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天泣の空

西の空が茜色に染まり、駅前の石畳でできた広場に

赤光(しゃっこう)が映える。

真ん中に位置する噴水がキラキラと装飾されるのを見て、

僕はいよいよ日没が近いことを認知した。

往く人々を追い越し、追い越されながら電車へ歩みを進める。


それは締切ギリギリの課題を大学に提出した帰り。

不眠の身体に疲労感を否めないためか、どうにも怠惰な方へ心情が傾く。

()()()()()()()()()という欲求のまま、

広場を横切る形で駅のホームに急いでいた。


そんな最中、僕は捕らえられてしまった。

ギターの音色と、澄みきった歌声によって。


どこにでもいる野良ミュージシャン。

第一印象はそんな、至って平凡なものだった。

しかしよく聞き入ってみれば、とても澄んだ歌声で、

目下から僕は物憂さを忘れ、引き寄せられるようにその女性の方へと歩む方向を変えた。




それから、僕は彼女の虜となった。

夕刻の時を夕日と共に彩る歌声を聞くことが、今の僕の日課だ。

強い風が吹こうとも、動ずることなくギターを奏で、冷たい雨が降れば駅の軒下で歌を謳う。

優しく柔らかな歌詞は、開くことを滞る心の扉を開き、直接語りかける。

僕はそんな彼女の歌が好きで、

こうして500円玉をギターケース投げ込むのだ。


だが、僕のように彼女の曲を聞く人は少ない。

理由はなんとなく分かった。

彼女の歌は上手いが、完璧でないのだ。

歌っている途中、歌うべき歌詞が潰れてしまったり、

僕自身がギターに触れていたからこそ分かるが、

押さえる弦を間違っていることが、たまにある。

ミスを不快に思ったのか、人々はすぐに場を去っていった。


確かに世間は、結果を出さねば評価しない。

どれだけ努力しようが、過程が問題ではないからだ。

だからこそ、彼女が不憫でならなかった。

聞いていれば、潰れた部分をハッキリと歌う工夫が見られたり、何度も練習したのであろう、弦を押さえる指には、

痛々しく絆創膏が貼られていた。

故に、評価されることのない努力を賞賛し、

応援したいと強く思うのだ。


それから幾日、季節のリレーは秋の後半。

バトンは秋から冬へと渡されようとしている。

段々と寒さが厳しさを増す中でも、僕は彼女の演奏を聞くために駅の広場を訪れた。

秋晴れの良い天気の下、きっといい演奏になるだろう、と僕は心をときめかせていた。


しかし、その日。

彼女が広場に現れることはなかった。


何故だろう?

彼女の曲を聞けぬと言うだけで、

なぜこんなにも深い悲しみに襲われるのだろうか?

いつも聞いているからか、

気がつけば、彼女の歌の歌詞を全て覚えていた。

それでもなぜ、飽きることがないのだろうか?

そんな自問自答を繰り返して、

ようやくハッと気づいた。

あの日、あの時。

彼女を見た()()()から



僕は恋に落ちていたのだと。


秋空には珍しい天泣が、ポツポツと乾いた石畳を濡らした。








私は昔から歌が好きだった。

歌はいつの時代だって廃れることのない文化であり、

人間の生み出した至宝だ。

少なくとも私はそう思っている。


そして、至宝に魅入られた私は、

歌手を志すようになっていた。

もちろん、そう上手くいくものじゃないと言うことは充分理解してた。

それでも。

微弱でもいいから、

私は、人々を元気づける歌を届けたいと思った。

そして、いつの間にか私は、駅の広場で歌を歌うようになっていた。


でもやっぱり、現実は甘くなかった。


初めこそ、反響は良かった。

だけど、ミスをすればするほど、人々は私の歌から遠ざかって行く。

一人、一人と。

気がつけば、私など眼中にないかのように

人の流れは目の前を通り過ぎてゆくようになった。


それでもいいと腹に決めていたことではあったが、

いざその状況下に置かれると、虚しさと哀しさが大きな波のように押し寄せてきた。

私には向いてないのかもしれない、

今日で終わりにしようと心に決めて、ギターの弦を弾いた。


途中、無愛想で同い年位の男性が、私の前で足を止める。

恐怖が背中を巡って、余計な力が入る。

でも、一瞬だった。

短く切った黒い髪の奥にある、無表情で疲れた瞳。

その瞳を少しでも癒したいという気持ちが生まれて、弾けて、

恐怖を上回って。

私は歌った。

だけど、演奏が終わっても、彼は無表情のまま去って行く。


いよいよ悲しくなった私は、去りゆく背中に感謝の言葉を告げて、ギターをしまうために視線をギターケースに落とす。

黒いケースの中で輝く金色の硬貨を、初めは何かの見間違いかと思った。

そして、すぐにあの人が入れてくれたのだと分かった。

張り詰めていた糸が切れたように、涙が溢れた。

それと同時に、ここで歌い続けようと決意を固めた。

大勢に見てもらえなくても、一人の……

いや、彼の為だけにギターを弾こうと。


それから私は毎日歌った。

間違っても、声が潰れても、

彼は毎日来てくれたから。


そんな中、昨日は友達の結婚式だったために、どうしても歌を歌える状況じゃなくなってしまった。


彼は今日、来てくれるだろうか?

そんな不安が今日の朝から張り付いて離れなかった。


だけど、その心配は無用なものだった。

彼はそこにいた。

いつもの薄着とは違う、

暖かそうな分厚いコートを着て。

私は嬉しくなって、

「あの……。

もしかして……昨日も来てくれました?」

顔を覗き込むように訪ねてみた。

すると彼は、スマホを見ていた顔を上げて

目を見開いた。

そして、照れ隠しするように答えた。

「い、いや。 別に……」

私はそんな彼の反応に微笑んで、

そしてギターケースからギターを取り出した。



どうやら私は、この人のことが好きみたいだ。






今まで街を照らしていた陽は完全に地平線に姿を隠し、代わりに車のライトや建物の光が眩く輝き始める。

演奏を終えて、私は彼に感謝を伝えた。


「ありがとうございました」


いつも通り、彼はくるりと背を向けて去ってゆく。


「あ、あの!」


と、呼び止める勇気があればどれだけいいだろう。

今の関係を壊したくない自分と、気持ちを伝えたい自分でひたすら葛藤している。

でも、どうしても勇気が出なくて……。

結局、背中が見えなくなってから

持っていたギターを、ケースにしまうことにした。

いつも、彼は100円から500円程度を放り込んでくれる。

それは、その日の評価だと私は捉えている。

「…紙?」

しかし、その日は評価を示すコインではなく、

折りたたまれた白紙だった。

なんだろうか、と開いてみる。

そして、息が詰まった。



そこには、無愛想な彼らしく、一言で。

こう書き添えられていた。




―――好きです。




と。





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― 新着の感想 ―
[良い点] 主人公(男)からの視点だけでなく、ヒロインの視点も描いているのがとても良かったです! 主人公はどんな風に彼女を見ているのか、一方でヒロインはどんな風に彼を見ているのか、それぞれの視点から楽…
[一言]  最後に残った人が応援してくれる人だと感じました。  社会は結果がすべてというのは、的を得ていると思います。どんなに努力をしても結果が出なければ0点、努力をしなくても、よければ褒めてもらえる…
2018/01/17 20:00 退会済み
管理
[良い点] 彼女の頑張りを感じて応援したいことからの主人公の恋と。今にも諦めてしまいそうな夢を主人公という唯一のリピーターに支えられたことからの彼女の恋。二人はとてもマッチしていそうです。 [気になる…
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