召しませ! 愛情たっぷりりんご料理♡
木々の葉が生い茂る薄暗い森の中、フードを深く被ってひっそりと行く人影がありました。
それはこの国の女王の忍ぶ姿でした。
娘である白雪姫がしばらく前から行方不明になり、彼女は今、森で七人の小人の家にいそうろうしているという情報を木こりから得て、女王はこうしてやってきたのです。
女王が腕から下げているカゴには山盛りのりんごが入っています。それは白雪姫に食べさせようと持ってきたものです。
木こりからの情報通りの家を見つけ、女王はドアをノックしました。
「いらっしゃいませ。どちらさまです?」
顔を出したのは確かに白雪姫でした。
娘の顔を見て、女王は息を呑みました。
おっとりとした物腰に色白の肌。それらはこの薄暗い森では顔色を悪く見せました。ドアを押さえる手を見れば、指先が赤くなって少し荒れています。ここへ来てから小人たちのために働いているのでしょうか。
「もし……?」
まじまじと見つめられて、白雪姫は首をかしげます。
怪しむ声に、女王ははっと我に返りました。
「私はちょっとした物売りでございます。今日はこちらをお持ちしましたのよ」
女王はカゴから一つのりんごを取り出し、震える手で白雪姫に差し出しました。
「採れたての真っ赤なりんごはいかが? おいしいですよ」
「そのりんご、毒が入っていたりはしませんか?」
手を出そうとしない白雪姫の言葉に、女王は一瞬言葉をつまらせました。
「毒だなんて……入っているはずがありませんよ」
「そうですか」
「りんご、食べませんか?」
「食べません。そもそも私、りんごが嫌いなので」
きっぱり断られて、女王はりんごを持つ手に力が入りました。
「……そうですか」
女王は白雪姫の肩を押しのけると、小人の家に入り込みました。
「台所を貸してくださいな」
「なにをなさるのです?」
「りんごを使った料理を作ります」
「作りますって……、私、留守を預かっているので勝手は困ります」
白雪姫が止めようとしますが、女王はかまわず奥へ突き進みます。
「まあまあ、そうおっしゃらずに」
台所に立つと、りんごの入ったカゴを下ろして袖をまくりました。
「あなたにりんごのおいしさを教えて差し上げますよ」
フードを被ったまま張り切るおかしな後ろ姿に、白雪姫はまた小首をかしげました。
白雪姫をリビングに待たせ、女王は持ってきたりんごを使って次々と料理を作り上げていきます。
「アップルパイよ。おいしそうでしょう」
「パイは好きなので土台だけいただきます」
「カレーを作ってみたわ」
「りんごは小皿に避けておきますね」
「これならどう? 酢豚よ」
「パイナップルではないのですか? どちらにしろ、酢豚に果物を入れるなんて邪道です」
「それなら必殺、野菜嫌いのお子さま御用達、ハンバーグよ!」
「りんごを使って? 野菜のみじん切りや豆腐ですらないなんて」
テーブルいっぱいに並んだ様々な料理はいいにおいをさせていますが、どれも白雪姫は口にしようとしません。
テーブルを挟んで白雪姫と向かい合いながら、女王は拳を震わせていました。
「なぜ……りんごを食べてはくれないのです」
「りんごりんごとおっしゃいますが、アレンジのしすぎでもはやりんご料理ではないではないですか。料理はシンプルな方がよろしいかと思いますけど」
「シンプル……」
「そうですよ。お肉だって、小人さんたちが狩ってきたものを焼いただけのものがとてもおいしいですし。汁がしたたるようなものだと最高ですわ」
「シンプルがよろしいだなんて……あなた、うさぎりんごでさえ拒否するではありませんか!」
思わず顔を振り上げた女王の頭から、フードが脱げ落ちました。
「まあ。お母さまではありませんか」
白雪姫は目を丸くします。
「お母さまのような料理センスの方が世の中には二人もいらっしゃるのかと思えば、お母さまだったのですね」
「ええ、私ですよ」
正体がばれてしまったので、女王は料理中に邪魔でしかたがなかったマントを脱ぎました。
「一国の女王ともあろう方が、このような所までわざわざ足をお運びになるなんて」
「あなたを心配してきたのですよ。森の中で食生活に不自由していないかと」
「それで持って来たのが山盛りのりんごだけですか。結局こちらで蓄えていた食材を使ってお料理されますし」
「りんごに不自由していないか気になったのですよ」
「どうしてりんごばかりなのですか」
「りんごは美容によいのですよ」
「美容のためなら他に選択肢もありましょうに」
「こんなにフォルムが美しく、可愛らしい色合いをして手触りもよくて、なおかつ美容によい食材なんてなかなかありませんよ」
