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親友、のち彼女  作者: 織架
Lv.∞
32/32

巨乳妻の出発点。

恋になる前のことを振り返る蛍斗のお話です。

「えー、どした二人とも」


 それは、双子が十五歳の誕生日を迎えてすぐのことだった。

 その日の朝、普段は一人でてきぱきと身支度を済ませ、朝食の準備すら手伝ってくれるつかさがいつもの時間を二十分過ぎても二階から降りてこなかった。心配になった蛍斗が様子を見に行ってみると、つかさはベッドの中でぐったりしていた。ついでに隣の部屋を覗いてみたら、ほたるもまたぐったりしていた。

 双子は体調を崩すタイミングまでシンクロするのか、とどうでもいいことを考えながら、蛍斗は慌てて階下の夫を呼んだ。


「風邪かなぁ」


 二人とも高熱で、蛍斗は気が気ではなかったのだが。


「明日も熱が引かないようなら、病院に行った方がいいかもな」

「そうした方がいい?」

「……お前は身に覚えがあるだろう」

「へ」


 どうやら悠士には思い当たることがあったらしい。


「滅多に風邪も引かない奴がいきなり高熱を出したことがあっただろう」

「あ。あー、あー、あった……って、え、え、こいつらも!?」


 それは確かに蛍斗にも覚えのあることだった。


「いやでもまさか二人同時なんてそんなさぁ……」

「どちらかは普通に風邪かもしれない。とりあえず今日は様子を見て、あまりにも熱が高くなるようなら病院へ連れて行こう」

「うん……」


 何か大きな病気だと考えるよりはずっといい。そう言われて蛍斗も少し冷静さを取り戻した。





 結局翌日も二人の熱は下がらず、蛍斗が受診している病院に連れて行ったところ、双子はそろいもそろって"クマノミ"になったことが判明した。


「……さすがにつかさもほたるも変わるとは思わなかったな」

「はは、過半数が"クマノミ"ってのもすごい家族だよね」


 笑っていいのか、笑うしかないのか、少々反応に困る。

 それでも、当人たちの戸惑いを思えば、親ができることはただ彼らを、その変化を受け入れて認めてやることぐらいだ。その選択肢を彼らに与えた者の責任として。

 なんでだろう、と首を捻ったほたるはさすが蛍斗に似ている、と言ったのは悠士だ。楽観的なほたるよりも、心配なのはつかさの方だった。むしろ"クマノミ"としては典型的な変化を遂げたのだが、真面目であるがゆえに思い悩んでしまうところはさすが悠士に似ていると思う。

