02.巨乳女子、待ち望む。
悠士はイベントに熱くならない性質である。
学校行事には真面目に参加するが、クリスマスやバレンタインと言った一般的なイベントは基本的にスルーして生きてきた。
本来の由来を忘れ去られたそれらは、各業界の商戦に利用されるためにある。
悠士は母の日に花を贈ったことがない。イベントにかこつけて日頃の感謝をまとめ払いするより、毎日家事を手伝うことを選ぶからだ。イベントでなければ花を贈るのは恥ずかしい年頃である。
悠士は誕生日を祝わない。年齢を数える節目ではあるが、自分の誕生日は「産んでくれてありがとう」と母に感謝する日だ。恋人が生まれてきてくれてよかったと思うのは何もその日だけではない。
こうあるべきだ、と他人に決められた形で自分の気持ちを表現するのが苦手なのかもしれない。
形に捕らわれすぎて、気持ちを見失ってしまいそうな気がするからかもしれない。
とは言え、他人がどういう仕方で気持ちを表現するかは他人の好きにしたらいいとも思っている。自分が他人に押しつけられたくないのだから、自分も他人に押しつけたくない。そこに込められる思いが嘘だとは思わない。
母の日に花を贈ったことがないという話をした時、蛍斗は「意外」と笑っていた。真面目な悠士ならしていておかしくないと思ったらしい。一年の頃の話だ。当時はまだ知り合って一か月にもなっておらず、親友と呼べるほどではなかった。
蛍斗はイベントを楽しむ性質である。だから、悠士は不思議だった。
蛍斗が何もしなかった。
誕生日にプレゼントを欲しがり、クリスマスにパーティーをし、バレンタインにチョコを心待ちにしていた蛍斗が、悠士と付き合い出してからは何もしなかった。
何もなかったからと言って残念に思うことはない。ただただ不思議だった。
新しいことをはじめるのと同じくらい、ずっとしてきたことをやめるには理由がいる。
蛍斗の理由は何だったのか。
心境の変化があったとするならそこに悠士が無関係であるはずもなく、かと言ってノリが悪いわけでもない悠士に遠慮したとは考えにくい。
悠士に合わせて蛍斗に我慢させる、ということが悠士には我慢ならない。
「お前が言ったんじゃん」
「?」
「嬉しくないって」
「……言ったか?」
「言ったよ」
クリスマスもバレンタインも、彼女が欲しいチョコが欲しいと騒ぐ蛍斗に言ったのだ。「それで楽しいのか」と。クリスマスのためだけの恋人も、バレンタインのためだけのチョコも「別にいらない」と。
『非日常のためってことは日常じゃないってことだろ。そんなの嬉しくない』
お前だって心の恋人に申し訳なくないのかと言われて、蛍斗はぐっと言葉に詰まった。その時の蛍斗は「モテる男は言うことが違う」と負け惜しみを吐いたのだが。
きっと悠士には特別な日などいらないのだ。
いつもと違うことをする日など必要ではないのだ。
たまに羽目を外すことがあってもいい。だが、他愛ない日常が、変わりない毎日があるからしあわせなんだと蛍斗は理解した。
女になって、世界が逆転してしまった蛍斗だから、それが理解できた。
だから、蛍斗はその日を特別扱いするのをやめた。
クリスマスもバレンタインも関係ない。その日だけ一緒にいるより、毎日一緒がいい。
「悠士、そんなに甘いもの好きでもないし」
クリスマスにはケーキ。バレンタインにはチョコ。そんな固定観念も投げ捨てた。
せっかく気持ちを表わすなら、相手の好きなものを贈りたい。
「でも悠士言わねーし」
「ああ、あれ、それを調べてたのか」
クリスマスの前も、バレンタインの前も、一応聞いてはみたのだ。何か欲しいものはないか、してほしいことはないか。なのに悠士は「別に」の一点張りで。
「しょうがないだろ。その日に彼女がいたことなんてないんだから」
悠士にしてみれば、ケーキともチョコとも言われなかったから、その日に関するアンケートだとは思わなかったのだそうだ。悠士の中では、恋人たちの記念日というよりは恋人になりたがる日というイメージが強かったらしい。
「誕生日に何も言わなかったのは?」
