心の話
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ある少年は電車に揺られ、ふと気になった。
痛みとは、感情とは、
恐らくこれは、自己の成長のために行われた脳の計算だ。
少年は痛みが嫌いだった。苦しさよりも痛みを嫌った。少年は感情的になりやすかった。特に怒りと怠けは制御が難しかった。
そこを直せば一段階上の人間へとなれるのではないかと考えたのだ。
痛みから解明することにした少年はアニメで見たのか、どこかで聴いたのか、それとも本で読んだのか、痛みは危険のサインだということを思い出した。
では何故そういう仕組みにしたのだろう。
勿論生きるためだろう。生存本能による必然の進化だ。
確かに痛みというのはすごい。注射の針が刺さっていることが分かる。しかし、わざわざ嫌なことにする必要はないのでは。
例えば視界の右上に危険マークが出るとか、そういうのでもいいのではないか。
学校の体育の授業で僕みたいな運動していない人が走ると脇腹のあたりが痛くなる。しかし評価を得るためには走らないといけない。だと言うのに痛みのせいで走るのを体が拒否する。そして、
痛みを我慢するというのはまさに無駄だ。自分がやめた方が良いと言うのに自分で自分を無視するということは自分に失礼だ。
痛みとはサインである。危険を察知できる…
そうか、痛みとは嫌なこと。さっき考案したマーク方式でもきっとそれが痛いことなのだ。つまりはどうしようもない。なんだかよくわからなくなってきた。
方向を変えよう。
痛みは結果的に嫌な気持ちをもたらす。
ではその嫌な気持ちとはなんだろう。似たものに悲しみがある。多分似ている。
悲しみとは喜びの反対、では喜びとはどこから来たのだろう。
それは多分自分にとってプラスだというのを察知しているというサインである。だから美味しいと感じた時、自分が良くなったと感じた時、その他の嬉しい時に嬉しいと感じる。
じゃあ、悲しみはその反対だ。自分にとっての損害があれば悲しくなる。
その損得勘定をしているのはなんなのか。
恐らく生存本能と呼ばれるものだろう。自己を存続させるためのシステム。
なんだか機械みたいだ。
結局全ての感情は生存本能から来る物だと少年は考えたのだ。また、痛みについても同じだと。
さて、どう思う?
なるほど。じゃあきっとその通りなんだよ。全ては進化の結果さ。逃げることが出来る生物はきっと全て痛いと思うし悲しいと思う筈だ。
だからね、どんなことがあっても動じないようになるには、植物人間になるしかないのさ。だって植物は逃げないからね。
感想があれば、どうぞ。