「そのような毒も同然のものは口にしたくはありません」
「またそのようなことを……。民が丹精込めて育てた作物を毒入り呼ばわりとは、一国の王女の言葉とは思えません。嘆かわしい」
「誰が作ったかは問題ではありません。とにかくりんごはお断りです」
「その考え方が嘆かわしいと言っているのです。天の恵み、大地の恵みに感謝しながら、すべてはおいしくいただくのです」
「おいしく……とはおっしゃいますけど、りんごってパサパサしていますし、甘かったり酸っぱかったり当たり外れの差も大きくて……」
「最近は品種改良も進んで、蜜が入った甘くて水分たっぷりの品種も豊富ですよ」
「りんごはりんごでしかありませんわ」
言い切った白雪姫を女王がにらみます。白雪姫も負けじとにらみ返します。
双方ゆずりません。
にらみ合いはしばらく続きましたが、先に目をそらしたのは白雪姫の方でした。
「……そもそも、私がりんごを嫌いになったのはお母さまのせいですのに」
その言葉に女王は片眉を吊り上げました。
「なにをおっしゃいますか。あなたは子供の頃から嫌っていたではありませんか」
「始めはそうかもしれませんけど、お母さまに美容にいいからととにかく食べさせられていたから……口が受けつけなくなったのですよ」
自分のせいでりんご嫌いが悪化したのだと告白され、女王は黙ってしまいました。
元々の好き嫌いに、母のせいでさらに受けつけなくなった白雪姫と、娘の好き嫌いを克服させたかった女王。そのすれ違いが、ついには白雪姫に家出を決意させる事態にまで及んだのでした。
しばし考え込んでいた女王でしたが、やがて顔を上げると、厳かに宣言しました。
「……わかりました。責任を取って、あなたがりんごを克服するまで私もここで暮らします!」
森の中の一軒家で女王の貫禄をあふれさせる母に、白雪姫は呆れた目を向けました。
「どうしてそうなるのですか。お母さまの考えるメニューはこりごりです、どうかお城にお戻り下さい。お母さまが留守ではお父さまもお城で寂しがっていることでしょう」
「家出したあなたがそれを言うのですか」
「妻と娘は別ものでしょう」
「お父さまにとってはあまり変わらなそうですけどね……。今朝も大鏡に向かってポーズを決めて、『鏡よ鏡よ鏡さん、世界で一番たくましいのはだあれ?』と己の筋肉美にうっとりしていらっしゃいましたから」
「あいかわらず口にされるのは茹でた鳥の胸肉ばかりですか」
「そうね。張り合いのないことです」
「お母さま……。お城で料理の腕を振るえなくて、暇を持て余していたのですね」
「まあ、そうねえ……」
二人、向き合ってしみじみします。
共通の思いを抱いたことで、二人の間の空気が穏やかなものになりました。
しかしそれも一瞬のこと。
同時に顔を上げると、再び緊張が高まりました。
「とにかく、なんとしてもあなたにりんごを食べさせます」
「慎んでお断りします」
母と娘は互いに一歩も譲らず、火花を散らしました。
白雪姫と女王がりんごを挟んで揉めている頃、また一人、森を行く影がありました。
それは隣国の王子でした。
馬に乗って散策していた王子はふと、おいしそうなにおいが辺りにただよっていることに気がつきました。
「このにおいはどこから来ているのだろう?」
森の中でごちそうのにおいがしていることに疑問を覚え、王子はにおいの元を探し始めました。
膠着状態が続いていた小人の家では、女王がとうとう最終手段を繰り出していました。
「究極のりんご料理、焼きりんごよ!!」
女王はオーブンから取り出したばかりの皿を白雪姫の前に置きました。
丸ごと焼かれた真っ赤なりんごが、皿の上で甘いにおいを振りまきながら割れ目から汁をしたたらせています。
「素材はりんごのみ。バターもシナモンもなし。調理は焼いただけ。これがあなたが求めていたシンプルイズベストよ!」
「私は求めた覚えはありませんが」
「肉料理は焼いただけの汁がしたたっているものがおいしいとおっしゃったでしょう。その通りに作ったまでですよ。さあどうぞ、お食べなさい!」
「ですから、りんごはお断りしますと申し上げているではありませんか」
焼きりんごを挟んで、今日何度目かわからないやり取りを繰り返します。
内心では白雪姫の方はこの状況に疲れ始めていました。
女王は昔から行動的で諦めを知らない人でした。そのために白雪姫はりんごからも母からも逃れるために家出してきたのですが、ここまで追って来られるとは予想外でした。