逆に悠士が聞いてきた。
蛍斗の誕生日は九月のはじめだ。悠士から一か月と少し遅れて十七歳になった。普段わりと傍若無人におねだりしまくる蛍斗がその日は何も言わなかった。
「言ったらお前、絶対会わなかった」
「……」
「絶対家族で過ごせって言った」
「あー……言ったかもな」
実際クリスマスの時はもう婚約が本決まりになっていて、「今年は家族水入らずで過ごせ」と言われてしまった。
そもそも誕生日を親に感謝を伝える日として認識している悠士だ。悠士の誕生日に「誕生日だから一緒にいたい」と言ったら「なんで」と素で聞き返された。それはもう真面目とかお堅いとか浮ついていないとかいうレベルではない。
「俺だと、あんまり楽しませてやれないだろうしな?」
一般的なイベントを祝ったことのない悠士は定番の演出を知らない。特別な演出もできない。
だが、蛍斗だってそんなことは期待していない。
「いらないよ。悠士がいない方がやだ」
――俺と出会ってくれてありがとう。
悠士が蛍斗の誕生日に言ったのはその一言だけだったけれども、すごく嬉しかった。十分に特別だった。
「お前が言い出さないと気づかないぞ、俺」
自分の朴念仁ぶりは理解しているらしい。
「いいよ。気づいてほしかったら言う」
蛍斗は我慢なんかしない。悠士に遠慮なんかしない。
「……お前はそのままでいいよ」
頭を撫でられた。
悠士が甘やかすから、蛍斗は付け上がる。
悠士がそのままで、と言うから蛍斗は自分を変えようと思わない。それでもイベントに対する姿勢は変わった。
変わったのか、変わっていないのか。きっとどちらも正解だ。
その言動に変化はあるが、本質的には変わっていない。
変わったと言うなら、それは優先順位が変わったのだ。
「悠士も、そのままでいいよ」
蛍斗が想像していたよりずっと甘くて、あたたかい。
退屈だろうか。つまらないだろうか。マンネリになるだろうか――そんなことはない。
悠士と知り合ってもうすぐ二年になるが、一度だって退屈したことはない。「つまらない奴」と思ったことがないこともないが、悠士はただつまらないだけの男ではない。他人とは違うものがたくさんつまっている。
そんな悠士が、蛍斗は好きだ。
刺激が欲しければ、蛍斗がそう願えばいい。ノリのいい悠士は付き合ってくれる。
イベントだけ張り切る男よりずっといい。
かつての自分さえばっさり切って、蛍斗はいい男を選んだ自分を褒めた。
というわけで恋人御用達のイベントにはあまり参加せず、それでも恋人らしい日々は過ごして、悠士と蛍斗は春休みを迎えた。
――一月は行く。二月は逃げる。三月は去る。
うまく言ったものだ。
進級が危ぶまれた蛍斗の勉強を見ている間に、時間は飛ぶように過ぎていった。
無事進級が確定した頃から、双方の母親たちがいろいろと物件情報を持ち寄りはじめた。
住むのに不自由がなければいいという当事者二人は、せっかくだからこだわるべきだという母親たちと意見を戦わせつつ、新生活に思いを馳せた。
イベントに熱くならないとは言っても、人生の一大イベントにまつわる準備を疎かにするつもりはない。
悠士は受験生になる。それほどしゃかりきに勉強するわけではないが、遊んでばかりもいられない。準備は早いうちに済ませておくに限る。
「家賃の相場からしたら、二部屋とダイニングキッチンか、一部屋とリビングダイニングか」
「一緒じゃない?」
「いや、自分の部屋が持てるか持てないかは大きい」
「悠士」
なぜか睨まれた。
「なんだ?」
「それは部屋を分けたいってこと?」
「……欲しくないか? 個室」
「一緒に寝ないってこと?」
「いや、そうじゃなくて」
子どもを作りましょう、と言っているのだからもちろん一緒には寝るつもりだ。
だが、勉強に集中したい時もある。蛍斗が一緒だと気が散る。理由は察してほしい。
「俺、ベッドはセミダブルがいい」
「へ」
「シングルじゃ狭い。ダブルじゃ広い」
「ああ、うん」
「どっちに置くの」
「あー……じゃあ一部屋は寝室にするか」
そんな感じで決めていった。
