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親友、のち彼女  作者: 織架
Lv.2 こいあい
12/32

06.彼女は彼氏に飼われたい。

 いかに俊足の蛍斗と言えど、廊下を全速力で走り抜けるわけにはいかない。人を避けながらではスピードが出ず、後ろからはドドドっと女子の群れが迫ってくる。怖い。怖すぎる。

 冗談でなく「ひっ」と喉を引き攣らせて蛍斗は逃げた。逃げて、逃げて、自分の教室に走り込むなり叫んだ。


「隠して!」


 いったい何の騒ぎかと驚いている悠士の元へ駆け寄る。追いついてきた女子たちは悠士の背中に逃げ込んだ蛍斗を引っ張り出そうとした。恐るべき執念に蛍斗はもはや涙目だった。


「有賀ちゃんっ、なんで逃げるの!?」

「逃げるわ!! なにこれこわい!」

「ちょっとお姉さんたちとお話しましょーっ!?」

「お姉さんじゃねーしお話もしねーから!」

「大事な話のネタ!」

「ご飯のおとも!」

「もはや意味分かんねーし!!」

「今井くん、お願いちょっとどいて!」

「有賀ちゃん貸してっ」


 女子は三度の飯より噂話と恋話が好きなんだとか。

 嘘か本当か知らないが、事実彼女たちの執念はすごかった。

 回り込んだ女子にずるずると手を取られた蛍斗はもう一度叫んだ。


「悠士、助けて!」


 叫んだのとほぼ同時に後ろから抱きしめられた。見知った体温に、それが悠士の仕業だと知る。

 今度(・・)は、無視されなかった。


「やらん」


 悠士は蛍斗を抱きしめたまま言った。


「……え?」

「……今井くん……?」


 蛍斗は思わず悠士の顔を仰ぎ見た。

 蛍斗にも女子たちにも、悠士の言葉の意味が分からなかった。

 一様にぽかんとして、だが立ち直りの早かった女子が勇敢にも意味を尋ねた。


「え、え、どういうこと?」

「蛍斗は貸さない」


 どうやら「有賀ちゃん貸してっ」への返事だったようだ。


「なんで今井くんの許可がいるの?」

「俺のだから」

「え……」

「……え? ええぇぇ―――っっ!?」


 一拍置いて、女子の悲鳴がそこここで上がった。事の成り行きを好奇の目で見守っていた男子たちも騒然となる。


「うそーっ!? 今井くんと有賀ちゃん、付き合ってんの!?」

「マジかよ? 羨ましすぎるだろそれっ!」

「えーっ、何それショックぅ!」


 思い思いの叫びが上がる中、蛍斗は悠士の顔をまじまじと見つめた。特に赤くなるでも狼狽するでもなく、いつもと変わらない悠士の表情(かお)を。

 背後から回された腕ががっちりと蛍斗を閉じ込めている。

 いったいこれはどういう状況だろうか。


 ――俺のだから。

 ――今井くんと有賀ちゃん、付き合ってんの!?


(え……?)


 それは事実で、しかし蛍斗がさっき言ってはいけないものとして飲み込んだ言葉だ。


「……言って、いいの?」

「お目付け役卒業したら、他の理由がいるだろ」

「理由?」

「俺たちが一緒にいる理由」


 それに、と悠士は苦笑した。


「むしろ言っちゃいけない理由がなくなったし」

「……そうなの?」


 それが何であるかを蛍斗は知らない。知らなくても問題はない。

 それより問題なのは――。


「これで、俺のだから手を出すなって、やっと言える」


 さっきから蛍斗を抱きしめたまま、恥ずかしいことをのたまう彼氏の方だ。

 再び女子の悲鳴が上がった。どさくさに紛れてほのかに悠士への思慕を滲ませる声もちらほらと聞こえてくる。


「悠士も俺のだから!」


 蛍斗も慌てて負けじと声を張り上げた。





 所有権の主張合戦もとい交際宣言によって、教室内は阿鼻叫喚の嵐だった。

 失恋に嘆く者、かすかな希望を打ち砕かれた者の悲しみの声もあったが、概ね好意的、というか「やっぱりか」「でしょうね」という反応が大半を占めた。

 とっくに「もう付き合っちゃえよ」という空気になっていたのだ。それはもうあからさまにお互いを特別扱いしている二人に横槍を入れる余地はないと、皆うすうす気づいていた。