 だから蛍斗はつかさと話をすることにした。


「……母さんは、どうやって受け入れたの」

「うん?」

「これって、おかしい、よね」


 性別が変わるということは、世界が変わってしまうようなものだ。

 白が黒に、黒が白に――世界を二分するものが全く逆転する恐怖は、口で説明できるものではない。


「まぁ普通じゃないわな」


 常識的であればあるほど、受け入れがたいことかもしれない。蛍斗もほたるも別に常識がないわけではないが、悠士やつかさより柔軟な思考の持ち主ではある。


「彼氏がいるのに男になっちゃったほたに比べたら、つーはおかしくないと思うぞ?」

「あ、ああ、うん、ほたるはね……」


 いったい何をどう妄想したらそんなことになるのか、ほたるの彼氏が不憫でならない。


「つーは、好きな人いる?」

「……っ」

「それを、ずっとおかしいことだと思ってた?」


 つかさはなんでだろう、とは言わなかった。つまり、自分の変化の理由をきちんと理解しているのだ。

 同性を好きになったことを悩み、今は変わってしまった自分のことを悩んでいる。気づいてやれなかったことが悔しい。


「つーが納得できるんなら、しあわせになれるんなら、俺はそれでいいと思う」

「……でも俺、伝える気なんかなくて、ただ好きでいられたらよかったんだ。なのにこんな、これじゃあ俺、なんか期待、してる……みたいで……っ」


 関係の進展を望んでいなかったのだとしたら、女になってしまったことはむしろ逆効果かもしれない。

 つかさにとっては、身体の変化に心を裏切られたようなものだ。秘めていたかった心を無理に暴かれたも同然だ。

 蛍斗は肩を震わせて俯くつかさの頭をそっと撫でた。


「自分を変えたくなるぐらい誰かを好きになれるってすごいことだよ。胸を張れ」

「母さん……」


 願わくば、その想いが実ってほしい。

 変わってしまうことが悪いことばかりではないと思える日が、いつか来てほしい。


「で、どんな相手?」

「え……っ」

「つー、一つ教えてやろうか。女ってのは恋の話(こいばな)が好きな生き物なんだ」

「そ、そうなの?」

「そうなの。つーとはあんまりそういう話したことなかったな」

「じゃ、じゃあ、母さんの話も聞かせて」

「俺? 俺は馬鹿だったからなぁ、楽な方に逃げた感じもあるっていうか」

「……父さんが逃げ道だったの?」

「あー、んー、どうだろ。そういう見方もできるし、いや、でもなぁ」


 いわゆる馴れ初めについて子どもたちに話す機会はなかった。話せることが少なかったと言うべきか。きっかけも経緯もろくなものではない。後悔こそしていないが、同じ道を推奨したいとは思わない。


「母さんが父さんのことを意識したのはいつ?」


 改めて聞かれると、さてそれはいつのことだっただろうか。

 二十年以上も昔のことだ、すぐには思い出せない。

 蛍斗はだいぶ薄れた記憶の糸を手繰り寄せた。





 最初に誘った時のことは覚えている。

 女になったばかりで、楽観的な蛍斗と言えどもさすがに精神的な余裕がなかった。逆転してしまった世界で、悠士だけは親友という役割を律儀に果たしてくれていて、だから取られたくなかった。そのためならせっかく得た女の身体を使ってみればいいなんて、それこそ子どもには言えないようなことを考えていた。

 相手が元男で親友だというのは、女の身体の前では大した抑止力にはならないはずだった。こういう場合受け入れがたく感じるのは変化した元男、つまりは蛍斗の方だろうに。いくら悠士でも直接的な言葉と触覚でその気になると思ったのに、そんな浅はかな蛍斗の思惑に悠士はなかなか乗ってくれなかった。

 悠士は非常に堅実な男だ。ヤりたい盛りのお年頃とは思えない落ち着きぶりだった。

 しかし、それでは蛍斗も困る。恋でも愛でもなかったが、確かに悠士が必要だったのだ、蛍斗には。





 ファーストキスは暗い部屋での不意打ちだった。

 学習したのか警戒したのか、その後の悠士には隙がない。

 二度目はそう簡単に許してくれないらしい。

 蛍斗はむ、と唇を尖らせた。


 ――悠士が欲しい。


 それは別に性的な話ではなく、ただ誰にも取られたくないから、悠士に蛍斗を優先してほしいということだ。そのために必要ならこの身体を使ってもいいとは思っている。


(……でも)


 そんなことは置いておいても、悠士とのキスは気持ち良かった。

 まさかファーストキスが親友と、なんて想像もしていなかったし、自分が男とキスをしようと思うなんてもっと想像していなかった。だが、実際蛍斗は何も考えずに悠士とキスしてしまった。

 いや、考えたことは考えた。

 悠士を手に入れるための手段として、最終的に身体を使うなら手はじめはキスだろう、という安直な発想だ。

 はじめて触れた他人の唇は不思議な感触がした。肌と肌の触れ合いの延長線にあり、別段高揚もしなければ嫌悪もしなかった。

 男の視線を気持ち悪いと感じるわりに、悠士(おとこ)とのキスが気持ち悪くないのは意外なようで、同時に納得もできた。誰でもいいわけではないが、悠士相手なら問題ない。悠士相手でも身体の方が拒否反応を起こす可能性はあっただけに、検証結果は上々だった。やはり信頼がものを言うのだろう。

 大盤振る舞いで胸まで触らせてやったのに、悠士はしれっと蛍斗の誘惑を回避した。男としてそれはどうなんだ、と思わなくもなかった。

 せっかくの据え膳に手を付けながら残した悠士は、その後も表面上は変わりなく接してくれているが、距離を測りあぐねているのはなんとなく分かる。ほんの少しよそよそしく感じられるのは、きっと蛍斗がもっと近づきたいと思っているからだ。今の距離感では物足りないからだ。

 だから二回目を仕掛けたいのだが、どうやって悠士の警戒網を突破したらいいのだろうか。

 特別棟のトイレ横の壁に寄りかかりながら、蛍斗は考えていた。午後の授業が終わり、これから帰るところだ。蛍斗が使用許可を得ているのはここだけだから、蛍斗と一緒に行動している悠士も必然的にここを使うことになる。

