10.彼女は彼氏と結ばれたい。
本能でもいい。遺伝子レベルで相性が良いというなら、それに越したことはない。
蛍斗のなけなしの理性も本能も、たった一人だけを求めている。
だから、その人の子どもが欲しい。
実際に親になる覚悟があるわけではない。壮絶な陣痛に耐えられるかも分からない。
(でも、でも)
好きな人の、愛する人の子どもを欲しいと思うのはあまりにも自然なことだ。
蛍斗は悠士に恋をしていない。
(でも大好きだ)
いろんな好きが積み重なった、それはそれは大きな「好き」だ。
だから、悠士の子どもが欲しい。
いろいろ考えなければならないことがあるとしても、蛍斗の願いはただそれだけ。
思えば最初から、二人とも避妊という言葉が頭になかった。
一応悠士はそれを踏まえて行動しようと思っていたらしいが、結果的に失敗し、第一歩から盛大に踏み外したそうだ。
はじまりの言葉こそ「とりあえずヤろう」という軽いものだったけれども、その場限りの刹那的な関係など望んでいなかった。あくまでも蛍斗の中では、ただヤりたいからではなく、悠士を繋ぎ止める手段としてその行為が必要だった。
もしも子どもができたら。それを不安に思い、否定的に考えることはなかった。
もしも子どもができたら。むしろ二人の不明瞭な感情をはっきりさせることができそうな気がした。
どこか歪な関係性を、祝福されるものに。
女に、なれる気がした。
それはきっと蛍斗のわだかまりだ。
悠士が女になれと強要したわけではない。蛍斗が勝手に感じてしまうだけで。
自分の変容を受け入れがたく感じる一方で、女になれれば悠士を繋ぎ止めることができると。
悠士との関係が続くこと。
悠士を失わないこと。
蛍斗が望んだのは、それだけだった。
だから、妊娠という形で否応なしに二人を繋げる事実があれば、蛍斗は安心できる。
妊娠・出産・育児の大変さは想像を絶するが、その辺りは楽観的だった。というかさすがに蛍斗でも具体的に妄想することはできなかった。
それが種を残そうとする本能なのだと言われたら、そうなのかもしれない。だが別に嘘の気持ちというわけでもないだろう。蛍斗の意思がまったく無関係だったわけではない。
消去法ではあったかもしれないが、蛍斗の男の心が悠士を選び、蛍斗の女の本能が悠士を認めたのだ。
「熱々で羨ましいわ」
ふふ、と笑う蛍斗の母親の前で、悠士と蛍斗は穴があったら入りたい気持ちだった。
自業自得なのは承知の上であえて言おう。そこは普通気を利かせて話題を避けるところではないのか。
昨日は夕食も食べず、二人で蛍斗の部屋にこもっていた。ぶっちゃけ一晩中ヤっていた。悠士にとっては人生初の無断外泊だった。
『死んでない?』
『蛍斗の家に泊まった』
『生きてるなら無問題』
朝一番に己の母親と交わしたメールのやり取りだ。
問題はありまくりだと思うのだが、深く追求されても困るのでそっとメールボックスを閉じた。
抱き合ったまま気がついたら朝になっていて、お互い直視できない状態だったためとりあえず風呂に入ることにしたのだが、階段を降りたところで蛍斗の母親に出くわした。話してくる、と言って翌朝まで降りてこなかった悠士に怒るでもなく、むしろにこにこと微笑まれたらどんな顔をしていいか分からない。
「それで、答えは決まったの?」
「俺が十八になったら、蛍斗と結婚したいです」
端的に、率直に答える。
それが、お互いにしあわせになれる方法だから。
隣で蛍斗もこくりと頷いた。
蛍斗の母親は二人の顔を交互に見て、満足げに微笑んだ。
「悠士くん、うちの子をどうぞよろしくね」
「はい!」
「それじゃあ、悠士くんのお母さんともお話しないと」
「それよりもあの、おじさんに――」
「いいのいいの。息子が嫁に行くなんて、今のあの人パニックになっちゃうわ」
「あー……そうですか……」
息子が娘になったことを受け入れるだけでも大変だというのに、その上嫁に行くんだと――なるほど、パニックを起こしても不思議ではない。
「頃合いを見て私から話しておくわ。大丈夫、反対なんかさせないから」
「でも俺、会ったことすらないんですが」
「うーん、それもそうね。じゃあどこかで一回ご飯でも行きましょうか」
ちなみに蛍斗の父親へはいろいろ全部事後報告だったらしい。
