凶刃 1
「……ふざけやがって!」
街灯に照らされた夜道を歩く男は腹立たし気に大声を上げた。
男が気を荒くしている理由は様々なものがあるが、堪忍袋の緒が切れた原因は今日の出来事にあった。それは、男の最も愛する妻の浮気現場の証拠を偶然に掴んでしまったことであったからだ。
気が付きたくなかった。結婚して十年という月日を共に歩んできた妻が自分よりも若い男と共に、ホテルから腕を組み歩いて出てくる姿を見たくはなかった。だが、男が見たその姿は此処しばらく見なかった女の姿をした妻の後ろ姿である。
「クソ、クソクソ! 何で俺ばっかりこんな目に!」
男は道に落ちていた空き缶を蹴り飛ばし、缶が転がって行く先を見るとゴミが多く積まれているゴミ捨て場があった。
ゴミ捨て場は明るい白色の街頭で照らされており、黒いビニール袋が山となっている。
朽ちかけたフランス人形。ボロボロに破壊された棚。埃を被ったアンプ。様々な物が投げ捨てられているゴミ捨て場は酷い悪臭を放っており、周囲を漂う空気も黒色のビニール袋同様に黒く感じさせた。
「何だ? これ……」
投げ捨てられているゴミを眺めていた男の目は一本のナイフに止まった。
ナイフの刃は赤黒い錆に塗れ、獣の歯牙の様に刃こぼれが目立つ。魚の頭さえも落とせそうにないだろう。それを言うなれば鋸の形に近いものだった。
男は誘われるようにナイフを手に取ると、それを舐める様にして見る。
ナイフの握り手は油を塗りたくったかのように滑り、赤黒い染みが点々とこびり付いている。だが、握りやすいように緩い曲線を描いているためかナイフは男の手に馴染むようにして治まった。
憎いのか?
不意に男の耳元に声が聞こえた。皺枯れた初老の男性の声だった。
男は驚き、周囲を見渡してみるが声を発したと思われる人物らしき人影は居ない。在るものというならば、小さな羽虫が飛び回る街灯と、ゴミの山ばかりである。
此方を向け。
「あ、ああ、ああああぁあ!」
突如男の身体に黒い霧が纏わりつくと、一瞬の間に男を包み込む。男を繭に絡めとるように霧は黒い球体へと姿を変え始め、それと同時に男の絶叫は掻き消されていった。