女の子と鏡とクマのぬいぐるみと
キラキラした青空色の瞳がさっきからずっと僕を見つめている。
僕はお爺さんの骨董品店の片隅にいつも座らされているクマのぬいぐるみ。
女の子が抱っこするにはやや大きすぎるし、それにお爺さんの店にくる前は立派なお屋敷で飾られていたくらいだから、お値段もそれなりだ。
そんな僕の正面に立ち、熱視線を送ってくる女の子には見覚えがあった。
お母さんと一緒にお店の前を通る度に僕を指差したり、時にはショーケースに張り付かんばかりに顔を近付けていたからだ。
お母さんはいつだって女の子が満足するまで僕を眺めさせていた。
今日はなんでひとりで、しかもお店の中にまで入ってきたんだろう?
僕の声が聞こえたかのように女の子がこっそり内緒で教えてくれた。
「あのね、今日はお母さんのお誕生日なの。だから、あたし、お母さんにプレゼントを買いたかったんだけど、どこのお店を探しても持ってるお金で買える鏡がなかったの。お母さんの鏡ったらヒビが入ってて、お化粧するのがそりゃあ大変なんだから」
雪の止まないこんな日に何軒も探し回ったせいで女の子の靴はビシャビシャに濡れていて、小刻みに足踏みしないと冷たくて痛むようだった。
「だから、あたし、鏡を買うからあなたを買えないの」
あぁ、これは僕に言ってるんじゃなくて、自分に言い聞かせているんだ。
女の子のコートのポケットで裸のままの硬貨がチャリチャリ鳴っている。
そのお金は女の子史上、一番の大金なんだろう。
きっと雪の中を歩きながら、その金額でできる色んなこと、例えばアップルパイを食べてみたり、ホットチョコレートを飲んでみたり、真っ赤な手袋を新調したり、そして、お気に入りのクマのぬいぐるみを買ったりと空想に胸を膨らませたに違いない。
でも、女の子は誘惑を跳ね除けて、ここまで鏡を買いにきた。
女の子に誤算があるとすれば、この店が古い物を扱っているから他店より安いんじゃないかと勘違いしたことだ。
買わない宣言したのに、女の子は名残惜しそうにチラリと僕の値札を見る。
もしかすると鏡を買ったお釣りで買えるんじゃないかと思ったのかもしれない。
「え……」
途端に女の子の顔が冬の悪い部分を凝縮したみたいに暗くなる。
うん、ごめん。
僕はこんなに古いのに職人のおじさんが良い材料で、とても丁寧に作ってくれたから、とても高価なんだ。
そして、このお店にある他の商品も僕と同じで、決して安くはない。
だから、探している値段の鏡がある確率は低いと思う。
なんだか本当にごめんね。
「お嬢ちゃん、いくら持ってるの?」
萎縮しながら僕から離れた女の子に店主のお爺さんが話しかける。
お客さんの相手はいつも陽気なお婆さんがやっていたから、お爺さんは声をかけるのに慣れていない。
でも、お婆さんがこの秋にいなくなってしまったから、無愛想でもお爺さんが接客しないといけなかった。
おずおずと女の子は金額を口にする。
お爺さんはついつい溜息を吐きながら、棚のひとつを指差した。
「そのお金だとね、その棚の下に箱があるだろ? その箱の中のやつくらいしか買えないよ」
「触ってもいい?」
「そりゃ触らなきゃ、どんなのがあるか分からんだろ」
ここにくる前のお店で触る、触らないで嫌な想いをしたのかもしれない。
ガラガラと音を立て女の子が箱を引っ張り出し、中身の物色を始める。
綺麗な指輪に似た指抜き、真鍮でできた大きな靴べら、鹿の彫刻が掘られた錆のあるドアベル、ハト時計のハトのスペア。
どれも上等だけれど誰にも買われず埃を被り、大掃除の日に箱へ投げ込まれた物ばかりだ。
とても真剣に箱を漁る女の子の背中を、お爺さんは複雑な表情で見つめている。
春になる前に店を畳もうと思ってまして。
少し前、常連の紳士にお爺さんが話していた。
ふたりで始めた店なんで、ひとりでやっていく気力がもうないんです。
これは今までのご贔屓のお礼です。
そう言って値札の付けられない立派な天体板を紳士に渡していたっけ。
今日もそんなプレゼント癖が発動したみたいだ。
お爺さんがこっそり僕の値札から0をふたつ消したのと、女の子が森のフクロウみたいにどっしりした無骨な手鏡を見つけ出したのは、ほぼ同時だった。
「あー、オホン、今からタイムセールを始めようと思ってね。特にそのクマが買い時だよ」
「わぁ!」
手の出る金額の値札に女の子が喜びの声を上げ、片手に手鏡をしっかり握ったまま、僕の前へ嬉しそうにやってくる。
だけれど、微笑みに開いた口元はすぐ真一文字に結ばれた。
女の子の目的が鏡を探すことだと知らなかったお爺さんの優しさが、難しい選択肢を生んでしまったからだ。
鏡か、僕か。
もちろん、両方買えるお金を女の子は持っていない。
僕か、鏡か。
女の子はお母さんが大好きで、僕のことも大好きなんだろう。
ヒビの入った鏡でお化粧するお母さん、ベッドで一緒に眠れるクマのぬいぐるみ。
「あの……」
モジモジと恥ずかしそうに女の子が言う。
「私の全財産はさっきお伝えしたこれだけで、貯めるのに半年かかりました」
ポケットから大小の硬貨を取り出してみせる。
「それで、その……クマのセールはいつまでですか?」
あぁ……鏡を選んだんだね。
もし、体の自由がきいたなら、立ち上がって女の子を抱きしめていただろう。
なんだかとっても嬉しい気持ちだ。
僕を選ばないでくれてありがとう。
君は瞳に青空を、心に天使の小さな羽を持つ優しい優しい女の子。
お爺さんも鏡について、なにかの事情があると気付いたみたいだ。
お婆さんのいない店内を見渡した後、仕方ないなぁと大きく息を吐き、不器用なウィンクでこう言った。
「セールはお金が貯まるまでだよ」
営業の継続にきっと常連の紳士も喜ぶだろう。