父親の存在とはそんなに軽んじられるものなのだろうか。
若干結婚が不安になった悠士はたぶん悪くない。
蛍斗を先に風呂へと送り出して、悠士はダイニングで待たせてもらうことにした。
「……昨日一つ聞き忘れていたんですが」
「何かしら」
「薬の影響は子どもに遺伝しますか」
「本当に悠士くんはしっかりしているわね。それも今のところは大丈夫だと言われているわ。まだ第三世代は生まれていないし、後の世代でどうなるかは分からないけれど」
ほっと胸を撫で下ろす。
下手をすると即物的な子どもたちが増えていくのではないかという懸念はひとまず払拭できた。
「あの子はあんまり考えない子だから、悠士くんが付いていてくれたら安心ね」
「……俺は考えすぎるから、たぶん足して割ったらちょうどいいと思います」
「お互いを補完できる関係って素敵ね。次の診察の時には悠士くんも一緒に行きましょうか?」
「え、と、いいんですか」
「婚約者ですもの、もちろんよ」
婚約者。
改めてそう言われると大いに照れる。
「俺で、いいんでしょうか」
思わず口を突いて出た言葉に、自分でも驚いた。
「あ、いや、蛍斗の気持ちを疑ってるとかじゃなくて。もしかしたら、いろんな可能性を摘み取ってしまったのかもしれないって、ちょっと思って」
蛍斗が女になって約半年。もう、なのか。まだ、なのか。
結論を急ぎすぎてはいないだろうかとふと心配になる。
「きっと、摘み取られて構わない程度の可能性だわ」
「え」
「蛍斗はあの通りちょっと頭が足りなくて考えも足りない子だけど、でも人を見る目はあると思うの」
やさしい顔で蛍斗の母親は言う。
「怒っていいのよ、悠士くん。私はあなたを利用した」
「……」
「真面目でお堅くて、でも意外にノリがいい。蛍斗から聞いていた通りのあなたなら、きっと蛍斗を見捨てたりはしないだろうと思ったの」
確かに利用されたというのは事実だろう。騙し討ちのようなものだ。
何も知らされないまま、けしかけられるままに蛍斗を抱いて関係が深まってしまえば、確かに悠士は蛍斗を見捨てることができなくなっただろう。それで子どもができてしまえば、否が応でも責任を取らざるを得ない。
もし蛍斗が"クマノミ"の本能に支配されてしまっていたら、蛍斗の意思も悠士の意思も置き去りになっていたかもしれないのだ。
だが、悠士は蛍斗の母親を責めることができなかった。彼女にけしかけられるまでもなく蛍斗は悠士を誘惑し、悠士も蛍斗に手を出したからだ。子どもができてもできなくても責任を取るつもりでいた悠士にしてみれば、応援してもらって怒る理由こそ見当たらない。
「今はこれで良かったと思っています。想像していたのとはだいぶ違う未来になりそうですが、でも、たぶんこっちの方がしあわせになれそうな気がします」
「そう言ってもらえると嬉しいわ。私も親なの。子どものしあわせを考えてしまうのよ」
他人の子より自分の子のしあわせを願うのは、人として何もおかしなことではない。身勝手かもしれないが、自然なことでもあるのだ。
「私が考えつく中で、あの子がしあわせになれる一番の相手はあなただった」
そうでなければ、あれほどけしかけたりはしなかった。
「私が言うまでもなく、あの子はあなたを選んだ」
我が子の見る目を信じている。
「逆に聞かせてちょうだい? あなた以上の人がいるかしら?」
「……ありがとうございます」
蛍斗から、そして蛍斗の母親からの信頼に足る自分でありたいと、悠士は強く思った。
次の土曜日、悠士は母親と連れ立って蛍斗の家を訪れた。
蛍斗の母親は悠士の家へ来るつもりだったようだが、「挨拶に行くのは男!」と悠士の母親が言ったので、結局蛍斗の家で顔を合わせることになった。
悠士の母親は若い。まだ三十代――四捨五入してはいけない――で、少しくたびれてはいるが年相応だ。
一方蛍斗の母親は若々しい。四十代半ばだと聞いているが、悠士の母親と同年代くらいに見える。
つまり、どちらも子どもの結婚について話し合いをする母親には見えない。
この国の平均初婚年齢は男女ともに三十歳を超えている。初産時の女性の平均年齢は三十二歳だ。かつては高くなる一方だった二つの数字だが、国が対策に乗り出したことで、近年は高くなることも低くなることもなく落ち着いている。
だから、と悠士の母親は言う。
