聞いても教えてくれないので、まだ「男の子」のままだ。

 このくらいの年の子もこの場所には大勢いる。今は本来カフェだった場所に籠城しているが、いつまでももつとは思えない。


「……どうかしましたか?」

「あの人たち、かわいそうだね」


 男の子の視線は窓の外、正気を失った人々との戦場に向けられていた。男の子が絵本を抱きしめる力が強くなる。


「彼らは私たちのために戦ってくれているんです。そんな風に言ってはいけませんよ」

「かわいそうだよ」


 レイスタはそこで初めて、男の子の視線が自分の身とレイスタたちを守ろうと戦う人々に向いていないことに気づいた。この少年はずっと正気を失い、何かを呟きながら人々につかみかかってくる者たちを見ていたのだ。


「小さい上着も大きいシャツも、短すぎるズボンだってきもちわるいよ。服はたくさんあるのに、ぴったりの大きさのは一つもないんだ」


 かわいそう。男の子の言葉がポツリと落ちた。


 レイスタは再び正気を失った人々を見つめた。彼らは何度も「これじゃない」「違う」とこぼしている。

レイスタは彼らに実体のない何かが憑りつき、肉体が気絶したら別の肉体に乗り移っているということは察していた。しかし、なぜそんなことをするのか分からないままだったのだ。


「……彼らはなぜ一つの体に決めないのか、分かりますか?」

「きもちわるいからでしょ? 自分のだと思ったのにちがうんだもん」

「それは……魂がやってきて、自分の体だと思って体に入ったら違う人の体だった、ということですか?」

「うん」


 少年は無垢な瞳でレイスタを見上げた。その青い目の奥で何か得体の知れないものがこちらを見つめている気がする。

 しかし、今はそれどころではなかった。


「水と香油を用意してください! 水はできるだけたくさん、香油は一瓶で大丈夫です!」

「そんなもの何に使うの?」

「彼らを正気に戻せるかもしれません」


 カフェにこもって怯えていた人々がどよめく。そんなことができるのかと半信半疑の人がほとんどだったが、一人の女性が「私、香油持ってるわ」と声をあげると何人かが「俺、裏手の井戸に行ってくる」「あっちにもおかしくなった奴らいるだろ。俺も行くよ」と行動し始めた。


 にわかに店内の雰囲気が明るくなったが、レイスタの顔は晴れない。


「でも、その後……誰かが犠牲にならなければ」



 カフェの外ではまだ乱闘が続いていた。店の二階から屋根に上った若者たちが下に声をかける。


「下を向け! 目が潰れるぞ!」

「は……?」

「いいから上を見るんじゃねえ! ……いくぞ!」


 若者たちが思いっきり桶の中の水を人々が入り乱れる道路にぶちまける。青緑色に輝く香油と薬草が混ぜられた水は文字通りバケツをひっくり返したように降り注いだ。

 レイスタがまじないを唱える。


『それはあなたの望むもの 幻想のひと時 目はくらみ、耳はふさがれる』


「うえっ、口に入った……なんなんだよ!」

「くっそまずい……」

「あれ? こいつら急におとなしくなった」


 さっきまで見境なく人々を襲っていた者たちはみんな自分の体をしげしげと眺めては喜んでいた。


「おぇの……おぇの体だ!」

「わたしの声がやっともどったぁ」

「お、おお……元に戻ったのか⁉」


 彼らの動きはかなりぎこちないままだが、もう他の人を襲う気配はない。レイスタは「理想の自分になれたと錯覚する」呪い(まじない)によって人々に乗り移っては暴れる魂に「これが自分の体だ」と錯覚させたのだ。だが、レイスタは焦っていた。


 これ以上はこの場ではどうしようもできない。今取れる最善の方法は最悪の犠牲を伴うからだ。


「どうしたの?」


 少年がレイスタの服を引っ張って尋ねた。


「いえ……彼らが大人しくしてくれている内に拘束しましょう」


 彼らは正気に戻ったわけではない。ただ本当の自分の体を探し求めている彼らに仮初めの満足を与えただけなのだ。

 気が重いまま少年と目を合わせたとき、その髪が透けたのが分かった。髪だけでなく、手も顔も、透明になりかけている。


「あなたは一体……」

「マナが足りなくなっちゃったんだ」


 少年はさみしそうに言った。たしかに息苦しい感覚はあったが、これがマナの減少によるものだとは思いもよらなかった。そもそも、普通に生きていればマナの増減に体が直接影響を受けることなどほとんどない。


「ぼくはずっと前に死んじゃったんだ。それでね、この絵本の石にね、ぼくの魂が宿ったの」


 少年は絵本の表紙にはめられた青い宝石をなでた。なぜか先ほどよりもずいぶん輝きを失ったように見える。


「あなたは幽霊だったのですね。だからご両親も……」

「うん。ぼくは魔法の力でぼくのかたちのままでいられるけど、あの人たちはできないんでしょう? だから本物の体がほしいんだ」


 レイスタは、虚ろな表情で喜ぶ人々を見やった。彼らの中身もまた幽霊なのだ。おそらく、少年は元々とてつもない魔力の持ち主だったのだろう。しかし、病気か何かで亡くなったときたまたま近くにあった石が、消えてなくなるはずだった魔力を吸収した。


 彼の無念を乗せた魔力は元気な彼の姿を映し出し、長い年月の間この絵本とともに過ごしてきたのだ。


「……」


 レイスタの胸の内に同情と自責の念がこみ上げる。こんないたいけな子どもがずっと孤独であったということに対する悲しみと、そんな子どもにつらい役目を背負わせようと一瞬でも考えた自分への恥かしさが一気に押し寄せた。


「いいよ」

「……何がですか?」

「分かんないけど、ごめんねって顔してたから。パパとママもよくおんなじ顔してた」

「私があなたをもう一度殺すと言っても?」


 少年はやはり、無垢な、澄んだ瞳のままだった。


「いいよ。絵本もね、最後のページには『おわり』って書いてあるんだ」


 レイスタは道に縛られた人々を並べた道の真ん中に立った。その手には少年の絵本がある。周りの人々が困惑したまま見守る中、儀式が始まった。

 必要なのはランタン一つ、オオデマリの花人数分、そして魂一つだ。


「『目を覚ませ お前はすでに命なき者 体なき者 行くべきところは 彼が示す』」


 レイスタがランタンを掲げると、オオデマリの花が風もないのに散っていく。絵本にはめこまれた石から魂が一つふわりと浮き上がった。


「ありがとう。ぼくに『おわり』をくれて。お兄さんが『おわり』になるまで、バイバイ」

「……ええ。きっとそっちに行きます」


 ささやくような声が聞こえる。レイスタに魂は見えない。だが、感じることはできる。自分の体を求めて彷徨う魂はみな、あるべき円環に帰っていったのだ。ずっと昔に作られた本が灰になって消えていく。

 不滅は狂おしく求められるものであり、何よりも恐ろしいことでもある。


「あれ……?」

「な、なんで縛られてるの……?」

「おい、俺が誰か分かるか⁉」

「ああよかった。今度こそ本当に元のあなたに戻ったのね……!」


 古本市の奥が喜びの声に包まれる。衛兵たちが近づいてきているのが見えた。ビリーやラフィムを探さなければ。


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