 蛍斗と入れ替わりで入っていった悠士を待っていると、階段の方から足音が聞こえた。どうやら二人、どこかの準備室を使う教師たちだろうか。よくよく耳を澄ませれば、一方の声は悪い意味で聞き覚えがあった。元々口うるさくて生徒たちから煙たがられている教師で、ここ最近は蛍斗への当たりが特にきつい。"クマノミ"への差別感情をあからさまに表出させるわけではないが、まぁそういうことなのだろう。その目に浮かぶ感情が好意的なものでないことぐらいは分かる。

 関わりたくないなら無視すればいいのに、と思うのだが、なぜか顔を合わせると小言をくれる。そんなのは悠士だけで十分なのに。


(このままだとまたなんか言われるかも)


 どこかに隠れてしまいたい。

 そう思った矢先、トイレの扉が開いた。


「悠士」


 考える前に身体が動いていた。

 出てこようとする悠士を押し戻し、自分も一緒に中へ入る。


「蛍斗、なに――」

「いいから」


 そうしてトイレの扉を再び閉めて、鍵をかけた。


「センセに見つかる」

「……」


 蛍斗の意図を察した悠士は眉間に皺を寄せたまま、しかしそれ以上何も言わなかった。察しが良くて助かる。

 悠士が黙っているのをいいことに、蛍斗はこれ幸いと悠士に身体を寄せた。悠士の眉間の皺がより深くなった。

 密着しても、やはり悠士が相手ならば気持ち悪くない。

 悠士の手が、恐らくは引き離そうとして蛍斗の肩を掴んだところで、廊下を歩く足音が耳に届いた。

 びく、と二人して動きを止める。呼吸さえもできるだけ密やかなものにして、息を詰めた。

 しん、とした空気の中、やけに鼓動がうるさい。蛍斗のそれも、そして悠士のそれも。ぴったりと密着しているから分かる。

 すぐ近くに、悠士の唇がある。

 肌と肌の触れ合いの延長線――これだけぴったりと身体をくっつけていて、そこがくっついていないのもおかしくないか。そう考えた蛍斗はたぶん悪くない。

 思わず、そう、本当に無意識のうちに蛍斗はそこに唇を寄せていた。

 はじめての時のように暗くはなくて、今度はお互いの顔がよく見えた。触れ合う寸前悠士が何かを言いかけたが、結局言葉は何もこぼれなかった。

 唇と唇が触れる。ふにっとしたやわらかい感触は、男も女も同じだろうか。

 どれくらいの時間そうしていたのか、少しだけ肩を押されて唇が離される。ふと見上げた悠士の表情は硬かった。


(怒った? それとも呆れてる?)


 悠士はただじっと蛍斗を見つめていた。その真意を確かめたいとでも言うかのように。

 だから、蛍斗はもう一度目を閉じた。

 掴まれたままの肩が、熱かった。





 肌と肌の触れ合いの延長線――そこに意味を込めるかどうかは、触れ合った者たち次第だ。

 その後蛍斗は積極的に悠士を落としにかかり、悠士を怒らせて初体験になだれ込み、なんだかんだでお付き合いして結婚に至ったわけだが。


(我ながらろくでもないな)


 確かに悠士は逃げ道だった。蛍斗にとっては唯一の。

 悠士を選んだ理由は恋でも愛でもなかったが、それでも唯一だった。他の誰か、なんて考えもしなかった。

 悠士さえ手に入ればそれでよかった。


「きっかけはどうしようもなかったけどさ。でも、誰も疑わなかったよ」

「え?」

「悠士と付き合うってなっても、周りはなんか納得してて。むしろ悠士が好きだから女になったんだって思われて」


 そう思われても違和感がないほどに。


「恋でも愛でもなかったけど、でも、ずっと悠士のことは好きだったんだよ。自分で思ってるよりずっと、もっと」


 欲しいのは、たった一人だけだった。


「だからつーにも、好きになってよかったって思ってもらいたいな」


 諦めたり、悲しんだり、怯えたり――それも人を好きになるということの側面には違いないだろうけれども。

 楽しかったり、嬉しかったり、しあわせだったり――そんな気持ちがたくさんあふれるものでもあるのだから。


 ――さっさといい男見つけろよーって言ってやる。


 子どもが"クマノミ"になったら、そのことを後悔していそうだったら、そんな風に言ってやるのだと、昔悠士と話したことがある。

 でも、つかさはもう見つけているようだから。


「いい男、捕まえろよ」


 激励の言葉は、それだけでいい。



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