〈二〉ビリー・ザ・キッド
裏路地を少し進むと、威勢の良い金属音が聞こえてきた。熱い鉄を打つ、聞き慣れた音だ。音が大きくなるに連れて街並みは商いの装いを脱ぎ、工場町の景観が現れる。赤錆にまみれた鉄扉と、煤で黒ずんだ煉瓦塀、そして鼻腔をくすぐる炭と油の香り。だが、馴染みの曲がり角を越えたとき、聞き慣れぬ罵声が耳に届いた。
「だから、しらばっくれるな!」
とある鍛冶場の入り口で、黒い背広を纏った二人の男が剣呑な雰囲気で怒鳴り散らしていた。彼らと対峙しているのは、肩幅の広い白髪頭の初老の男だ。彼は腕組みをしたまま、微動だにせず男たちを睨みつけている。
「噂は聞いてるんだ。此処にいるんだろ」
「何も俺たちは難しいことを頼んでるわけじゃない。そいつにちょっと頼みたいことがあるだけだ」
二人の男たちは交互に、威圧的な口調でまくし立てている。しかし、白髪の男はまったく物怖じせず、ぎろりと彼らを睨み返した。
「何を言っているのか分からん。此処は鍛冶屋だ。刃物が入り用で無ければ、とっとと帰れ」
毅然とした言葉と共に、初老の男の眼が炯々と輝く。それを前に男たちが尻込みするのが分かった。鼓舞するように、男の一人が声を荒げる。
「あまり俺らを舐めるなよ、その気になりゃ、こんな鍛冶屋の一軒くらいぶっ潰して……」
「ほう、面白ぇじゃねぇか。おい、キッド!」
店主の呼び声で、店先から一人の青年が飛び出してくる。
「あいよ、親爺っさん」
そう言って彼が手渡したのは、刃渡りで一フィート半はありそうな巨大な鉄剣だった。見るからに重量のあるその大剣を、店主はその野太い片腕で軽々と振るって見せる。
「ふん、試し斬りがまだでな。ちょうどいい」
店主はその切っ先を二人の男たちに向けて、迫力たっぷりに言い放つ。
「血で錆び付いてもすぐに磨き直せるぞ。なんせ―――此処は鍛冶屋だからな」
遠目に見ていても背筋が粟立つほどに凄味のある啖呵だった。男たちは罵声を飲み込み、思わずといった様子で一歩退く。その時点で、この場の勝敗は決したようなものである。
「くそ……また来るからな」
二人組は悪態をつきつつ踵を返す。その背中に向けて、白髪の店主と青年が揃って舌を出すのが見えた。彼らと入れ違いで、私は笑いを噛み殺しながら近づいていく。
「穏やかじゃないね、べランド」
店主の名を呼ぶと、彼は表情の強張りを解いた。
「おう、リジルか」だが、すぐにいつもの厳しい顔に戻る。「おいおい、日曜日だろ。礼拝はどうしたんだ、この不良シスターが」
「そんなの午前中でとっくに終わったわよ」
私は肩を竦めて見せる。もっとも、私は終わる前に抜け出してきているわけだが。
「そうかい。まぁ、上がれや。茶でも出すぜ」
ぶっきらぼうに言って、彼は店の中へと戻っていった。
白髪頭の男性の名はべランド・ゾイゼン。今年で齢六〇を迎える、このゾイゼン鍛冶店の店主である。
話に聞くと、この店は旧皇国時代から続く老舗で、この店で打たれた宝剣が皇帝に献上されたこともあるらしい。その七代目たる彼もまた、その筋では有名な鍛治職人であるらしいが、その割に私はこの店が繁盛しているところを見たことが無かった。
「さっきの連中は何?」
「最近この辺りに侵出してきたギャングの連中だよ」
店の戸を潜りながら訊ねると、青年が答えた。
「色んな店先で騒ぎ立てるし、ひっきりなしに汚らしい言葉を吐いて回るし、みんな迷惑してるんだ」
そう言って彼―――ビリーは眉間に皺を寄せ、憎々しげにため息をつく。
ビリーことウィリアム・アントリウムは、私の数少ない古い友人の一人である。私と同じ十六歳ではあるが、線の細い中性的な顔立ちをしており、色濃い赤毛も相まって、その容貌は年不相応に幼く見える。そのせいか、べランドは昔から彼のことを小僧と呼んでいた。その呼び名は、弟子入れして五年経った今でも変わらない。
私は勝手知ったるといった調子で、火の消えた炉の側の金床に腰掛ける。
「ギャング? 随分と物々しい雰囲気だったけど、地上げでもしに来たの?」
「……」
私の質問に、ビリーは苦い顔で押し黙った。そこに、店の奥からベランドが湯気の立つ木彫りのカップを三つ携えて戻って来た。
