第20話 死闘、転開
宜しくお願いしますm(_ _)m
白と黒がせめぎ合って生まれたあの超力場の中で、
一体何が起こっていたのか───。
レマティアが信じる通り、雄字は強い。
いや、強すぎた。戦士として完成され過ぎていた。
この世界で最凶の迷宮、『結界の樹界』ですら上級捕食者と位置づけられる魔獣、キマイラアグリゲートに脅威を感じさせる程に。
黒の爪撃を次々と破られていき、爪撃が残り三条となった時、キマイラアグリゲートは肝を凍らせ、死を予感する。
皮肉にもその死の恐怖が、キマイラアグリゲートの中で渦巻く狂おしい衝動を完全に消沈させてしまった。
その時だ。
更なる皮肉。
レマティアが最も警戒を示したあのスキル。
キマイラが正気を完全に取り戻しことにより
発動してしまった。
それは【予見】
視野に収まる現在の風景、
そしてその中で起こる数瞬先の未来を同時に幻視出来るというスキルだ。
通常の魔物に扱えるスキルではない。なぜなら人類でも最高レベルに知力ステータスが発達した者にしか発現しないスキルだからだ。かといって知力が高ければ発現できる訳ではない。発現するには様々な条件があるらしく、それをクリアしたとしても、今度は使いこなすことが難しい。常にダブって視える視界、さらにはそのダブって視える未来の現象が些細なきっかけで万化して目に映るのだ。目を開けるだけでも苦痛を伴うようになる。このスキルの保有者は最終的には狂い死ぬという末路になるのが殆どだ。
逆に言えば非常に稀有なスキルであり、使い辛いが使いこなせれば恐ろしく強力なスキルでもある。
キマイラアグリゲートは雄字の脅威に晒され自らの死を予感した。
その時、その恐怖に連動するかのように、脳内に一つの映像が浮かび上がる。
それは両断された自身の姿。自分自身への無惨なる死の予言。
その映像には、まだ続きがあった。
横ではなく、縦に斬られて両断されたため、立とうとするが踏ん張りが効かなくなった自分。
生物としてカタチ成さぬ肉塊となり果て、小さくも沼の規模で広がった自身の血の中でビタバタと、醜く、藻掻き、溺れる自分。
そんなふたつの自分に近づく者があったのだ。
敵だ。あの、恐ろしくも、憎き敵。
あの敵が、二つに分かたれ、不自由を極めた自分を、あの平べったくも硬い鉄塊をもってして、刺し貫いていた。
交互に。何度も。
そしてやがては全ての“命”を費やし、息絶える自分……。
敵の姿がなんとも憎らしくも恐ろしいとして震えながら、キマイラアグリゲートは思った。
もし、縦に斬られず、横に斬られて両断されたなら、と。
残る上半身で這ってでもこの敵を屠り去ってくれたのに、と。
見ればあの敵は先程の強力な魔力攻撃に全てを注いだ後だからか、立っているのもやっとに見える。あの状態であるなら恐るるに足らぬ。もう一度戦えば屠る側であったのは自分であったはず………
そして思い当たる。
おかしい。
これはいつもの、“あの力”で見ていたものとは違うと。
この、キマイラが言うあの力こそが【予見】。
先程述べたように、【予見】とは、自らの視点、視界に基づいて数瞬先の未来を幻視するというスキルだ。このスキルによってキマイラアグリゲートは相手が次にどのようにして動くのかを見極め戦闘を有利に運び、勝利してきた。
キマイラアグリゲートの頭部には目と鼻がない。ついでに耳も。
口しかない。
これは、大喰らいなこの魔物の、獲物に異常執着する精神を由来とする鋭敏すぎる魔力感知能力と、幾ら捕食しても充たされぬ底無しの強欲さが招いた、というより本能的に望んだ進化の形であるのだが、ともかく普段は魔力感知により視覚や聴覚、嗅覚を補っている。
よってこの魔物が鮮明な映像というものを“視る”ことが出来るのは【予見】が発動した時だけだった。それに、
血に狂い、その狂気に浸れば使えなくなるとはいえ、自分以外のほとんどの魔物が所有しない希少さもあってか、この【予見】というスキルを自身が誇る力の一つと位置付けてもいた。
つまり、キマイラアグリゲートは【予見】というこのスキルを熟知していたのだ。
だから思い至る。自分の姿が視えているのはおかしいと。
つまり、【予見】により垣間見ることが出来る映像には、俯瞰して自身の姿を見るという性能などは無かったのだ。
