魔王は追放されてしまったようです。
「魔王、だと? お前が......?」
身体から発せられていた威圧感はすさまじかったが、俺はまだ信じきれなかった。
俺よりも年下に見えるし、聞いていた話と全然違う。戦争を始めた魔王は、男だと聞いている。少なくとも、こんな少女だという話は噂でも聞いたことがない。
「はぁー、これだから妾は人間が嫌いなのじゃ。事実を突きつけてもあーだこーだ駄々をこねて信じようとせんからのぅ」
エリンがため息をつきながら呆れたように首を振った。その態度に少し、イラっと来る。人間が嫌い? 俺だって魔族なんか大嫌いだ。
「エリンと言ったな。なら、聞くが、なんでお前はこんな森の中にいたんだ。魔王なら魔王の城にいるはずだ!」
そもそも、おかしいのだ。魔族の総大将である魔王がこんな場所にいたら。
古来より魔族は魔王によって支配されている。最強の魔族である魔王は、魔族たちの切り札だ。それこそ、最強の勇者とそのパーティが束になって掛からないと勝てないほどに。そんな魔王が、肉を食わせろと叫ぶ妙ちくりんな少女であるはずがない。
......あってたまるか!
「常識に囚われたカチコチな頭をしておるのぅ。妾より若いんじゃからもっと柔軟に生きるがよいぞ小童。偏屈になるのは年をとってからじゃ」
「大きなお世話だ!! 質問に答えろ!! お前が魔王だとして、なぜここにいる!!」
思わず声を荒らげるが、エリンはどこ吹く風といった顔でニタリと笑った。
「では教えてやろう、人間の小童。妾はな、四天王に裏切られ、追放されたのじゃ!!」
一拍の沈黙の後、ヒューと風が吹いて、落ち葉が舞った。
『ふふん、妾が最強すぎて彼奴らは恐れたのじゃ!』、と鼻息を荒くして構わず続けるエリン。いや、全然すごくもなんともないぞ。追放されたのに何を自慢げに言っているんだコイツは。
どうしよう、なんだかもう、バカらしくなってきた。こんなモノに警戒して怯えていた自分が情けなくなってくる。
「......もういい。で、その最強の魔王様がなんで追放されたんだよ。恐れたって具体的に何を?」
俺は構えていたダガーを鞘にしまって、その場で胡坐をかいた。俺が座ったのを服従の証と取ったのか、エリンはローブを着ていてもわかる、小さくて貧相な身体をさらに反らして俺を見下ろす。
フンフンうるさい鼻息も大きくなっていき、ドヤァという擬音が似合いそうな笑顔が浮かぶ。
......あぁ、わかった。これは確かに恐ろしいぞ、バカすぎて。
「よくぞ聞いてくれたな小童! 力を取り戻したあかつきには、貴様を我が廷臣として迎えてやろうかのぅ!」
やかましい高笑いを一つすると、エリンは事の顛末を語りだした。自分がなぜ追放されたか、そしてなぜこんな森にいたのかを。
「ことの経緯は10年前に遡る。妾の父、リンヴィル・リーデスターク・リーチェ23世は、スキルの継承に失敗し命を落とした。過ぎたる力を求めたことによる自滅じゃ。数多くの部下のスキルを奪って無理矢理継承した挙句の自滅とは、笑い話にもならん」
人間も魔族も、スキルを他者に譲渡し継承させることができる。人によって数は違うが、平均して2つか3つ。
魔族の場合は、さらにスキルを他者から奪うことができる。これが人間と魔族の違いだ。
魔族の王である魔王は、100を超える多くのスキルを継承できると聞く。
「相反するスキルを継承してしまった、ということか。魔王は」
とはいえ、スキルの継承にも重大な欠点がある。相反するスキル同士を継承してしまうと、スキル同士が反発しあって暴走してしまう。最悪、死んでしまうのだ。
欲をかいて光魔法スキルと闇魔法スキルを両立させようとして死ぬというのは、よくある話だ。
「その通りじゃ。父上は貪欲に力を欲した結果、反発しあう複数のスキルを取り込み、あえなく死んだのじゃ。四天王としてもこんな情けない死に方をしたとは言えず......妾は戦争終結まで即位したことを伏されることになった」
なるほど、一応は筋が通る。自国の王が戦死や謀殺でもなく、ただ単に自業自得、欲をかいた事故で死んだとなれば、前線にいる兵士たちの士気はダダ下がり。
仮に死因は伏せたとしても、人間側のプロパガンダであることないことを言いふらされてしまうだろう。
