01.巨乳萌え男子、巨乳になる。
徐々にステップアップしますが、TS娘はあまり女性らしくなりません。
「やっぱおっきさって大事だと思うんだ」
「……朝っぱらから何言ってやがる」
くあ、とあくびを一つこぼして、悠士は少しばかり目線を下に向けた。
登校して自分の席に着いた途端目の前に差し出されたそれを興味なさげに一瞥する。普通の週刊少年雑誌だ。今人気があるらしい女性アイドルが水着姿でポーズを決めていた。
「えりにゃん意外にちっさいんだよ!」
「知るか」
えりにゃん、とはそこに写っているアイドルのことらしい。そもそもアイドルにあまり興味のない悠士にはどれが誰だか分からないのだが。
「お前、これがどんだけ一大事か分かってないなっ?」
つれない返事をする悠士に対して、雑誌を見せた少年はぷくっと頬を膨らませた。ひまわりの種を頬袋に詰めたハムスターのようだ。
言うと怒られるが、この少年、蛍斗は小動物的な動きが似合ってしまう奴だった。本人が目指しているクールなイケメンには程遠い。
高校に入ってからの付き合いだが、妙に馬が合った二人はよくつるんでいる。時々こうして悠士にはよく分からない話を振ってきたりもするが、基本的には落ち着きのない蛍斗を悠士が見守るのが常だった。
(冷ややかな女子の視線に気づかないとはおめでたい奴だ……)
かろうじて何の大きさか明言してはいないが、もちろん簡単に察しがつく。学生と言えども昨今はセクハラに厳しいご時世なのだ。
「後で聞いてやるから」
とりあえず、これ以上余計なことを言わないように黙らせた。
「えりにゃんの顔ちょー好みだったのになぁ」
放課後、さぁ聞けと言わんばかりに悠士の家に押し掛けて蛍斗は散々嘆いた。その後自宅に帰ってからも鬱陶しい溜め息を連発している。
改めて言う必要もないことだが、蛍斗は大きい方が好きだった。手の平からこぼれるくらいの豊満さに憧れる、ごくごく普通の男の子だ。もっと言えば童貞ならではの妄想癖もある。大好きなアイドルとのあんなことやそんなことを妄想したとして――たぶんこれも普通の範疇だ、と彼は思っている。
そんな妄想の世界では、件の『えりにゃん』は蛍斗の理想を反映して蛍斗の手には到底納まらない豊かなものを持っていたのだ。さらに言えば、清楚系の『えりにゃん』は露出が少なく、それも蛍斗の妄想を助長した。『えりにゃん』の名誉のために申し添えるなら彼女のサイズは標準的、あるいはそれ以上ある。ただ、妄想補正にはどう足掻いても敵わない。
とにかく、この日の蛍斗の落ち込み様は半端なかった。
次の日から蛍斗は学校を休んだ。
悠士には『今日休む』という簡潔なメールが送られてきたっきり、もう三日目だ。病弱な体質でもないはずの蛍斗が三日も学校を休むとは、さすがにおかしい。なぜか悠士が同級生たちからその理由を聞かれるということも増えたので、悠士は蛍斗の家へ足を運んだ。
「あら悠士くん」
「こんにちは。蛍斗、ずっと休んでますけど大丈夫ですか?」
「……もしかしてあの子何も言ってない? ああ、そうね。そんな頭の回る子じゃないわ」
「あの?」
「体調が悪いと言えばそうなんだけど、とにかく入って。お茶でも入れるわね」
蛍斗の母親に促されてお邪魔した。
いつもはそのまま蛍斗の部屋へ向かうからか、リビングの雰囲気に少し緊張した。他人の家、という感じだ。
「実はねぇ、あの子"クマノミ"になっちゃったのよ」
悠士の前にお茶を置き、蛍斗の母親は困ったように真実を打ち明けた。
「は? ……え、"クマノミ"? 蛍斗がですか?」
「驚いちゃうわよねぇ。あんなにやらしい本たくさん持ってたのに」
そういう問題だろうか。
(というか蛍斗お前母親にバレてるぞ)
秘蔵の本たちの隠し場所にはえらく自信満々だったはずだ。いや、今はそんなことはどうでもいい。
クマノミ――雄として成熟した後、大きく成長した雄が雌に性転換する雄性先熟性の魚である。魚類ではその逆の雌性先熟の種が圧倒的に多い。
一夫多妻の繁殖形態を持つ種では、縄張りと雌を巡って雄同士が激しく争う。体の小さい雄は圧倒的に不利となるため、自分の子孫をより多く残すために、小さいうちは雌として繁殖を行い、縄張りを持つことができる大きさになったら雄に性転換する。これを雌性先熟と言う。