「奴らが欲しいのはこの店でも、儂の打った剣でもねぇ」店主はつまらなそうに言う。「狙いはキッドだよ」
それを聞いて私の胸に一抹の不安が過ぎる。思わずビリーを見やると、彼は私の意を察して首を左右に振った。
「いや、おおかた、アントリウムの名前をどこかで聞いたんだと思う」
ビリーは神妙な顔でそう言った。
「それって……」
「大丈夫だよ……僕の仕事については、たぶんバレていない。奴らも半信半疑だったしね」
「おい、おまえら」
と、べランドが厳つい声で言った。
「その話なら裏の工房でしろ。客の来る店先でするもんじゃねぇ」
来るとも知れぬ客がいるのか、と思ったが、私は黙ってカップを受け取り腰を上げた。
ゾイゼン鍛冶店には二つの顔がある。一つは表の顔である下町の鍛冶屋、そしてもう一つが店の奥にある工房だ。
狭い廊下を進み、工房の中に入ると、嗅ぎ慣れぬ柑橘系に似た匂いが鼻をついた。窓には厚いカーテンが締められており、室内は薄暗い。ビリーが壁際のランプに火を灯して、ようやく部屋が見渡せた。
五米四方程度の部屋である。壁の棚には見慣れぬ工具や鋼鉄の部品が並び、部屋の中央には大きな作業机が置かれてあった。その机の上にも、これまた棚と同様に無数の歯車やら発条が散らばっている。そんなガラクタの中心に、ランプの灯りを反射する鋼鉄が鎮座していた。
「へぇ、新しいのが完成したの?」
「まぁね」
ビリーの返答はどこか誇らしげだった。彼は『それ』を手に取り、目の前に掲げてみせる。
「このサイズで九連回転式は東歐諸国でもなかなかお目にかかれないよ。ガルド社のシングル・アクション・アーミーと撃ち合っても勝てると思う」
そう語る彼の瞳は、まるで子供のように輝いている。ビリーの手に握られているのは、磨きこまれた鋼鉄のシリンダーとバレル、そしてパーローズから削り出された木製グリップの集合体―――つまりは、拳銃だった。
「渾身の一丁、ってわけね」
「ああ。少なくとも、これが現状の僕に出来るベストだ」
ビリーの言葉に自惚れや驕りの色は無い。事実、その銃は素人の私から見ても美しく調和の取れた機構だった。そこには生み出した者の熱情があり、それが為す鋭利な精密さが感じ取られた。
まさにアルダナクの伝説の銃職人一族、アントリウム家の技巧が成せる逸品である。
銃を受け取り、そのずっしりとした重量を手の中で吟味していると、べランドが工房に入ってきた。
「それを置きな、リジル。そいつはお得意さんの注文品だ」
「随分と物騒なお得意さんね」
私の言葉に、べランドは渋い顔を浮かべた。
ーーー銃の密造と販売、それがゾイゼン鍛冶店の古くからの裏の顔である。そしてウィリアム・アントリウムは、この店の若き銃職人だった。
此処、ユナリア合衆教皇国では法律により銃火器の所持、使用が固く禁じられている。それを破った者には非常に重い罰が下され、それはもちろん製造した者、販売した者、そして購入した者も同じだ。言うなれば、銃というものはこの国における大禁忌の一つなのである。
しかし、およそ人間が作り上げたものの中で、陰が生まれ得ぬものなど存在しない。それは社会だって同じだ。その暗闇の中には陽射しの下とは異なるルールがあり、それを行使する者たちが存在する。ゾイゼン鍛冶店の『お得意さん』とは、まさにそんな闇の中の存在だった。
しかし、それが具体的にいったい誰なのか、どんな連中なのかは、べランドは決して教えてくれない。それは銃の生みの親であるビリーに対しても同じだった。
「とにかくだ」と、べランドは私の手から拳銃を取り上げる。「あまり弄るんじゃねぇ、リジル。こいつはお前みたいな奴が握るべきもんじゃない」
その言葉に、私は思わず真面目な顔になった。
「ねぇ、べランド。私に関しては別に構わない。でも」視線を横の友人に向ける。「生みの親であるビリーには、その銃の行き先を知る権利があると思うんだけど」
べランドは再び苦い顔を浮かべ、困ったようにため息をついた。それを見てビリーが口開く。
「いいんだ、リジル。僕は納得しているから」
「私が納得していないのよ」
ビリーは押し黙る。私の真剣な視線はべランドの方に向けられていた。そんな私の目をしばらく見つめ返した後で、べランドは銃の方に視線を落とした。