そう思い至った時だ。
キマイラアグリゲートに長く考察する時間は許されなかった。
突然に映像は途切れてしまう。
急に現実に引き戻されたキマイラアグリゲート。
顔前に迫る大剣。ガリガリと削られゆく三条の爪撃。
捕食者であるはずの自分が屠られようとしている悪夢の如き現実に、再び直面する。
このままでは先程の映像が、この悪夢のような現実よりもさらなる最悪の現実として差し替わるのは時間の問題だった。
訳が解らない。
先程の映像は一体、なんであったのか。
いつもとは違っていた……が、それがどうしたというのか。
ただ必ず訪れるであろう絶望を、克明に知らされただけだ。
ただその絶望までの時が少しだけ、引き伸ばされただけだ。
結局自分がたどる運命に変わりはない。
焦りを助長するだけの余計な思考であったと、先程の映像を噛み潰すように忘れようとして、思い直す。
あの映像………そうか……。
そうだ。とにかくこの攻撃さえ、凌げれば……
どうかと。
いや、もはや免れぬ運命であると言うのなら、最悪、この攻撃を喰らったっていいのだと。
いや、先程垣間見た自身の末路。あれこそが最悪。最悪の結果だ。
あの最悪の結果さえ回避出来たなら、どんな結果も次善とよんでいいのではないか?
キマイラアグリゲートは『屠る』ことより『生き延びる』ことを模索し始めたのだ。
これは、この凶悪な森の中でさえ上位捕食者として生きてきたこの魔物にとっては、珍しいことであった。
初めての試みと言っていい。
そう、切り裂かれるにしても縦にさえ切り裂かれなければ………
両断されるにしても左右ではなく上下であれば………
そうだ。上手くやれば、自分は、助かるのではないかと思い直す。
そう。両断されても自分は死なないのだ。
その自信はある。試す価値は十二分にある。
この魔獣は自身の不死性についても熟知していた。
かといって自身が無敵であるとも思っていない。
【予見】を発現させたことからも解る通り、この魔物の知力は非常に高い。狂化していない状態であれば、だが。
だから理解していた。万能感に浸ることがあっても、全能感を鵜呑みにして奢ることは、この森では許されないことだと。
絶対に勝てぬ相手というのは存在するからだ。
例えば、この“森のヌシ”がそうだ。悔しいが、まだ他にも数例ある…。
自身の力及ばぬ存在があることを自覚し、自重していても、それでも盲点だったと言わざるを得ない。
先程見た映像。思い出しては悪寒が走る。
『殺されないまでも無力化されたら、結果……結局、殺されてしまう』という理不尽な“当然”。
知らなかった。
縦に裂かれ、左右に両断されてしまえば身体を起すことすら出来なくなるのだという、呆気なさ過ぎるほど当然の弱点。
そもそも強者として思うまま獲物達を屠ってきたキマイラアグリゲートは両断されるなどという窮地に陥ったことなど無かったのだから、気づけずにいて当然とも言えた。
逆に言えば
あの状態になりさえしなければ、生き延びるどころか、
“当然”勝機も見えてくる。
相手は勝手に魔力を使い果たし弱体化してくれるのだから。
そう。結果として自分は勝ち残る。
不得手とする空中戦。
不自由な状態ではあるがここは藻掻くべきであろう。
………屈辱ではあるが。
だか、今はなりふりなど構っていられない。
身体の向きを変えて頭からではなく腹であの鉄塊を受ける……その結果屈辱だが……身体を上下に分かたれるのは必至。
だが上半身だけになっても左右に脚が残るならば多少の踏ん張りは効く。自分は動けるはずだ。
屈辱ではあるが。
とにかく映像で見たような、『縦に斬り裂かれる』という最悪だけでも避けられば……。
………そう。屈辱では、あるが。
そうだ苦渋をなめてでも撰ぶべきは真なる最悪よりかはマシな最悪だろう。
6脚を活かした高い機動力と多彩で凶悪な攻撃能力、光以外の全属性に耐応し、更には不死性能までも併せ持つ……攻守においてスキが無く、正に究極の生命体とも呼んでいいこのキマイラアグリゲート。
魔物ではあるが魔物なりに、この者には強者としての自負心があった。
他とは違う。特別な魔物なのだ。自分は。
“命”を幾つも持つ特別な存在。
そうだ。そうだ。そうだ、!