一方クマノミは一夫一妻のペアで繁殖を行なうため、身体の大きい雄が雌になって繁殖する方がより多くの子孫を残すことができるのだ。
とにもかくにも、性染色体によって性別が決定されているのは鳥類や哺乳類など、生物全体からするとごく一部のものだけであり、クマノミのように性転換する魚類では性決定遺伝子は確認されていない。
悠士や蛍斗が生まれる前、この国では若者の草食化が進んだ影響で少子化・晩婚化が深刻だった。
政府はこの問題を国策として取り上げ、多額の税金を投入して解決を目指した。女性に産む子どもの数のノルマを課してみたり、国や地方自治体主催で婚活パーティを開いてみたり、あれやこれやと手を尽くしてもその成果はあまり上がらなかった。
ゆるやかな人口減少が続き、国民人口が一億人を割った頃、ある画期的な研究が注目を浴びた。
開発された新薬を母親に投与すれば、生まれてくる子の性別を決定する性染色体への介入により、その子の身体の性と心の性との不一致が見られる場合、第二次性徴期に心の性にしたがって身体そのものの変化を促すというものだった。
遺伝子への介入という性質上賛否両論が巻き起こった。それでも国を挙げての命題である。妊婦検診の際に任意で希望できるものとして試験的に導入されたそれにより、やがて多くの子どもたちが後天的に身体の性を変化させた。
法律上一夫一妻制のこの国においては、性転換する子どもたちを"クマノミ"と呼んだ。厳密には雄性先熟ではないのだが、そのあたりはゆるい通称である。他の魚類でなかったのは、クマノミの映画が一時期流行ったからだろう。
少年が少女に、少女が少年に変化する。双子よりは少なく三つ子よりは多い、それぐらいの確率。
個人が費用を負担する必要はなく、そもそも心の性と身体の性が一致していれば特別な変化は何も起こらない。思春期の情動に引っ張られやすいのが難だが、その分恋愛感情の妨げにならない身体となるので少子化対策としては問題ない、とされたらしい。お偉いさんの考えが突飛なのは昔も今も変わらない。
しかし、強い薬は毒にもなる。どんな薬にも副作用がある。
薬が変化を促すのは必ずしも普段の心持ち次第ということではなく、変化期における強い感情に引きずられることもあるため、本人にとっても予想外の変化になることがある。
一時的に思うことはないだろうか。異性に生まれてみたかったと。本気で性転換したいと思うわけでなくとも、その感情が薬によって肯定されてしまうのだ。身体の性が、自覚している心の性ではなく、その感情の揺らぎに影響されて変化する――そう、蛍斗のように。
恐らく彼は女性の身体的な特徴に思いを馳せすぎた。ちょうど身体が変化期を迎えていたのだろう。なんという間の悪さか。
(いくら興味津々だからって自分が女になってどうする)
そしてこの薬が厄介なのは、変化が一度きりであることだ。
当然ながら身体を作り変えるのは簡単ではない。見た目以上に臓器や骨格の変化が難しい。一度の変化でも難しいそれを何度も作り変えるには身体が持たない。
ある意味では自業自得とも言えるのだが、若さにありがちな暴走の結果一生を女として送らねばならないとしたら――悠士には耐えられない。
「子どもの自主性を尊重する親になりたかったんだけど、この結果はちょっと違うわよね」
本人が望んで変化したのであれば、理解のある親を持って良かったとなるかもしれないが、さてこの場合はどうなのだろう。
いやもしかしたら意外に蛍斗が望んで変化した可能性もある。変化直前の会話を思い出してみればうっかり変化した可能性の方が高いとは思うが。
ちなみに悠士の母親は薬を投与していないので、悠士が蛍斗のような妄想をしてもうっかり女性化してしまうようなことはない。
「会ってみる?」
蛍斗の母親の言葉に、悠士はすぐに頷けなかった。
「……くっ」
「おまっ、人の顔見ていきなり笑うとか失礼だぞ!」
悠士だってもう少し緊張感のあるご対面を想像していた。
だがしかし、これは笑うだろう。
「いや、顔じゃない、胸」
「んなっ!?」
蛍斗の面影を残した少女は顔を真っ赤にして絶句した。
「お前、でかいの好きだからって自分もそうなのかよ」
そう、彼女の胸は大きかった。