「……良い出来だ、キッド」べランドは銃を矯めつ眇めつランプの灯りに翳す。「こと、銃造りに関しては、ゾイゼンの家系を遡ってもこれほど見事に作れた奴はいないだろう。こいつには正しい資質が刻まれている。アントリウムの技術だけじゃない、紛れも無いおまえ自身の個性がな」
慣れない褒め言葉を送られたせいだろう、ビリーの顔に仄かに朱が射した。べランドは私とビリーの顔を交互に眺めながら、続ける。
「こいつの売り先は言えん。だが、儂を信じろ。キッドの作った銃は正しい者たちの下で、正しい使い方をされる。皇国が滅んで九十年、これまでにゾイゼンが作ってきた武器は資格ある者たちにしか売られていない。これも同じだ」
私は眉をひそめる。まだ納得は出来なかった。
「資格って、具体的にはどんなものなの?」
「その使い道に正義があるか否か、だ」
躊躇うことなく、べランドは答えた。私は頭を振る。
「恣意的な定義ね」呆れ半分で私は言う。「正義なんて、個々人によってそれぞれ違うじゃない。戦争がいい例。あれは異なる正義同士のぶつかり合いよ」
「その恣意性に普遍性をもたらす為に苦悩する姿勢こそが正義の本質、というのが儂の考えだ」
すらすらと答えるべランド。見かけによらず、時折彼はこういう風に難解な言い回しをすることがある。私は理解を諦めて吐息をついた。
「……私には分からないわ。銃を必要とする正義なんて」
私の脳裏を過ぎったのは、今朝の新聞に書かれていたアルダナク内乱の記事だった。あれほど多くの人々を殺す武器が、果たして正義足り得るのだろうか。
「リジル、おめぇ、銃は嫌いか?」
べランドの問いかけに、私は曖昧に首を振った。
「この精密な機構は美しいと思うし、嫌いじゃないわよ。でも、この武器の本来の意味を考えると好きにはなれないな……我ながら矛盾してるけどさ」
「お前はそれでいい」とべランドは表情を緩めた。「迷う者にこの引き金は重すぎる。撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ。そしてその覚悟を抱いたら、もう以前の自分には戻れん」
微笑と共に言うべランドの瞳のずっと奥に、悲壮感のような揺らめきが見て取れた。私とビリーは何も言わず彼の話を聞いていた。そんな神妙な空気を破ったのも、本人からだった。
「ちっ、柄にも無いことを喋っちまった。さて、この部屋じゃ煙草も吸えねぇな。まぁ、ゆっくりして行けや、リジル」
どこかばつが悪そうに言って、べランドは煙草を咥えながら出ていった。私は手近にあった椅子に腰を落とし、脱力する。
「……なんだか上手くはぐらかされた気がするわ」
「べランドの親爺っさん、銃の売上はほとんど僕の口座に入れてくれてるんだ」
ビリーがぼそりと呟いた。
「僕がいつユナリアの外に出て行ってもいいようにって。この国じゃ、僕の技術はきっと陽の目を見ないだろから」
ふぅん、と素っ気なく鼻を鳴らして見せたが、何となく私にも予想はついていた。べランドはきっと、ビリーの為を思って銃の売り先を伏せているのだろう。万が一の事態になったときは、自分が全ての責任を負うために。
「厳つい顔に似合わない男ね、本当に」
私の呟きに、ビリーは苦笑した。
「ところでリジル」ビリーが思い出したように言う。「僕に何か用事でもあったんじゃないの?」
「そうそう、この前会ったときに伝え忘れてたんだけど」私は手をぽんと軽く叩く。「ヴィリティスさんが今日の列車で帰ってくるそうよ」
「本当に?」
ビリーの表情が明るくなる。私のみならず、彼にとってもあの人は特別な存在だ。
私たちの命の恩人、ヴィリティス・ナイツ。
彼女は六年前、とある一件で私たちを救ってくれた女性の騎士団員だ。今は昇格して士長になり、グランヨーク州に配属されたという話は聞いていた。
彼女のことを思い出し、私も少しばかり気分が明るくなる。先ほど喫茶店で遭遇した訳の分からない女のことなど忘れてしまえるくらいに。
「修道院の方にも顔を出すそうよ。会いにいきましょ」
座った椅子をすぐさま立ち上がり、私は言った。
「また剣の稽古をしてもらわなきゃ」