まだ犠牲に出来る“命”は残っている。
そうだ。そう。
今は生き延びて地に辿り着いた後、弱ったこの敵を組み敷いてやる。そしてゆっくりと、じっくりと嬲り倒し、それに飽きたら食い殺し、溜飲を下げればいい。
そうすれば………いや……、駄目だ。
と、その精神はまたも絶望に侵食されていく。
この不得手で不自由な空中で無理矢理体勢を変えるだと?
馬鹿な考えだ。
それをすれば爪撃の魔力維持が難しくなるではないか。
今でさえ全力の魔力を注ぎ続けてこの爪撃を維持しているのだ。
相手も同じだ。全て出し尽くす勢いで今も魔力を鉄塊に注ぎ続けている。
自分がこの爪撃に注ぐ以上の魔力を。
魔力が枯渇する危険も厭わずに。
敵は先程までの、離れた場所から連続して波状攻撃することを辞めた。
そして方針を急転回させた。
戦場を空中に移し、距離を縮め、肉薄して、今の捨て身の攻撃を選んだ。
理由は分かっている。
手に持つあの鉄塊に、魔力を注ぎ続けるためだ。
一撃を単発で終わらせず、両断を完結させるまではと無数発分の魔力を一つの攻撃に継続して注ぎ込み続けるという、暴挙。
暴挙ではあるが、その脅威にさらされ、あの映像を見てしまえば、自分には有効この上ない攻撃だとも理解出来る。
だが、解らない。
魔力量はこちらが数段上なはず。
万全な状態でないとはいえ、なぜこうも押し込まれるのか?
所詮は魔物。強者といえ、ただの捕食者。
キマイラアグリゲートには雄字が纏う戦士の覚悟。その深淵にまでは想いが及ばない。ー
ただ、この攻撃を喰らえば、いかな自分といえども簡単に両断されてしまうのだけは、解る。
ともかく、コチラが劣勢であるとはいえ、今は一応の拮抗状態であるのだ。
爪に注ぐ魔力が少しでも減衰すれば、その分脆くなった爪撃はこの危うい拮抗すら保てず、即座に砕かれてしまうことになるだろう。
………そして、体勢を変える前にそのまま自分は縦に裂かれ、左右に両断されてしまうに違いない。
だが、だと、するなら、、
どうすれば………
どうすれば、いい?
どうすればいい?
どう〈危険!〉すれば!?どうすれば〈両断?〉いい?どうす〈敗北…〉ればいい!?どうすればい〈恐怖!〉い!!?どうすれ〈屈辱ッ〉ばいい!!??どう〈死?〉すれ〈死ぬ!〉ばどう〈死ぬ!?〉すればど〈死にたくない……!〉うすれ〈死にたくない!!!〉ばどうすればどうすればどうすればどうすれば!!!!