 この日、悠士は晴れて蛍斗のお目付け役を卒業し、蛍斗の彼氏としてクラスの公認を得た。

 落ちない男としてそこそこ有名だった悠士を落としたのが元男であるという事実は、女子たちの矜恃に傷を付けたようだ。


男女(おとこおんな)に取られるなんてもったいない」


 悔しそうにぼやく女子の姿が散見された。





「言っていいならそう言えよ」


 ぶつぶつと文句を言うのは悠士の膝の上で丸まっている子猫――ではなく蛍斗だ。

 膝を抱えてすっぽりと悠士の懐に収まっている。喉を撫でたらごろにゃん、とでも言いそうだ。


「お前が目立ちまくったからな」

「俺?」


 自分のことだというのに、蛍斗は"クマノミ"についてあまり詳しく知らない。知ろうとしない。

 必要なことなら親か悠士が言うはずだ、と人に丸投げしている。蛍斗が望んで変化したわけではなく、それでいて変化に順応できてしまえたからこその態度だろう。

 だから、その分悠士は"クマノミ"のことを自分で調べた。

 "クマノミ"はいくつかの権利を保障されている。彼らの性転換は国策によるものだ。国に認められ、むしろ期待されている。

 一つ、自由に名前を変える権利。

 一つ、性別が変わる以前と変わらぬ環境で生活する権利。

 代表的な権利はこの二つである。性別が変わることで生じる不利益を回避するための権利であって、義務ではない。名前を変えるも変えないも自由、転校・転職するもしないも自由。金銭的負担が生じる場合は国から補助金が出る。

 変化の理由や状況は人それぞれで、過去を変えたい人も変えたくない人もいる。どちらの場合も、変化が当人にとって不利益にならないよう周囲が配慮するのは義務だ。

 "クマノミ"への差別行為は法律で禁止されている。最初のうちは努力義務だったのだが、異質な者への差別感情は法律で禁止されなければ抑止することができなかった。悪意があってもなくても、人は大勢から外れる者、自分と違う者を異質とみなし、違うから、という理由で理解しようとしない。法律で禁止されていてもあくまで表面上の抑止にしかならず、実際には至るところで差別が生じているのが現状だ。

 たとえば、蛍斗がしばらく女子更衣室や女子トイレを使うことができなかった件。

 たとえば、「元男だから」という理由で蛍斗へのセクハラを正当化しようとした馬鹿どもの件。

 他にも、日常会話のあちこちに差別の芽は潜んでいる。

 蛍斗はあまり細かいことを気にしないからまだいいが、誰にとっても繊細な話題であるはずの性の話題を"クマノミ"にはぶつけていいと誰が言ったのか。興味を引かれる気持ちは分からないでもないが、悠士と蛍斗がヤったかどうかを本人に直接聞くのはどう考えてもアウトだ。

 ただでさえ"クマノミ"は好奇の目に晒されやすい。

 その好奇を一層かき立てる噂のネタになるようなこと、たとえば蛍斗が男と付き合える、という事実もあまり公にはしたくなかった。蛍斗は男と付き合えるわけではない。悠士だから付き合えているだけだ。だがそんな事情を知らない人間にはただ蛍斗の性愛の対象が男に変わったと認識されてしまう。だからこそ悠士はあえて事実を伏せ、悠士が蛍斗の面倒を見ているのはあくまで親友だから、という体裁を取っていた。

 しかし、蛍斗が体育祭で獅子奮迅の活躍を見せ、一気に注目を集めてしまったことで状況が変わった。"クマノミ"であるということも併せて、それこそ全校生徒に顔を知られたと言っても過言ではない。

