ウしノクび
仕事で茨城県に来ている。
牛久の大仏さまが聳え立つ後ろ姿が非現実的で、おもしろい。
山の中のような道を車で走る。ここが山の中ではないというのがおもしろい。
普通に人間の生活圏なので、1台の自転車が走っていた。車道があまりに狭く、大型トラックの横幅ぎりぎりしかないので、自転車は歩道を走っていた。
黒いプリントTシャツを着た男性だ。背中に大きく『大○しか勝たん』とプリントされてあるが、洗濯のしすぎなのか、文字がかすれてしまっていて、何しか勝たんのか、読み取れない。
文字の横には何やら絵のようなものがあるが、それもかすれてしまっていて、写真なのかイラストなのかすら判然としない。物々しい感じがするのでアイドルではないような気がするが、とにかく何もわからない。
男性はスマホを見ながら自転車を漕いでいる。
車道の狭さに合わせるように、最初はそこそこの広さがあった歩道が、じわじわと狭くなって来た。それでも男性はスマホを見ながら自転車を漕ぎ続ける。チラチラと前方を確認してはいるが、スマホに落とす目は止まらない。もしかしてヤケになっているのだろうか? と私は思った。三日後に死ぬことが決まっているから、今すぐ自転車から落車して、車道をぎりぎり走る大型トラックに轢かれてミンチになっても、別に構わないと思っているのだろうか?
いや、そんな顔ではなかった。
明日も明後日も、10年後も50年後もあると信じて疑っていないような、ぽかんと口が半開きの男性だった。
三日後に死ぬとウしノクびから予告されていても、そんな顔でいられるのだろうか?
私は思う。牛の首という怪談は、その誰も知る者がいないという内容が恐ろしいのではない。それを聞いたら三日以内に訪れるという死そのものが恐ろしいのでもない。
死んでしまえば安心だ。あとは何も恐ろしいことなどない。
あるいは死ぬまでは行かずに気がふれるのだとしても、気がふれてしまえば安心だ。何も考えることはない。親兄弟には迷惑だろうけど。
三日後に死が来ると思いながら、生きることに恐怖があるのだ。
牛の首という怪談は、きっとありふれたものだ。全米が震撼した、試写会で客の99%が怖いと言った、そんな映画を観て『普通じゃん』と思うようなものなのだ。しかし、それは聞いた者に次のような後付を残して終わる。
これを聞いてしまったあなたは三日後に死にます。
そして怪談の内容がそれを信じさせるようなものであるのだ。
あの自転車の男性に是非聞かせたいようなものなのだ。
彼が牛の首をもし聞いていたなら、あんな顔で狭い山道のようなところの狭い歩道を、スマホを見ながら自転車を漕ぐなどということは出来ないであろう。
きっと残り三日の人生を真面目に生きようと考えはじめるか、あるいは発狂して三日経たずに牛久大仏の頭の上から飛び降りるか。
いや、私はべつに彼を殺したいわけではない。
ただ、あまり私に近寄るなと、それが言いたいだけであった。
茨城の朝は納豆の香りがする。