05.巨乳女子、彼女になる。
家族が帰宅するまでの時間、悠士は蛍斗とベッドの上にいた。
何をしていたかは改めて言うまでもないだろう。結果的には蛍斗の「とりあえずヤろう」という希望は叶った。
どこか現実味のない初体験だった。
恋愛感情を抱き、交際し、やがて至るという過程をすべてすっ飛ばした。
恋愛感情も交際期間もないままに、男だった女と性行為をする。あまりにも倒錯的だ。
それでいて、悠士の心は満たされていた。
実際抱いてしまえば何の問題もなかった。嫌悪感も躊躇いも何も生じなかった。むしろ欲望は際限がなかった。
悠士の家は母子家庭だ。それほど困窮しているわけではないが、それほど余裕があるわけでもない。働く母親の代わりに平日の家事をこなすため、悠士はバイトもしていない。国公立の大学へ進むため、勉強も疎かにできない。
蛍斗は悠士を「お堅い」と言うが、悠士も普通の男だ。後先考えずに行動できるほど幼くも、自由でもないというだけで。
だからこそ、当初悠士は女になった蛍斗を男として扱った。そうしなければ悠士自身が彼女のそばにいることができなかった。だってそうだろう。見た目はただの美少女だ。経験のない若い男には刺激が強すぎる。
蛍斗自身の心の在り方が変わっていなかったこともあり、それが最善だと思っていた。
男と女の友情は成立しない、と悠士は思っている。近しいからと言って必ずしも恋愛関係に発展するわけではないだろうが、少なくとも親密な男女には間違いが起きても不思議ではない。
悠士は蛍斗を抱いた。それはつまり蛍斗を女として扱ったということだ。蛍斗がそれを受け入れられるなら何を遠慮することがあるだろう。ちなみに蛍斗は、悠士の家族と夕食を食べ、入浴し、その後当たり前のように悠士のベッドに入ってきた。これで受け入れていないと言うようなら悠士の理性はもう一度切れる。
恋愛感情由来でなくとも独占欲は生まれる。予想はできたことだが、こうなった以上蛍斗を手放す未来はあり得ない。そして、もはや手加減もしない。
蛍斗がキスより先に進もうとする度に、悠士は「身体だけでは意味がない」と言って制してきた。悠士には、蛍斗と身体だけの付き合いをするつもりなど毛頭なかった。
男と女の友情は成立しない。そうであるなら悠士と蛍斗には新たな関係性が必要だった。肉体関係を結び、精神的な結びつきもある。進むべきステージは一つだ。
別に蛍斗に変化を強要するつもりはない。精神としての彼は彼らしくあればいい。ただ、これから悠士は遠慮なく蛍斗に触れる。
覚悟しておけよ、と呟いて、悠士は眠る蛍斗の額にキスを落とした。
蛍斗は悠士の腕に抱かれてしあわせそうに微睡んでいた。
本来ならば惰眠を貪りたい土曜日の朝、しかし悠士も蛍斗も早々に目を覚ました。
初夏の頃にぴったりとくっついて眠っていれば暑いに決まっている。
目が覚めて、目の前に他人がいるという事実に驚き、よくよく見れば親友の顔でほっとしたのも束の間、昨夜のあれやこれが蘇ってきて頭から湯気を出す。
同じタイミングで同じことをやらかし、余計に暑くなった二人はそのままもそもそと起き出した。もちろん朝から盛る元気はない。お互い以外の気配があるのだから当たり前だ。
入れ替わりで顔を洗い、そろってダイニングに行くと母親が朝食を食べていた。弟はすでに部活へ行ったようだ。悠士も蛍斗も部活動に熱心だったことがないから頭が下がる。一つのことにそこまで熱中できるのはすごいと思う。
母親の向かい側の席に並んで座ると、二人分の食パンをトースターに入れながら母親がにやにやして言った。
「いいねぇ、若いって」
悠士はそ知らぬふりを決め込もうとしたが、隣で蛍斗が真っ赤になってしまったのでしらばっくれることはできなかった。
母親の反応はある意味正しい。いくら親友だからと言って、若い男女が同じ部屋で寝泊まりして何もなかったと主張しても信じてはもらえないだろうし、実際やることはやってしまったので言い訳のしようがない。だから悠士は黙秘権を行使しようとしたのだが、蛍斗がこれでは無駄だった。
「あんたのことだから適当なことはしないと思うけど、一応あちらにもご挨拶に行った方がいいかしらね」
「……たぶん今日話してくる」
「そう? ま、必要だったら言いなさい」