このまま母がこの家に居座るのなら、新たに留め置いてくれる家を求めて夜中にこっそり抜け出さなければいけないかしらと白雪姫が頭を痛めていると、ドアをノックする音が聞こえてきました。
「あらあらお客様ですわ。お出迎えしなくては」
「白雪姫、逃げるのではありません」
「お客様をお待たせしては失礼になりますから」
白雪姫は椅子から立ち上がると、そそくさとドアへ向かいました。訪問者がどこの誰でもいいから、女王の意識をりんごからそらして欲しいと願いながら。
「どちらさまです?」
ドアを開けた白雪姫は、目の前に立っていた男性を見て息を呑みました。
「こんにちは。ちょっと近くを通りかかった者なのだが」
整った顔に優しい眼差し。すっきりと背筋を伸ばした姿はりりしさを備え、落ち着きがありながらも年の頃は白雪姫とそう変わらなそうです。
彼の顔を見上げて、白雪姫は胸の高まりを覚えました。
「いいにおいがして気になってね。においの元はこちらかな」
「え、ええ。狭い家ですが、よろしければお入りになって」
謙遜でもなんでもなく、小人の家なので本当に狭い住居に王子を通しました。
娘がリビングへ連れてきた客人の顔を見て、女王は弾んだ声を上げました。
「あら。これはこれは隣の国の王子さま」
さすが女王です。周辺国の王侯貴族の顔は一通り頭に入れているので、訪問者がどこの誰なのかすぐにわかりました。
「王子さまですって……!?」
白雪姫は母の言葉に驚くと、意味もなく自分の顔を触り、スカートが曲がったり汚れたりしてはいないか確認し始めました。
「ごちそうが並んでいたようだね。パーティでも開いているのかい?」
王子はテーブルに並ぶ食器の数々を見て訊ねます。
ただ、皿も鍋もすでに空ばかりです。
女王が作った様々な料理は、仕事から腹を空かせて帰ってきた小人たちがきれいに平らげていました。「変わった味のもあるけど、どれも白雪姫が作ったのよりおいしい」という感想つきで。
「おいしそうなにおいが気になって立ち寄ったのだけど、もう終わりだったかな」
「そうでしたの。でしたら、どうぞこちらをお召し上がりくださいませ」
女王は唯一手つかずの焼きりんごを差し出しました。
「これもおいしそうだね。僕がいただいてしまってもいいんだね?」
「ええ、王子さま」
王子は焼きりんごを前にして椅子に座ると、さっそくフォークとナイフを手に取りました。
きれいに切り分けて一口ほおばると、途端に顔を輝かせました。
「これは……! 素朴ながらもなんと濃厚な味わい。素材のうまさがこれでもかと引き出され、一口にも濃縮されている。なんと素晴らしい料理なんだ」
王子は喜んで次々と口へ運びます。
白雪姫はそんな王子の姿をじっと見つめていました。
彼は食事をする姿も様になっていました。たとえ食べている物が自分が嫌いなりんごであっても気になりません。王子を見つめてうっとりとした表情を浮かべる白雪姫の頬は、りんごのように赤く染まっていました。
焼きりんごに夢中になっていた王子でしたが、ふと白雪姫の視線に気がつきました。
「君も食べたいのかい? おいしいよ」
「えっ……私ですか?」
誤解した王子に皿を差し出され、白雪姫はうろたえました。
しかし、憧れの王子に勧められてしまっては断れません。白雪姫は震える手で王子が切り分けたりんごをさらに小さく切ると、恐る恐る口に運びました。
「……うっ」
「どうしたんだい!?」
小さなうめきを漏らして俯いてしまった白雪姫に、王子は慌てました。
「なにかおかしなものが? いやしかし、僕も食べていたものだからそんなはずは」
「いえ……あまりにおいしくて」
白雪姫は口元を押さえたままゆっくりと顔を上げました。
「そうか。よかった」
ちょっと涙目になっている様子に引っかかりを覚えながらも、おいしいからという言葉を王子は素直に信じました。
「それにしても、このりんご料理は本当においしい。あなたが作ったのかい」
王子は女王を振り返りました。
「そうですわ」
「森の中にいいにおいがただよっていたが、他の料理もあなたが?」
「ええ」
料理を絶賛する王子に訊ねられて、女王はにこにこと答えます。
「素晴らしい腕前だ。うちの城で料理人をしないかい?」
「あら、それは楽しそうですわね」
心の底から求めている王子と乗り気の女王に、白雪姫は慌てました。
「王子さま、その方は私のお母さま……この国の女王ですの。料理人だなんてとんでもありませんわ」
「なんと女王さまだったとは! これは失礼いたしました」
「いえいえ」
「ということは、あなたは王女か」
王子は今度は白雪姫を振り返りました。
「一国の女王と王女がなぜ森に?」
