広場での戦い
「グギャ!」
間抜けな声とともに中途半端に閉じた口が固まった。歯と歯の間に開いた口と同じくらいの大きさのシールドを展開することでそれ以上閉じられなくしたのだ。
「エリザ、今だ!」
「なっ……自分で避けてくださいましね! 『炎の精霊 振り下ろされよ その燃える剛腕』」
エリザの後ろから出現した炎が収束して拳へと形を変えていく。俺が慌ててジェヴォーダンの鼻先から飛び降りるのと同時に牙がシールドに引っかかって動けない狼に炎の鉄槌が下った。
「はあっ、はあっ……」
「大丈夫か?」
「お気に、なさらないで……。ただ、一気に魔力を失い、すぎで……」
ジェヴォーダンは火の中でもがいているが、丸焼きになるのも時間の問題だろう。だが、問題なのはもう一人の方だ。人食い狼を手なずけるなんてよほどの実力者にしかできない。だがその少女、メアリーは困った顔で炎を見つめていた。
「……メアリー、あなたどういうつもりですの⁉」
「質問の意図が不明です」
メアリーはこっちを向いたが攻撃してくる気配はない。そのそっけない回答にエリザは青筋を立てた。
「このお祭りは遠方からもお客さまがいらっしゃる盛大なものですわ。大人も子どももこの日を楽しみにしていたんですの。それが、どれだけの方々が被害を受けて怖がり、不安に思ったか分からないんですの⁉」
「現在、周辺に存在する人間の数が少ないため、調査不可能です」
「そういうことを言ってるんじゃありませんのよ!」
エリザが再び怒鳴ったとき、メアリーは突然耳を抑えた。
「……承知しました。隔離結界を起動。障害を排除します」
メアリーが赤く光る石を取り出すと周囲のマナが石に吸い上げられていく。膨大なエネルギーが一点に収束し、広場を覆うような結界を展開した。
俺たちも外に弾かれる。
「な、なんですのこれ⁉」
「周囲のマナを取り込み、高密度に配列して形成された結界です。人間の力では傷をつけられません。また、現在結界周辺のマナ濃度が80%低下しているため魔術を使用して攻撃することも不可能です」
「そんな……」
「要はマナで作られた結界だろ。『接続』———『拡散』」
だが、マナの密度で勝負する結界は俺と相性最悪である。俺が結界に手を触れるのとほぼ同時に砕け散った。
「……想定外の事態が発生しました。結界の完全な破壊を確認。該当の結界は現存する技術の中で最高密度、最高硬度のものです。該当の結界にマナを使用しすぎたため、結界を再構築できません」
メアリーが耳を抑えながら言った。まるで誰かに報告しているようだ。
俺はエリザを振り返った。だが、明らかに様子がおかしい。さっき魔術の使いすぎで息が切れていたときよりも体調が悪そうだ。顔が真っ青で、息が震えている。
「ど、どうした? さっきの結界のときなんかされたか?」
「魔力が……」
「お前が何かしたのか?」
「私が意図した状態ではありません。マナ器官に貯蔵されていたマナが極端に減少している状態で周囲のマナが希薄になると急性魔力欠乏症が起こり、動悸やめまいなどの症状が出ます」
なぜかメアリーは律儀に答えてくれた。だが、もしそれが理由だとしたら対処のしようがない。
空気中のマナ濃度を薄くした原因である結界は俺が壊したが、それは窓ガラスを叩き割ったみたいなもので、ガラスを分子にまで分解したわけじゃない。だが、今エリザの魔力欠乏を治すには分子にまで分解されたガラスが必要なのだ。
「グ、ガウウ……」
最悪の事態だ。さっきまで火だるまになっていたジェヴォーダンの獣が起き上がっている。さっき石にマナを吸われたせいで火の勢いが弱まったのだ。
まだ火をまとったままのジェヴォーダンが水浴びした後のように体を震わせると、残っていた火も煙を上げるだけになった。火傷を負わされた獣は先ほどよりも獰猛に光る目をこちらに向けた。
「ウソだろ……」
エリザは動ける状態じゃない。応援の兵士も来ない。絶望的な状況だ。
「ガアアアッ!」
ジェヴォーダンが嬉々として獲物にかぶりつこうとする。シールドで防げはするが、ジリ貧だ。攻撃に対応するのが精いっぱいでメアリーの位置を確認する暇もない。
「グオオオオッ!」
上から襲いかかってくるのと同時に後ろ足でシールドを蹴る。間髪入れずに鋭い牙がシールドをうがった。メキメキと壊される音が聞こえる。
「逃げて……くださいまし」
「そんなことできるかよ!」
「私が足を引っ張ったせいで、罪もない子どもが死んでしまったとあっては、ハクス家の名折れですわ。だからどうか……」
どうか、とエリザは息も絶え絶えに言う。だが、そんなことを言われて、はい分かりましたと言えるほど俺は恥知らずな人間じゃない。
「シールドが破られたらすぐ張りなおす。それでちょっとずつ下がっていこう」
「こんなもの、何度もできることじゃないでしょう!」
「できるできる。完全にマナに戻りきってなくても再利用できるから」
「そ、そんなこと、どうやって……。そもそもどうやってこんな強力な防御魔術を……?」
「さあ……?」
いよいよ音が大きくなってきた。マナを継ぎ足して補強するのも限界だ。俺はエリザを後ろにかばってシールドを張りなおす準備をした。
ジェヴォーダンが後ろ脚をもう一度高く上げた。
「……ギャウン!」
「え」
そのままの姿勢で巨体が真横に吹き飛ぶ。身構えていたはずの俺たちはあっけにとられるしかない。
ガチャン、という金属音が聞こえた。音のする方をみると全身鎧に身を包んだ人物がこちらを無言で見ていた。さっき助けた兵士は鎧の雰囲気というかデザインが明らかに違う。もっと偉い人なのだろうか。
「た、助けてくださって感謝申し上げますわ。……どちらに所属の方かしら」
「……」
全身鎧の人物は答えない。だが、その鎧は見覚えがあるような気がした。鎧の人は手に持ったハルバードでジェヴォーダンを追撃する。
「ガウウ——!」
「……」
ジェヴォーダンの威嚇を意にも介さずハルバードを振るう。あれだけ焼かれても火傷程度で済んでいた毛皮から血が滴った。腕に噛みついて動きを止めようとしてもすぐさまもう片方の腕に持ち替えたハルバードで鼻面を叩く。
その後ろ姿を見つめながら記憶を手繰り寄せる前に地面が揺れて思考が中断される。
「もう、今度はなんですの⁉」
「まもなくモール・カンセルが召喚されます」
「なに……?」
「私たちの目的は完遂され、作戦は終了します」
「まさか、ウソでしょう……?」
お読みいただきありがとうございます