「即位してから10数年の間は、妾も父上の後を継ぎ魔族たちを束ねておった。じゃがのぅ」
自信気に反らされていたエリンの身体が、伏し目がちに少さく丸められる。
声のトーンからも、うるさいくらいにあった元気がなくなる。
雰囲気も、見た目のような年相応の弱々しいものに変わった。
「―――妾は、のぅ? 人間と魔族が争うのは止めにしようと思ったの......ひゃあっ!?」
「争いを止めるって、どういうことだ!?」
俺は思わず立ち上がって、エリンを見下ろす。理解が追い付かず、エリンの両肩を掴んで何度も揺さぶった。
「そ、そのままの意味じゃ! 妾は人間と魔族の戦いを永久に止めることを決めたのじゃ!」
エリンは、24代目の魔王だ。言い換えれば24世代目。
2000年以上もの長きに渡って。
何世代にも渡って、人間と魔族は周期的に戦争を繰り返してきた。
それは、世界の定めだ。人間が魔族と相容れたことはなく、魔族が人間を対等なものとして見たことはない。だから、俺たちは戦い続ける。魔王が現れ、勇者が現れ、血で血を洗いどちらかが完全に滅びるまで、何度でも戦争は起きていく。
「妾は思ったのじゃ! 人間と魔族は争い合うなどというこの世界の定めを壊したいと!!」
その常識を。この魔王は、打ち壊すことを願った。父親のした宣戦布告よりも大それた願い。
世界の在り方そのものに、エリンは喧嘩を売ることを選んだ。
「なんで壊したいと思ったんだ。理由を聞かせろ」
「父上が継承に失敗して死んだときから、妾の中に燻っておったのじゃ。この世にはきっと、継いで良いものと継いではならぬものがあると。四天王どもと見た前線の光景。忘れることはできぬのぅ。人間は嫌いじゃ。じゃがな、嫌いと血を流させたいは違う」
『故に!』と叫び、エリンは王族がするように、ローブをマントに見立てて翻した。
俺を見つめる両眼には、強い意志が感じられる。
エリンは、本気で言っているんだ。魔族と人間の戦いを止めたいと。
「故に、四天王どもは妾のスキルと力を奪い、追放した! 魔王にふさわしくないと申してな! この3年、世界を放浪しついに妾は見出したのじゃ!! グリフィンをいとも容易く打ち懲らした手腕!! 小童、妾の軍門に下れ!! 四天王どもを打倒し、ともに新たな未来を創る栄誉を噛み締める栄誉をやろうぞ!!」
鼻面に向けて、力強く突き出された人差し指。エリンは、まっすぐに俺を指さしている。
俺が勇者パーティに加わり旅をしてきたのは、俺の故郷を焼き払った炎の四天王を倒すためだった。同じ敵、同じ仇を倒す、という目的なら俺とエリンは一致している。
「さぁ、小童よ。お主の答えを聞こうぞ!」
「俺の、答えは」
聞くまでもない。俺の答えは既に決まっている。
「―――断るっ!!」
「そうか、やはりそう言うと........って、ふえぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!? なぜじゃァ!? そこは『この犬にも劣る卑しき下僕は、貴女様の豚となり四天王を打ち倒します』と申すところじゃろぉ!?」
「誰が言うんだよそんなこと!? ......冗談はさておき、お断りだ。お前の理想はわかった。でも、俺は断らせてもらう」
俺は、エリンの申し出を断った。
確かにエリンの言っていることは素晴らしいと思う。共感さえできる。
でも、協力は無理だ。だって俺はただの魔獣使い。人より強力な魔物を従えられるがそれだけだ。世界の在り方に喧嘩を売るようなこと、できるわけがない。
「うぅー! お主それでも男か!? 乙女の一世一代の戦いに手を貸さぬだと!?」
「乙女って......。あのな、そういうのは勇者パーティに言え。炎の四天王の支配領域に向かってるはずだから、そこまで行けば会える。適当なモンスターを捕まえて送って行ってやるから、あとは勇者パーティに頼めよ」
「勇者パーティじゃと!? お主、妾に死ねと申すか! 勇者など問答無用でモンスターを嬲り、魔族を切り伏せる野蛮人ではないか。おぉ、おぞましい!」
エリンはわざとらしく肩を竦めて、小ばかにしたように両手の掌を上に向けた。
何言ってるんですか、頭湧いてるんですか、のポーズだ。