「それは」
当然の疑問を投げかけられて、白雪姫は言葉をつまらせました。
なぜ二人が森にいるのか。とても人に言えたものではないその家庭内の問題を隠すために、女王がお茶をにごしにかかりました。
「野暮ですわ王子さま。女性にそのようなことを訊ねてはいけません」
「なるほど。女性には秘密が付きものですからね。聞き出そうとしてしまい申し訳なかった」
なにをか想像したのかしなかったのか、女王の言葉であっさり引き下がった王子に、白雪姫はほっと胸を撫で下ろしました。
しかし、またすぐに心臓が大きく跳ねました。
王子が白雪姫をまっすぐに見つめたのです。
「このようなおいしい料理を作る方を我が城にお迎えできないのは残念ではあるけれど」
焼きりんごの話をしながらも、目は白雪姫を捉えたままです。
白雪姫も王子から目をそらせません。
胸の奥では心臓が早鐘を打っています。
「君も焼きりんごを作れるのかな」
「私は……」
白雪姫は焼きりんごを作ったことがありません。そもそも、料理は肉でもなんでも焼くぐらいしかできません。しかし、そのことを正直に伝えて王子に落胆されたくはありません。
なかなか返事をしない白雪姫を王子は期待の眼差しで見つめます。白雪姫も困りつつ王子を見つめ返します。
頬を染めながら見つめ合う若い二人を見て、女王はにっこりと笑みを浮かべました。
「どうだい?」
「もちろんですわ、王子さま。私の娘ですもの、作れないことはありませんわ」
白雪姫に代わって女王が答えました。
「やはり王女も作れるのですね」
「お母さま!?」
女王の言葉に白雪姫は驚きましたが、王子に手を取られて声が出なくなってしまいました。
「ならば僕と結婚して、我が城で焼きりんごを作ってくれないかい?」
「は……はい……!」
憧れの王子からのプロポーズです。舞い上がった白雪姫は考えるよりも先に受け入れていました。
「ではさっそく、僕の馬に乗って我が城に」
「王子さま、お待ちくださいませ」
そのまま白雪姫を連れて行こうとした王子を女王が引き止めました。
「若い方はせっかちでいけませんわ。きちんと手順を踏みませんと。王子さまはこちらの城へ正式な使者を寄越してくださいませ。私どもは不肖の娘を送り出す用意をしてお待ちしますから」
「それではこの結婚を許してくださるのですね、女王さま」
「あらあら。国王の許可を得ずに結婚されるおつもりだったのですか? 本当にせっかちな方ですこと。まあ、国王には私の方から話を通しておきますから大丈夫ですよ。娘も乗り気ですし」
「お、お母さま」
図星を突かれて白雪姫は耳まで真っ赤になります。
「さっそく城へ戻り、準備をしてきますのでよろしく頼みます、女王。姫も待っていてくれ」
「は、はい……!」
「では後日、改めてお会いしましょう」
のぼせてしまってもはや言葉も出てこない白雪姫の代わりに、女王は最上級の笑みを浮かべました。
空になったカゴを下げて城へ戻る道すがら、女王は隣を歩く白雪姫に訊ねました。
「それで、実際の感想はどうなんです? 焼きりんごに関しては」
「……おいしゅう、ございました……」
「食べられるではありませんか、りんご」
「食べられるようになる前に、お母さまがおかしなアレンジを……他の食材のよさまで消してしまうような料理ばかり食べさせていたのではありませんか」
そうは言いつつも、白雪姫にもわかっているのです。女王は白雪姫にりんごを食べさせたいがために、りんごを使った料理ばかりがおかしなアレンジになっていましたが、それ以外の点ではとても料理上手であるということを。
「小人たちはおいしくいただいていたようですけどね。まあ、あなたが食べれるようになったのですからよしとしましょう。隣国との思わぬつながりも持てることになりましたしね」
「……はい、お母さま」
王子からのプロポーズを思い出し、白雪姫はまた頬が熱くなります。
「ですから今回の家出は大目に見ましょう。さあ、お城へ戻ったら花嫁修業を頑張りましょうね。家事は多少経験を積んでいたようですから、お料理を頑張りましょう」
「はい」
白雪姫は深くうなずきました。
ずっと抵抗していたりんごをとうとう克服させられたことに悔しい気持ちはありましたが、王子のために母の料理の腕はしっかりと受け継がなければと心に決めていました。
白雪姫と王子の結婚式は隣国のお城で盛大に行われました。
式典で参列者に振る舞われた料理の中には、白雪姫と女王による焼きりんごが目玉料理として並んでいました。
熱々に焼けた真っ赤な焼きりんごは、参列者にたいへん絶賛されたとのことです。