異変のはじまり
今日起きたら12時過ぎてました。悲しい。
バザーもなかなかの賑わいだった。古着や木彫りのペンダント、欠けた食器まで売られている。見ているだけで楽しくて一人でフラフラ進んでいると、気がつけば店はまばらになり、人通りも減っていた。端まで来てしまったようだ。
もう太陽の反対側は藍色に変わってきている。約束の6時にはまだあるが、あまり広場から遠ざかるのもよくないだろう。
「ボウズ、一人かい」
突然声をかけられて心臓がすくみあがった。ボロボロのテントにしわくちゃのおじいさんが一人で座っている。金物を扱っているようで、錆びたり取っ手が一部なくなったりしている鍋やフライパンがまばらに置かれていた。
「父ちゃん母ちゃんがいるなら呼んできな。いい物売ってるからってな」
「は、はぐれたからどこにいるか分かんない……」
笑ってごまかす。お世辞にも品質がいいとは言えないものばかりだが、その中で一つだけ一目で高いと分かるものがあった。
鎧だ。中世の騎士がつけている甲冑そのものがたった一人、主を待っているかのように立っていた。その迫力に飲まれてただ見上げるしかできない。
「この鎧はな、ずっと西の戦場で見つかったものだ。周りにあるのは倒れた死体や壊れた武器だけなのに、この甲冑だけはまっすぐ立っていたらしいぜ。まるで、敵が来るのを待ってるみたいにな」
「……だれか着てたのか?」
「いいや。死体を漁りに来た浮浪者が見つけたときには誰も入ってなかったそうだ。ただ、その足元には誰のとも分からん首が転がっていたらしい」
強い風がテントを揺らした。柱に吊るしてある錆びたランタンが甲冑の頭に当たる。案外軽い音がして鎧が俺の方に倒れてくる。
「うわっ……!」
慌てて支えるが、俺ごと倒れそうになる。鎧の頭が取れて石畳に転がった。だが、思ったほど重くはなく、なんとか鎧を元の態勢に戻せた。
店主が落ちた兜を拾う。
「っはあ……」
「おいおい、兜に傷がついてんじゃねえか」
「はあ?」
「これは弁償してもらわねえとな。弁償って分かるか? 金を払って償うって意味だよ」
それを聞いて、なぜ親を呼ばせようとしたのか分かった。この男は風で鎧が倒れなくても何かしらの理由で俺が売り物に傷をつけたことにして金を巻き上げるつもりだったのだ。俺は最大限焦った顔をした。
「ご、ごめんなさい……いくら?」
「そうだなあ、ざっと金貨1枚ってところだな」
「そんなあ⁉ そんなにお小遣いもらってないよ! 父ちゃん呼んでこないと……ちょっと行ってくる!」
「あ、おい⁉」
俺は脱兎のごとく逃げ出して広場に戻った。しばらくバザーには近寄れないだろう。ステージではまだ歌とダンスが続いている。広場を囲うように様々な出店が飴や食事を売っている。晩ご飯前だが、ここで小腹を満たすのもいいかもしれない。
などと考えていると、目の前に誰かが現れた。
「あなた、お時間はよろしくて?」
「え?」
「私、このお祭りに参加するのは初めてですの。お時間が許すなら、案内してくださらない?」
俺より少し年上の女の子のようだ。仮面をつけているので顔立ちはよく分からないが、喋り方がお嬢様っぽくて訛りがない。貴族や富豪の令嬢だろうか。
「いや、俺も初めてだから案内とかは……」
「あら、そうですの。でもお買い物の仕方は存じていらっしゃるでしょう? それを教えてくださる?」
それも知らないのか。どれだけ箱入り娘なんだ。
という驚きで反応が遅れたのをいいことに、お嬢様は俺が了承したと受け取ったようだった。
「あなたの分も私が払って差し上げます。べっこう飴、というものはどこに売っているのかしら?」
「……飴以外も食べたいんなら最後の方がいいよ」
「まあ、そうですの。では、こう……かぶりつくようなものが食べたいですわ」
「あー、それならあっちのソーセージとかどう?」
「ソーセージ……聞いたこともありませんわ」
そう来たか。お嬢様は未知の食べ物に期待を膨らませ、反対方向に歩き出した。
「そっちじゃない! 場所も知らないのに自信満々に歩くな!」
「私に向かってなんて口を……、そうでした。今は私、ハクス家の娘じゃないんでしたわ」
