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情報ひとつ

 情報というものは一つあるかないかで大きく変わることがある。

 だからこそ、扱いは慎重を期す必要がある。


 私はそんな当たり前の事実を自覚させられた。

 無知とは怖いものである。

 それは「新国立競技場」についてである。


 JSC理事長はクビなのに居直る「森喜朗」組織委会長は老害キング

 こんな記事がある。

 建設費用が3000億円を超過すると非難が殺到。白紙撤回となった7月には「垂れた生ガキみたいでイヤだった。」「たった2500億も出せなかったのか。」などとのたまった。こんなことを聞けば誰もが組織委会長である森喜朗氏が諸悪の根源のように思えるだろう。

 同記事にて。スポーツ評論家の玉木正之氏の指摘として「『あと6年、五輪の時には82。それまで何としても頑張って、組織委員会やっておれるなら有難いこと。それが一つの可能性に対する挑戦』と、執着を露わにしていたほどです。でも、どんな五輪にするのかという提案は聞いたことがなく、『立派な競技場を造る』と言いながら中身は全く不明。スポーツというものを根本的に理解しておらず、五輪を舐めているとしか思えません。それでポストにしがみつくのだから、見苦しい老人です。」と書かれている。

 そう、多くの人がこの記事のことと同じことを思ったのではなかろうか。


 ところが、ここに一つの情報を加えてみる。

 それは2015年8月5日に民主党が公開した第3回有識者会議の議事録である。(新国立競技場の建築にあたり案の審査と決定が行われたのは2012年7月~同年11月である。このときの政権は民主党である。この間に開かれた有識者会議は3回であり、ワーキンググループの様子や有識者会議の議事録は非公開である。つまり初めて公開された「案の決定ための最終会議」の議事録である。)


 この議事録に森喜朗の発言が載っている。その一部を記載してみる。

 ただ、この全体像46点見たときもそうですが、これもそうですが、正直言うと、神宮のところに宇宙から何かがおりてきたっていう感じなのです。これ、ほんとうにマッチするのかなという。

 私は専門家じゃないからわからないので、極めて庶民的な感覚で、これ、合うかなっていう感じをちょっと持ちました。

 最優秀もそうだし、その次の方も、この絵、両方見ていると、せっかく臨場感あふれるサッカーやラグビーをぐっと近づけて見るという、この可動式であるけれど、それにしては随分遊びが多いなと。フィールドの周り、ものすごく遊びが多いでしょう。これだったらあんまり、臨場感がないのではないかと。

 僕らにとって一番関心のあるところは実はここなのです。目の前で見えるというのが一番いいのでね、これはぜひ。だから、そういう意味じや、このコックスさんの、絵だけ見ればコックスのほうがくっと近づいているという感じはいたしますので、その点だけであります。


 これが森喜朗氏の発言である。

 私的にまとめると。デザインが未来的で周囲とマッチしないのではないか。スポーツ観戦するのだから臨場感がほしい。その臨場感、目の前で見えることが一番大事だ。そういった意味では別案の方がいい。

 こんな感じだろうか。先にも述べたがこれは案を決定するという会議での発言だ。にもかかわらず、最優秀案についての問題を指摘し別案を押している。他の人が後に白紙撤回となった案を称賛しているのに対してあまりにも態度が違う。

 立派な競技場を造ると言いながら中身は全く不明。スポーツというものを根本から理解していない。五輪をなめている。

 これらの指摘について的外れとしか言えないのではないか。


 森喜朗氏が正しいとはいわない。しかし、少なくともこの第3回有識者会議での彼の発言は政治家というよりスポーツ観戦が好きな人の発言としか思えない。目の前で臨場感をもってスポーツを見たいという。


 東京五輪をするんだと声を上げた石原慎太郎氏。第3回有識者会議にてしつこく食い下がった森喜朗氏。

 彼らをただ老害という言葉でくくっていいのだろうか。


 老いてなお気勢あるその姿に、安穏とした平和の時代を生きてきた我々が学ぶところは多いのではないだろうか。


 情報とは難しい。

 一つ間違えただけで根本から覆ることがある。


 もちろん、この内容だっていつ覆るかわからない。

 それでも、情報を追うことは無意味ではない。新しい情報が一つ出るだけで覆ってしまうとしても情報を得続けることは無駄にはならない。それらの刻々と変わる情報を考え続けることで新しい情報へと対応できるのだから。


 大事なことは常に考え続けることではないだろうか。

 決して先入観にとらわれずレッテルを貼らず。

 情報化社会などというが分からない情報は多い。だから柔軟に、そして確固とした知恵をもって、私たちはこの情報の嵐の中で生きていく必要がある。

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