蛍斗は赤い顔でぷるぷるしている。恥ずかしくてたまらないようだ。
親に初体験を告白する、なんてどんな拷問なのか。
「いくら二人の気持ちがちゃんとしていても、まだ学生で、結婚だってできる年齢じゃないんだから、その辺りは親の責任になるしね」
悠士の部屋に蛍斗を寝かせることに反対しなかった時点で、そもそも蛍斗を泊めることに反対しなかった時点で親の責任問題であるような気がする。
そう思いつつも悠士は口に出さなかった。母親に口で挑むほど愚かではないし、言っていることは正論だ。
「それでねぇ」
やたら上機嫌な母親が蛍斗に話しかける。
「孫の名前なんだけど――」
「気が早い」
蛍斗はもう一回り縮んだかと思うほど小さくなって震えていた。
ちなみに、蛍斗にはまだ初潮が来ていなかった。
掃除をするから邪魔だと母親に追い出され、悠士は蛍斗を送っていくことにした。
「すごいな、おばさん。理解があるってゆーか……」
「自分も学生結婚だからな」
「そうなんだ?」
電車は使わず、数十分の距離をのんびりと散歩した。
蛍斗は悠士の服を借りて着ている。ハーフパンツがキュロットと化していた。ボーイッシュな女の子という風体だ。豊かな胸のおかげで男に間違われることはない。
昨日までよりも距離が近い気がする。
どちらからともなくその距離を狭めているようで、肩や腕が時折触れる。
手を繋ぐのは少し恥ずかしい。それ以上のことをしているくせに何を、と思われるかもしれないが、それとこれとは別だ。
「わっ」
強い風に髪を遊ばれた。
細くてやわらかい蛍斗の髪はもつれやすい。
蛍斗が自分で直す前に、悠士の指がほぐしてくれた。
ついでのように――悠士にしてみればついでのふりをして――頭を撫でられる。
「へへ」
思わず照れ笑いがこぼれた。
なんだか面映ゆい。
ちょっとした行き違いはあったものの、二人の関係は元に、いや戻ることなく前進した。親友から恋人へ、進化なのか転身なのか、ともかくこうして隣にいる理由を手に入れた。
面と向かってじゃあ今日から付き合おうと言ったり言われたりしたわけではないが、赤ちゃんができるようなことをした上で男が、それも悠士のようなお堅い奴が「責任を取る」と言ったらそれはつまりそういうことだろう。
蛍斗の心は相変わらず男のままだが、悠士を彼氏と呼ぶことに抵抗はない。身体の相性もよろしかったようで、昨日は散々啼かされた。童貞卒業への道は果てしなく困難だったのに、処女喪失は簡単だった。アイドル相手に妄想力だけを鍛えたかつてとは違い、女になった蛍斗が想定する相手は具体的に一人しか思いつかなかったし、手を伸ばせば届く距離にいてくれたのでそれはもう妄想するより実体験する方が早いに決まっていた。勢いは大事だ。
悠士の母親や弟が帰宅した後はのんびりと、大していやらしいことはしなかったが、それでも朝悠士の腕の中で目覚めた時は間違いなくしあわせだった。
男としては遺憾な体格差も、女としては頼りがいがある。一度そう思うと、身体に合わない悠士の服を着ても悲しくはならなかった。
本来心と身体の性を一致させるはずの"クマノミ"化が、蛍斗においてはそれを不一致にさせた。
今の蛍斗は男であり女であり、その中間をふらふらしているようなものだ。そして蛍斗の恋人となった悠士がどっしりと男の側で構えているならば、じゃあ俺は女でいっかと思うのである。
蛍斗は深く考えない。それゆえにその行動原理は自分に対してすこぶる素直なものだ。
無理に女になろうとは思わないが、男だったことにこだわるわけでもない。なるようになれ、と思う。
思いがけず女になってしまったが、それで悠士という恋人を得たのならそう悪くない。もし悠士がいなかったらもっと深刻で悲愴な事態にも直面したかもしれないが、今蛍斗の隣には悠士がいる。それが事実だ。ならばそれでいいだろう。
湿気を孕んだ風が蛍斗の頬をくすぐる。再び髪がもつれてしまわないように、蛍斗は悠士の背中に隠れて彼氏を風除けにした。
それから思った。また悠士がほどいてくれるなら、それでもよかったな、と。
満面の笑みで出迎えられた。逆に怖い。
「ありがとうね、悠士くん!」
感謝された。
「……えっと」
「ちょっ、母さん! 悠士が困ってるだろ!」
「なによぉ。うちの子もらってくれてありがとうっていう感謝の気持ちを伝えただけじゃない」