今かなり重大情報が聞こえた気がする。
お嬢様改め大貴族ハクス家の深窓の令嬢は優雅にお辞儀をして見せた。
「私はエリザと申します。以後お見知りおきを」
「俺はラフィム。……以後おみしりおきを?」
俺の祭りの残りは彼女に費やすことになりそうだ。
レイスタは賑わいを見せる古本市で興味を引く本を物色していた。最近は活版印刷技術が生まれたおかげで本が安く手に入るようになり、庶民でもある程度裕福なら買えるようになっている。レイスタは本を買うほど金に余裕があるわけではないが、どんな本があるのか眺めるだけでも面白い。
「……っと、すみません。大丈夫ですか?」
よそ見をしながら歩いていると、誰かにぶつかった。慌てて前に視線を戻すと目の前にいたのは小さな男の子だった。かなり強くぶつかった気がしたが、全く痛がる気配もなくレイスタを見上げている。
「大丈夫だよ。何も痛くないよ」
「怪我がなくてよかった。お父さんやお母さんがどこにいるか分かりますか?」
「分かんない」
ずいぶん堂々とした迷子である。レイスタは思わず苦笑してしまった。
「どこでお父さんとお母さんとはぐれてしまったか分かりますか?」
「……ずっと昔?」
「ずっと昔ですかー」
これは両親を探すのに手間取りそうだ。もう衛兵の詰め所に行って探してもらった方がいいかもしれない。
「ぼくの絵本、買って」
詰め所を探そうと周囲を見回していると、男の子がレイスタに何かを差し出した。古いが分厚い表紙に青い大きな宝石がついた絵本だ。子どもが持ち歩くには豪華すぎる物だ。
「こんなにすてきな絵本なんですから、大事にしてください」
「この絵本買って」
少年は本気のようだった。だが、いくら本気でも小さな少年から親が買い与えた絵本を買い取るわけにはいかない。レイスタは困り果てて近くで出店している店主を探した。他の買い手を見つけようとする前に両親と引き合わせなければならない。
「すみません、……あれ?」
だが、すぐそばの店には誰もいなかった。ただ古ぼけて表紙の字も読めない本が平積みされている。いくら古本とはいえそれなりの値段がかかるものだ。商品すべてを放り出して遊びに出かけたわけではないだろう。レイスタは首を傾げた。
その間にも少年は「買って買って」とねだっている。
「待ち合わせに間に合うかな……」
レイスタの口からため息が漏れたときだった。広場に続く通りの向こうから悲鳴が聞こえてきた。
「お、おい何があった⁉」
「分からん……ぐあっ!」
「大丈夫か⁉ しっかりしろ!」
「あ、ああ……ぐうう……」
突然、男の一人が倒れた。何か呻いているが目の焦点が合っていない。男はしばらく苦しんでいたが、急に起き上がった。
「もう平気か……? どうしたんだよ、持病でもあるのか?」
「ア、ああ、コレじゃないィ……キモちわリいよー。……お前か?」
「……なんの話だ?」
「離れてください!」
「カエセッ!」
レイスタは介抱しようとした男性に襲いかかった男から男性を引き離した。様子がおかしい男はなおも男性に殴りかかろうとする。
「だ、誰か衛兵を呼んできて! 急に何人か様子がおかしくなって、周りに襲いかかってるのよ!」
「こんなのが何人もいるのかよ! おい、早く逃げよう!」
「え、ええ……!」
古本市に集まっていた人々は我先にと広場の反対方向に逃げ出していく。レイスタの頭にラフィムとビリーのことがよぎった。この騒ぎがここだけの問題ではなかったとしたらあの子たちも危ない。
「お兄ちゃん、どこ行くの?」
「あ……」
思わず群集と反対方向に駆け出そうとしていたレイスタを引き止めたのは、コートを掴む小さな手だった。この子を置いていくわけにはいかないが、今はパニック状態で子どもを任せられるような人などいない。
レイスタは少し迷って、その小さな体を抱き上げた。
「逃げましょう。私に捕まっていてくださいね」
「うん」
後ろからは明らかに動きがおかしい女性や何度も転びながら走ってくる太った男が追いかけてきている。
レイスタは走りながら仲間の無事を祈った。
「みんな、ぼくと似てるけどちがうね」
少年が絵本を強く抱きしめながら口にした言葉は、人々の悲鳴に紛れて誰にも届かなかった。