結果的にほぼ蛍斗の希望が通った。自己主張した者勝ちだ。
その青写真をもとに、不動産情報サイトをいろいろと検索した。契約を交わすのは六月頃を予定しているが、はじめて引っ越しをする二人なので、イメージを掴むために不動産屋を訪れて実際にいくつか物件を見せてもらったりもした。
大学に受かれば、四年間はそこに住む。一人暮らしなら、気に入らなければ引っ越せばいいとも思えるかもしれないが、二人で住む。そのうち増えることもある。費用は親が負担する。
引っ越しの回数と出費を最小限に抑えるために、具体的に考えてみた。そんな時は蛍斗の妄想力が役に立った。
引っ越してからもしばらくは高校に通うから駅近くであった方がいい。
近くにコンビニがあるといい。できれば通い慣れたのと同系列の店がいい。
日当たりが良くて角部屋で、風呂トイレは別がいい。
最初から妥協するな、とは母親たちの言だった。
見つからないかもしれないが、見つかるかもしれない。だったら希望の条件は細かくしておく方がいい。見つからなかったら少しずつ条件をゆるめていけばいいのだ。
部屋探しはタイミングと運次第ということがある。好条件の物件がたまたま探していた時期に空いていることもある。完全なる引っ越しシーズンからは少し外れた六月に、少しでも希望に叶う部屋が見つかるといい。
大学受験に備えて悠士の勉強時間は増える。悠士が勉強している間、蛍斗は実家で家事を覚える。
話し合ってそう決めた。
悠士ができるから、と甘えていては悠士の負担ばかりが大きい。それを気にする悠士ではない――気にするようならとっくに蛍斗は放り出されているに違いない――と思うが、大学にも行かず働きもせずニートになることが確定している蛍斗なので、せめて家のことを少しずつでもできるようになろうと思ったのだ。
そう、蛍斗はバイトを禁止された。至極当然のように悠士は言った。
「子ども欲しいんだろ」
せっかく働き出してもすぐ産休に入るようでは逆に迷惑だ。
そう言われてしまうと反対を押し切ってまで働く気にはなれなかった。短期のバイトぐらいならいいのではないかと言ってみたら、悠士がぼそっと「目が届かない」と本音を漏らしたので、蛍斗は働くことを諦めた。
今の蛍斗は一人でも出歩くようになったし、悠士の束縛が強いわけでもないが、もうしばらくは心配性の悠士の言うことを聞いておこうと思う。
悠士は蛍斗を大事にすると言ってくれた。そして言葉通り大事にしてくれている。
蛍斗も悠士を大事にしたいと思う。労わりたいと思う。
蛍斗にできることは少ない。だが何もできないわけではない。
外で働けないなら内で働けばいい。だから蛍斗は母親の下で花嫁修業に精を出すことにした。
これまでの蛍斗はほとんど家事を手伝ったことがない。蛍斗の母親は専業主婦だから、蛍斗が手を出す余地がない。
正直蛍斗はあまり気が利く性格ではない。言われて気づくことが多い。つまり言われなければ気づかない。
男の子だったからか、単に母親の性格か、お手伝いを求められたこともない。悠士流に言うならばイベントにかこつけて日頃の感謝をまとめ払いするタイプだ。
蛍斗の母親は一本のカーネーションを喜んでくれたが、家事を習いたいと言った時はもっと喜んでくれた。
「偉いわ、蛍斗。やっぱり男の胃袋は掴んでおくに限るわ」
「いや悠士の方が家事得意だからね?」
蛍斗の母親は見た目に似合わず肉食系だ。
ふわふわしていて――ぶっちゃけ蛍斗は母親似だ――おっとりしているようでいて、息子だった娘に「親友を落とせ」「落としたら逃すな」と言う母親である。
「あら、だからこそ蛍斗のがんばりを分かってくれるじゃないの」
それは言えている。
「母さんも父さんの胃袋掴んだの?」
「うふふ。プロポーズは『毎日僕のために味噌汁を作ってくれませんか』よ」
今は単身赴任先でインスタントの味噌汁をすすっているだろう父親の姿を想像し、蛍斗は少しかわいそうになった。
そして四月、悠士と蛍斗は高校三年生になった。
今井 悠士と有賀 蛍斗の、最後の一年がはじまった。