"クマノミ"の変化期間には個人差があるが、見た目の変化だけならば数日で終わる。より強い思いであればあるほどその変化は順調だと言う。蛍斗の妄想がそのまま表出したというわけではないだろうが、変化した彼、いや彼女はぱっと見でも十分に巨乳だった。
「いやこれは自分でもいい感じだと思うけど、やらしい目で見るな」
「見てない」
「いや男としてそれはどうなんだ」
「どっちだよ」
会話をすれば、ああこれは蛍斗だなと腑に落ちた。
面影はあれどすっかり体つきが変わってしまっているので、受け入れるのにはもう少し時間がかかると思ったのに。
「すげーな。お前、普通」
「なにが」
「……なんか、もうちょっと違うのイメージしてた」
それは蛍斗も同じだったようだ。
最初に蛍斗の見舞いに訪れた時はまだ変化の途中だと言うので、結局会わずに帰った。
その後メールで少しやり取りした。そして蛍斗の方から会いに来いとお達しがあったので、悠士はもう一度蛍斗の家にやって来たのだ。
この薬による性転換は病気には相当しない。身体の負担があるため万が一に備えて優先的に医療機関を受診できるが、通常は入院の必要もない。蛍斗の母親曰く「妊婦さんみたいなものね」ということらしい。
そして蛍斗の変化がはじまって二週間、悠士ははじめて変化した蛍斗と対面した。そして爆笑した。
変化前に蛍斗が力説していた、ちょうど彼曰くの理想的な大きさがそこにあったからだ。細身の蛍斗には少しアンバランスにも思える。
「そういやお前縮んだ?」
「縮んだ言うな!」
元々悠士よりは小さく、背の順では前から数えた方が早い奴ではあったが、変化の途中で身長の分が胸にでも回されたのか、五センチぐらいは縮んでいそうだ。
特に大きな変化はその二つぐらいだろうか。
もちろん細部まで見たわけではないが、見る気もないので悠士的には一段落だった。
「で? 実際どうなの」
「すっげー不便」
「まぁ、慣れるには時間がかかるだろうなぁ」
十六年間男として生まれ育っているのだ。蛍斗の場合は心も男のまま、一朝一夕で適応できるわけもない。
「学校は?」
「あー……二学期から、かな」
「ずいぶん先だな。なんかあんの?」
「いや、集団生活に入るのはちゃんと女としての自覚が出てからって」
道理である。
学校では男女別で行動することが何かと多い。今の蛍斗を登校させたところで問題を起こすだろうことは想像に難くない。
「でさ、それで悠士に頼みがあんだけど」
「あ?」
「お前が一緒だったらオッケーなんだ」
「何が」
「学校」
「……ん?」
「お前にくっついてれば行っていいって」
「はい?」
なんだその条件は。
「一人で女子の集団に放り込むのは心配だけど、誰かちゃんと面倒見てくれる奴がいればいいって」
「なぜに俺?」
「俺推薦、うちの親公認」
「…………つーか面倒見るのは女子じゃなくていいのか」
「俺は親から信頼されてない!」
「堂々と言うなよ……」
つまり、蛍斗を女子に任せるのは不安、ということだ。なにせ蛍斗の心は完全に男のままなので、むしろ女になったのをいいことに他所様の女の子にいけないことをしないか心配されているとか。
かと言って、女になった蛍斗を悠士がどうこうしてしまうことも客観的にはあり得る話だと思うのだがそれはいいのか。悠士だけではない。今の蛍斗ならば――ぶっちゃけ男子から性的な目で見られるのは間違いない。
「いや俺は悠士の信頼度の高さにびっくりしたよ」
「俺もびっくりだ」
蛍斗の母親は「むしろあんたをもらってくれるって言うんならありがたい話よ」とまで言っていたらしい。蛍斗の貞操も含めて一任されているのだとしたら、なかなかに責任が重い。
蛍斗が女子に手を出さないように、蛍斗が男子に手を出されないようにそばで見張るお目付け役。それでいて悠士が蛍斗に手を出すのは構わないらしい。
「なぁなぁ、ちょっとぐらいは触らせてやるからさー」
「……」
交換条件のつもりだろうか。というかこの口ぶりからするとやはり自分でも触っているのだろう。
「痴女には興味ない」
「ひっでー!」
困っていたらお互い様だ。危機的な状況で力を貸さないとしたら親友の名が泣く。
「――で、いつから」
「へ?」
「俺が一緒なら、いつから行ける」
ぱちぱちと目を瞬かせ、そして蛍斗はふにゃっと相好を崩した。
「へへ」
――……今のはちょっとかわいかった。