「んなっ!? もらってって……」
「違うの?」
「ちが――」
「違いません」
蛍斗があわあわしている横で悠士は落ち着き払って肯定した。
蛍斗は顔を赤くしたり青くしたりと忙しい。
「うふふ、これで一安心ね」
なんとも理解のある母親たちだった。
「悠士くん、お昼食べてくでしょ?」
「え? あ、いや、送って来ただけなんですぐ帰ります」
「あら、何か用事あるの?」
「いえ」
「じゃあ上がって上がって」
「はぁ」
「いいからいいから」
上がるつもりはなかったのだが、やたらと歓迎されて逃げられなかった。
母と呼ばれる存在はどこの家でも強いのだろう。ハイテンションなおばさまに一介の男子高校生が敵うはずもなく、悠士は抵抗を諦めて蛍斗の部屋へお邪魔した。
「なんか、なんだろう、あっさりしすぎて逆に不安だ」
反対されたかったわけではないしありがたいことなのだが、諸手を挙げて賛成されるのも少々複雑だ。少なくともこの事態は悠士にとっては突発的な不測の事態であり、本来はあまり望ましくないことなのだから。ちなみに蛍斗と恋人同士になったことが、ではない。自制が足りず手を出してしまったことが、である。
「親父さんは?」
「あー、しばらく帰って来ないし、別にいいや」
蛍斗の父親は留守がちだ。
別に家族仲が不仲ということはない。単に仕事が忙しく、今は単身赴任中である。
女になった蛍斗を見て一番残念がったのは父親だったかもしれない。
なにせ蛍斗の家は女性比率が高く、そうでなくとも女性陣の方が強い。この上蛍斗までが女の側に立てば父親は四面楚歌だ。
哀れ、蛍斗の中でも父親の優先順位は低い。母親が認めたのだから、それでいいのだ。
悠士は微妙な顔をしたが、他人の家の事情に首を突っ込む筋合いではないので何も言わなかった。蛍斗との関係を否定されないなら――もしくは否定できない立場であるなら――あえて口を出すことでもない。
「服洗って返す?」
「どっちでも」
「じゃあ着替える」
言うなり蛍斗が服を脱ぎはじめた。悠士に背を向けた状態で、それはもう勢いよく上半身を露わにする。
悠士は溜め息を吐き、後ろから蛍斗を抱きしめた。
「ぅあ!?」
素っ頓狂な声を上げた蛍斗の耳元で囁く。
「あほだろお前」
「んん、耳やだっ」
「わざと」
「ふぇ」
「俺ら昨日何したんだよ」
「え……えーと」
「で、お前は今何した」
「あ、や、うぅ……」
恥ずかしがったかと思えば男の時のように大胆に振る舞う。男と女の間で揺れる蛍斗の心情をそのまま表わしているのだろうが、同時に悠士も振り回されることになるので勘弁してほしい。
「催促?」
「ちがっ、や、だめっ、耳、食べるなぁ!」
「残念」
悠士は蛍斗の耳の後ろにちゅ、と吸い付いた。
やわらかい蛍斗の髪の感触が気持ち良い。使い慣れたシャンプーの香りが漂ってくるのがなんとも言えない。
「……し、したいの?」
だめ、と言いながらまったく逃げる気配のない蛍斗が悠士の顔色を窺う。
(だからあほだろ、こいつ)
「していいの?」
悠士から奪うのは簡単だ。だって蛍斗が逃げないのだから。
いっそ今回の決定権は蛍斗に委ねてみようか。
「しないの?」
蛍斗は蛍斗で悠士からの動きを待っている。
「したいの?」
今度は悠士から聞く。
少し眉根を寄せて困ったような顔をしつつ、蛍斗が小さく呟いた。
「……した、いよ」
恥ずかしかったのか、すぐに悠士の首筋に顔を埋めてしまったが。
蛍斗の手を引いてベッドに向かう。
先に悠士が腰を下ろし、足の間に蛍斗を収めて再び後ろから抱きしめた。
「な、なんでこっち」
「なんでって?」
向かい合う方がよほど恥ずかしいだろうと思ったのに、蛍斗はなぜか不満げだ。
腕の力を弱めてやれば、蛍斗は自分からもぞもぞと動いて身体を反転させた。悠士の太腿に乗り上げて、首に手を絡めてくる。
「こっちの方が恥ずかしいだろ」
「うるさいな。手持ち無沙汰なんだよ」
(まぁ、こっちの方がキスはしやすいな)
蛍斗の顔が近づいてくる。悠士は目を閉じた。
ちゅ、とかわいらしい音がした。
Lv.1はここまでです。ムーンライトで完全版を公開します。
R18部分は補足というか蛇足というか。読まなくても特に問題はない。たぶん。
なにがどうしてこうなった、と気になる方は覗いてみていただければ。