恐慌、渦巻く中、
…ス…
地に向けて落下する最中、上方から大剣で押し込まれる形となっていたため通常の魔物であったなら、その嗅覚には風下に在る雄字の体臭は届かなかったであろう。
しかし雄字にとって不運なことに、このキマイラアグリゲートは嗅覚ですら魔力で補うという異形の魔物であった。魔力感知は風に影響されることがない。
雄字が大剣を押し込む過程で肉迫していたこともこのキマイラアグリゲートが“その匂い”を嗅ぎ分けられた理由に、挙げられるかもしれない。
ともかくその時
雄字の体臭、いや、血の匂いがキマイラの感知下に届いてしまった。
血の匂いを嗅いでも、恐怖に侵された常ならぬキマイラアグリゲートは狂うことをしなかった。
そして正常に機能して“嗅いだ”結果………詳細に感知してしまったのだ。血だらけの、雄字の姿までも。
この時に
条件が、整ってしまった。両者、狂いだす運命。
数々の幸運。その全てがキマイラアグリゲートに味方し、
数々の不運。その全てが雄字に牙を剥く。
かくして揃ったそれら全てを材料にして、キマイラアグリゲートは打開の策を完成させてしまった。
そして焦りながらもそれを実行に移していく。
〈まにあえ!〉
脇腹から腹部中央までの大きな裂傷、塞がりかけていたその大傷がバクリと、爆ぜるように裂け再び臓物が溢れ出す。
〈まに あえ!!〉
顔面の上半分、無数の口。引き攣れながらも開閉を可能とするまでに回復していたその口達の上に刻まれていた裂傷。
それらは抉れを浅くしていたが再び、全ての傷口が同時に開いていき、皮下の肉を露わにし、黒い血飛沫を宙に撒く。
〈まに、マニ、あエエ!!!〉
肉芽が盛り上がっていた2本の脚は整いつつあったそのシルエットを放棄して腐れ落ちていき、半ばから断ち切られた元の無惨な形に逆再生されていった。
柔くも新しい爪が生え揃いつつあった爪先も哀れ、似たような運命を辿っていく。
〈マニ……………!!〉
雄字の不運、それは彼が強すぎたこと。
雄字という、この魔物がかつて遭遇したことのない、アンバランスで、不可解ながらも純然なる脅威に肉迫され、狂える魔獣、キマイラアグリゲートは混乱した。
混乱した結果、この魔物の理性を支配していた狂化が解けてしまう。
狂気から醒めたキマイラアグリゲートはスキル【予見】を無意識に発動。
その時だ。更なる不運。
そのただでさえ強力なスキルは『死』に晒されし生存本能に触発され、更なる“強力”へと進化を遂げる。
【予見】が進化した先、そのスキルの名は【予知】。
その能力には、どれくらいの未来を予知するかはランダムであるとはいえ、数瞬先などという縛りはない。
断片的な未来予知であるとはいえ、この世界で未来に起こるであろう、ありとあらゆる事象を自身の視界という限定された映像に囚われず、第三者視点で克明に垣間見ることが出来るというもの。
自分自身がそこにいなくとも、まるでそこで見たかのような映像を視ることが出来る。自身自身がそこにいたとしても、自分自身の姿すら俯瞰して視ることが出来てしまう。
この世界、人の世では、予言者と呼ばれ国家が全力で保護対象とする者達がいて、【予知】はそんな国家機密レベルの賢人達が天より授かる“神聖な”スキルだとされている。
そんな、神聖とされるスキルが、よりによってこの凶悪な魔物に発現してしまうという皮肉。
この世界の摂理は『強者に捻じ曲げられた理屈』により、成り立っている。
そこに人や魔の別はない。
正や邪の別もない。
生き延びることのみが正義。
生き延びた者こそが勝者。
弱さは罪ではないが、罰に等しい。
敗ければ、ほぼ、死ぬのだから。
甘くない。
雄字はその摂理の中、足掻き藻掻いて生き延びる強さを身に備えていった。
キマイラアグリゲートはその摂理の中、思うまま残虐を撒き散らして生きてきた。
そしてキマイラアグリゲートは雄字という、未知なる強者との遭遇により、強者ではなく弱者としての抵抗を初めて試みたのだった。
満身創痍などという言葉も生温い、原形からかけ離れた元の姿に成り果てたキマイラアグリゲート。
ただでさえ劣勢であった状況にさらなる不利が重なっていく。
………ように見えて、実のところこの状況はキマイラアグリゲートが意図したものであったのだ。
血達磨と化した雄字の姿を感知し、気づいたのだ。
彼が防衛に回すはずの魔力までもこの一撃に注ぎ、その結果自分が押し込まれる形となっていることを。
その、敵である雄字の暴挙を真似る。
キマイラアグリゲートは傷付いた全身を自動再生していた機能を切り捨てたのだ。全ての傷口がひろがり、脚の再生していた箇所が腐れ落ちたのはそのため。
再生機能に回されていた魔力、かき集める。
その魔力をある一点に集中させていく………。
キマイラ、
しつこい!