「あのなぁ! ゲイルはそんな奴じゃない。魔王とはいえ丸腰の女の子を切るような奴じゃなあ、いや....その」
俺は慌てて口を抑える。酷い仕方でパーティを追い出されたとはいえ、ゲイルは俺の親友だった。だから、つい言い返してしまった。
どうしよう、面倒なことになるぞ。最悪なことに、こういう時の俺の直感はよく当たる。
「ほぅ? ほほぅ? ほぉーん? なんじゃ小童。お主、勇者の知り合いじゃったのか」
エリンはジロジロと俺の顔を覗き込んでくる。やめろ鬱陶しい。育ちが悪いぞお前。
「詮索しないでくれ」
「図星じゃのぅ。申せ。何があってお主はこんな場所で燻っておった。ん?」
俺が口を開く前に、さらに言葉が被せられた。被せられた言葉に、俺の心臓はドキリと嫌な仕方で脈打つ。一番突かれたくないところを突かれてしまって。
「小童。お主の掛けられた呪い、勇者あるいは勇者パーティが関係しておるな? そのことも洗いざらい申せ。魔王として命ずる。力を奪われたとはいえ妾は魔王。気付いていないとでも思ったか?」
そう言って、エリンは指の先でコツコツと額の角をつつく。拷問魔法などの精神魔法を、魔族は角に宿る魔力で相殺できる。≪憎悪の文様≫は、あくまで人間の捕虜を拷問するために開発された魔法にすぎない。
「......わかった、話す。話すからジロジロ見るな鬱陶しい」
俺は、エリンに起きたことをすべて話した。
勇者パーティを魔獣使いだからという理由で追い出されたこと。ジェーキンスに拷問魔法を掛けられて、もう人の村や町では暮らせなくなったことも、すべて包み隠さず話した。話してい
るうちに、あの時に感じた惨めな気持ちが思い出されていく。
気が付けば、目からはぬるい涙がつぅっと滴り落ちていた。
「なんじゃそれは。なんと女々しい! 小童、いやアッシュ! 近う寄れ! ほれ、早く!」
確かに、女々しいよな。いつまでもウジウジして泣いて。こんなだから捨てられたんだよ、きっと。ジェーキンスにも気色悪いって言われたし。
「なんだよ。あっ......」
「よーしよし。よぅ一人で堪えてきたのぅ。お主は強い子じゃ。アッシュ、この魔王エリンが褒めて遣わす! 寄ってたかってお主を嗤うとは、なんと女々しい朋輩どもであろうか!!」
抱きすくめられて、頭を撫でられる。小さくて、力仕事なんかしたことのないような、柔らかい掌の感触が伝わる。誰かにこんなに優しく抱きしめられたのは何年ぶりだろう。
背中を擦られるたびに、ストンと、何か背負い込んでいたものが落ちていく。
誰かのくれる温もりって、こんなに温かかったんだな。
「は、離せよ」
「おうおう、妾の胸の中で泣くのは恥ずかしいか。くくく、愛やつめ」
気恥ずかしくなって、俺はエリンから逃げるように離れた。自分よりも小柄で、幼く見える子に慰められるなんて、恥ずかしすぎる。
「なおさら妾は勇者パーティに助けを乞う気を無くしたのぅ。こうしよう、アッシュ。力を取り戻せたあかつきには、真っ先にお主の呪いを解いてやろう。じゃから、のぅ? 妾の軍門に下れ」
「......俺はまだ、お前を......信用しきれてない」
自分の中で踏ん切りがつかない。呪いは解きたいし、この手で炎の四天王を倒したい。
他の残る二人の四天王だって、倒せれば世界にひと時の平和が戻る。
(でも、エリンは本当に信用できるのか?)
懸念材料はエリンだ。
力を奪われた結果、こんな子供みたいな見た目をしているが、エリンの中身は魔王。さっき俺を慰めたのも、策略の一つかもしれない。
そう思うと、力を貸す気にはなれなかった。四天王に力を奪われたのだって、もしかしたら過激な思考を持っていたせいかもしれない。エリンが嘘をついている可能性は、拭えないのだ。
「―――強情な奴よなぁ。疑り深さもそこまでくると一種の美徳じゃのぅ。ではその気にさせてやろう。そもそもお前が炎の四天王を勇者パーティよりも早く倒さねば」
『勇者パーティは皆、死ぬことになるぞ』、と。
エリンの言葉が夕暮れの空に響く。だが、俺の心をかき乱したのは、続く言葉だった。
「なぜならアッシュよ。断言するぞ、お主の朋輩のゲイルとやら。聖剣に選ばれし勇者ではないからじゃ」
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