 蛍斗のところには連日多くの男が押し寄せた。蛍斗がフリーだと思われている所為で数は一向に減らなかった。


 ――俺のだから手を出すな。


 何度言ってしまいそうになったことか。

 だが、親友として、お目付け役としてでは、蛍斗の所有権を主張できない。所有権を主張できなければ、付け入られる隙を与えてしまいかねない。

 蛍斗を一人にして、付け入られて後悔するのは二度とごめんだった。

 蛍斗がすでに目立ちすぎるほど目立ってしまった以上、二人の交際を隠すメリットはなくなり、デメリットだけが残った。

 だから、悠士は親友をやめ、お目付け役を卒業し、蛍斗の彼氏になることを選んだ。





「どの道見られるなら、見るなと言える立場の方がいいと思って」

「だったら早く言やぁいいのに。断るのめんどくさかったんだからな」


 ――付き合っている人がいるのでごめんなさい。


 告白の断り文句としてはこれ以上ないほど簡潔で強力だ。

 そのカードをもっと早く切れていれば、蛍斗が視姦される屈辱を味わう機会はずっと少なくて済んだだろうに。

 蛍斗がさっきから不機嫌なのはその所為だった。

 直接触られているわけではなくとも、身体をじっと見られ、鼻息を荒くされたら十分に不快だ。

 悠士の手が、ご機嫌を取るように蛍斗の頬を撫でた。


「あれほどモテるとは思わなくて」

「お前それは彼女様に失礼じゃねぇ?」

「そうか? あれはかなり即物的な連中じゃないか。まぁだからこそ『一発ヤらせろ』なんてふざけたこと言いやがるんだろうが」

「嫌なこと思い出させんなよ……」

「ああいうのにモテても嬉しくないだろ」

「……モテ期いらない。ああいうのに限らず男にモテても気持ち悪い」

「あー……難儀だな、お前も」


 応える気なんかさらさらないのに真摯に告白されたらそれはそれで困る。

 かと言って女にモテたい気持ちももう残っていない。

 俺のことどう思ってるのかな、なんて気持ちが気になる相手は一人しかいない。


「悠士はさぁ……」

「ん?」

「……やっぱなんでもない」


 ――有賀ちゃん、やっぱ今井くんのこと好きなんでしょ?


 聞かれた時、蛍斗は動揺した。

 蛍斗の中に答えがなかった。


(そもそも"好き"ってどういうこと?)


 蛍斗と悠士は結婚を前提としたお付き合いをしている恋人同士だ。

 恋人――恋する人。

 恋人同士なら、お互いに恋をしていることになる。

 では自分たちはどうなのだろうか。

 絶対的に好感情を持っている。好きか嫌いかならばすぐにはっきり好きだと言えるくらいにはお互いが大事で、信頼していて、やることもやっていて、でもたぶん、恋はしていない。

 日常的にどきどきしたり、ときめいたり、そんな恋の病の症状は発現していない。身体を繋げている時の高揚はまた別物だろう。

 蛍斗だって女の子を好きになったことはある。大好きなアイドルを心の恋人と呼んで熱烈に応援していた時期もある。だがそんな、熱病に浮かされたような感覚を、悠士に対して抱いたことはない。

 ただの性欲だけでないのは確かだが、名前を付けるとしたら何になるのか、ずっと迷っている。

 恋とはもっと劇的で、切なく、激しく、燃え盛る、火傷のようなものだと思っていた。

 こんな、ゆるやかで、甘く、やさしく、ぬるま湯に浸かるようなものを表現する言葉を蛍斗は知らない。

 これは、恋だろうか。いつか、恋と呼べるものだろうか。

 その問いの答えを悠士に求めるのは何か違うような気がして、蛍斗は結局聞けなかった。

 蛍斗が「とりあえずヤろう」と誘い、それに悠士が応える形ではじまった。身体だけの関係ではないが、身体先行ではあると思う。

 ここに来てようやく、蛍斗はそれに気づいた。

 俺のだから手を出すな、と悠士が言い、悠士も俺のだから、と蛍斗は言った。

 恋人だから所有権を主張するのは間違っていないだろう。だが、なぜ所有権を主張したいと思うのか、そもそもそこが蛍斗の中で曖昧だった。


 ――信頼できる親友だったから?

 ――面倒を見てくれる奴だから?


 消去法と打算で選んだ、蛍斗の恋人。

 依存しているとは思う。

 一緒にいると楽しくて、離れていると寂しくて、いつもその姿を探している。

 触れられると嬉しくて、触れていないと落ち着かなくて、いつもその体温を感じていたいと思う。

 かつての蛍斗はそこまで誰かに影響されたことはない。

 確かに、一緒にいると楽しくて、だが離れていても別に寂しくはなかった。気がつけば悠士の隣に舞い戻っていたが、いつもその姿を探していたわけではない。

 小突かれたり、叩いたり、体技を仕掛けたり、接触も少なくなかったが男同士のスキンシップはそれなりに乱暴で、その体温がどうのなどと考えたこともなかった。

 蛍斗は変わったのだろうか。身体だけではなく、心まで。

 無理に女になろうとはしていないけれども、女であることに慣れてきた。女だと言われることに抵抗を感じづらくなってきた。

 男だった昔も、女である今も、蛍斗は自分に素直に、正直に生きている。

 どちらも蛍斗であるのは間違いない。間違いないのだが。


(悠士は俺のことをどう思ってるんだろう? 俺は悠士のことをどう思ってるんだろう?)


 具体的な気持ちを、お互いに言い合ったことはない。

 対外的に恋人同士だと明らかにした段階になって、蛍斗はやっと自分の中の悠士に対する感情と向き合いはじめたのだった。



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