7月某日 カラオケ店にて
「それじゃあ次ベガスいきまーす♪」
楽しそうに次曲の予告をするのは知永有里。私の友人もとい悪友である。読者諸氏は決して驚くなかれ。私とて悪友の一人くらいいるのだ。
「さっきからシャウトばっかりじゃない?私そろそろ耳痛いんだけど。」
「気のせいだよ!カラオケなんて叫んでなんぼみたいなところあるでしょ?」
「分からなくはないけど……。」
私はカラオケだと毎回しんみりしたい。
「莉乃はバラード風アニソン縛りだもんねー。ちょっと違う領域にチャレンジするのもありかもよ?」
「点数取れないじゃん。」
「出た点数厨!2ちゃんのカラオケ板の住人でもないくせに。」
「あーうるさいなーもー。好きに歌わせてくださいよ縛りだらけのこの世の中でカラオケでまで縛られるだなんて御免よ。」
「はいはい悪うございましたぁ〜!今日も好きなだけ縛ってください〜」
「言われなくとも……。ちょっとジュース取ってくる。」
「私コーラね。」
「りょーかいです。」
そうして私は部屋を出てドリンクバーへと向かいながら先程の会話を思い出していた。
確かに私は世の中全般の縛りから逃れる為に他の縛りを自前で用意して、それに縛られることを潔しとしているが根本的に縛りから逃れることは出来るのだろうか。あるいは他の縛りに敢えて縛られにいくことによって自力による縛りの呪縛から逃れることにはなるまいか。全く自由というものの定義は難しい。本来的意味において完全なる自由を得てしまうと我々は目的を見失う。自由の自由性を謳歌しようと思えばそこには制約がどうしても必要なのだ。制約下における自由こそがある種我々が想定する自由でもある。
「ただいまー。はいコーラ。」
部屋に戻り有里にコーラを渡して選曲する。暗くても前向きな曲が私は好きだ。元気いっぱいのアニメソングのオープニングも好きだけど。
有里がちょうどシャウトし始め、マイクがハウリングする。私は顔をしかめて耳を塞ぐ。本日n回目の動作である。n回目なので当然n+1回目も存在する。このハウリングも含めてシャウト系が好きだという。全く理解できないが。
「それにしても歌って性格出るよねぇ…。」
歌い終わって本日最低点を更新させつつ有里が言う。
「と言うと?」
「何を歌うかにもよるけど選曲の時点で曲調の好みとか世代とかジャンルとかが分かるし歌い方ひとつ取ってもどこを強調したいのか歌うだけでその人の一部が駄々漏れってわけよ。」
舌舐りしながら言うから本当にこいつは人間なのだろうかと思う。いつか取って食われるかも。
「人間観察が趣味って絶対人に言わないほうがいいよ。」
「莉乃以外に言えるかってーのこんな物騒な趣味。」
物騒な趣味だって言っちゃうんだ。
「信頼してもらえて何よりですわー。」
「ま、私も可愛い可愛い莉乃ちゃんの高徳なご趣味を理解してるからこそ言えることなんだけどね☆」
やっぱりこいつは要注意人物だ。いずれ必ず口を封じなければならない。
しかし有里が理解していると宣うそれは私のごく一部的側面に過ぎない。ほぼ開示しているとはいえ深層領域は私ですらいまいち理解しきれていない。人間の無駄な複雑さはどこに起因しているのか。いや人間じゃなく私だけが無駄に複雑なのか。ありとあらゆる日常生活におけるイベントで新たな自分を発見することがあるが果たしてそれは反射的な作用なのか自らが最初から保持していたものなのかということすら今は分からないのだから。
「じゃ、次は私ベガス歌ってみるわ。」
「おっ!ここに来て新カテゴリー。期待してますよ。」
「私が私であるという証明をこれから行う。」
「はいはい全く意味分からないけど存分にどうぞ。」
こうしてひとつずつ知っていくしかないのだから。
第二話 End