「あたしの同級生なんかまだ結婚もしてなかったりするわよ。せっかく十代で子ども産んだんだから、三十代のうちに孫抱いてみたいわよねぇ」
若くしておばあちゃんになる。それが自慢になる時代、世界に悠士たちは住んでいる。
考えてみればどちらの母親も、少子化・晩婚化の流れには当てはまらない。一人っ子がクラスの七割を占める中、悠士にも蛍斗にも兄弟がいる。蛍斗にいたっては三人姉妹だ。
母親同士も意気投合したらしく、世間話に花を咲かせながらこれからのことを話し合った。
全員が子どもを作ることに賛成しており、むしろ母親たちは「ちゃっちゃと作れ」と言うぐらいだ。
でもまだ学生だから、という悠士の訴えは通用しなかった。
「身の入らないお勉強よりもずっと大事なことよ」
蛍斗の母親の言うことは一理あった。
結婚と同時に引っ越しもすることになった。
「夫婦はやっぱり一緒に住まなくちゃ」
現在どちらも夫と一緒に暮らしていない母親たちの言葉に悠士と蛍斗は思わず顔を見合わせた。どの口が言うのかと。
「部屋は空いているから、悠士くんがうちで一緒に暮らすのでもいいけれど」
蛍斗の母親の申し出は丁重にお断りした。それでも二人で一緒に住むという提案自体は魅力的だった。
悠士は大学に受かったら家を出るつもりでいた。目指す大学は悠士の家から少し遠い。
家からの距離で高校を選んだ悠士である。通学に時間をかけるのは無駄にしか思えない。高い交通費を思えば、大学の近くで安い部屋を借りる方がいいという結論に達するのは自然な流れだった。
「じゃあ、少し広めの部屋にして、二人で住めばいいわ」
「いや、受かるとは限らないんで」
「やぁね。受からざるを得ない状況にしてしまえばいいのよ」
「……」
とんでもないプレッシャーだ。その分死ぬ気でがんばるとは思うが。
家賃はそれぞれの親が折半し、生活費は蛍斗の親が払うということになった。持参金代わりよ、と言われたら断るのも気が引けた。
悠士はバイトをして生活費を賄うつもりでいたのだが、「そんな暇があったら夫婦生活を楽しみなさい」と言われてしまった。
そんなに至れり尽くせりで大丈夫なのだろうかと不安げな悠士たちを、母親たちは笑い飛ばした。相当額の負担がかかるというのにとても楽しそうだった。親とはそんなものなのだろうか。
「いつかあなたたちにも分かるから」
そう言って母親たちは示し合わせたように笑った。
家に帰ってから、母親と久しぶりにたくさん会話をした。
大半は蛍斗とのことについて聞かれたが、興味深い話も聞くことができた。
「親はね、子どもがいるから親でいられるの。あんたたち抱えて一人でどうしようかと思ったけど、まだちっちゃいあんたがあたしの手をぎゅっと握ってね。まるでしっかりしてって言われてるみたいだった」
はじめて聞く内容だった。父親がいなくなったのは悠士が三歳になる前だったから、恐らくその頃のことだろう。
「だからあたしはがんばれた。あんたたちがいるからがんばらないと、って。そんなものよ」
悠士は黙って母親の言葉を聞いていた。
「あんたのことだからまたいろいろ難しく考えてるかもしれないけど、一回蛍斗くん見習って、思うがままにやりたいことをやってみなさい。困ったら大人を頼りなさい。それができるのは若いうちだけだからね?」
「頼る……」
「あんたは手のかからない子だった。親の手を煩わせないようにする子だった。でもねぇ、たまには親らしいことさせなさいな」
「……ああ、うん、ありがとう」
結局、子どものしあわせのために何かしたいという気持ちに甘えることにした。
もう少しだけ、子どもでいさせてもらおうと思う。
蛍斗は進路希望調査票を白紙で提出した。
担任から呼び出しを食らったが、「永久就職しますんで」と応じたら熱でもあるのかと言われた。
悠士と結婚することを伝えたら、担任はぱかっと顎を落としていた。
毎日ほぼ一緒にいられる日々は、そう長く続かない。
それでも、蛍斗はもう寂しいとは思わなかった。
失っても、得られるものがある。
それは偶然の産物ではなく、蛍斗が、悠士が望んだ未来だ。
――来年の夏が待ち遠しい。
Lv.2はここまでです。一応回収すべき伏線は回収したつもりです。
後はのんびり糖分増量でお送りしていこうかと。
完全版は数話まとめての公開になります。




