自然と不自然
突然だが、発電所といえば代表例として二つのものを挙げることができるのではないだろうか。
火力発電と原子力発電。
この二つの決定的な違いは何か。火力発電とは「酸化反応」であり原子力発電とは「核反応」であるということだろう。どちらもこれらの反応を起こして熱エネルギーを発生させてタービンを回して発電する。
火力発電の「酸化反応」とは、ごくごく簡単にいえば炭素に酸素を結合させ二酸化炭素にするというものだ。(具体的には石炭・石油を燃焼させて二酸化炭素が発生する。)
では、これらの炭素はどこから来たのか。石炭は植物、石油は動植物性プランクトンである。植物は空気中の二酸化炭素を吸収し炭酸固定により炭水化物を生み出す。生きていた植物が死んだのち、こうして吸収された炭素が圧力などを経て時間をかけて化石化したものが石炭である。石油はさらに昔に遡り、地球が誕生し生物が発生した当時の地球にあった二酸化炭素など(現在よりもはるかに高濃度)を生命活動に利用し自らの体内に蓄積し、石炭と同じように化石化したものである。
石炭・石油とは昔の生物たちが死んだのちもその身に封じた炭素である。これを掘り起こして炭素を酸素と結合(酸化反応)させエネルギーを取り出すのが火力発電だ。
では、原子力発電の「核反応」とは何か。
まず原子核について知る必要がある。原子核は中性子と陽子からできている。ここが大事な点だが、原子核の大きさは原子によってあまり差がない。小さく薄いビニール袋でもイメージしてほしい。そこに二種類のボールを詰め込む。これが原子核である。その中には大量のボールを詰め込んであるものがある。パズルのようにうまく入っている袋は大丈夫だろうが、多くの場合はビニール袋が破けそうになっている。前者がいわば安定な原子核であり後者が不安定な原子核である。
不安定な原子核はどうなるか。先のたとえでいえばボールが大量に入っていて破けそうなのだから二つの袋に分ければいいのだ。あるいはボールの入れ方を変えればいい。このように原子核そのものが変化するのが「核反応」である。このとき発生するエネルギーを利用するのが原子力発電だ。
こんな不安定な原子核はいつ生まれたのか。その大元は石炭・石油よりも遥かに昔、地球が誕生したときに生まれたものである。それらの原子核は長い時間をかけて安定な原子核になるまで核反応を繰り返し続けているのである。
こうして原子核が別の原子核へと変化するのだが、実はある原子核を人間の好みに合わせて任意の原子核に核反応を引き起こすことは2015年の現時点ではできていない。できることはより好みに近い核反応を探すことだけである。
と、まあ長く書いたが。実際は(特に核反応は)こんなに単純ではない。あくまで基礎的なことだけを噛み砕いたものである。興味のある方はここまでのことをすべて忘れて一から勉強されることをお勧めする。
さて、ここからが本題。
「化石燃料」と「核燃料」。放っておくとどうなるか。
ここまで読んでこられた聡明な方ならばすぐにわかるだろう。「化石燃料」は変わらない。「核燃料」は「核反応」を起こす。
火力発電とは変化しない「化石燃料」に人為的に効率のいい「酸化反応」を引き起こしてエネルギーをとりだしているのである。
原子力発電は変化していく「核燃料」の「核反応」が適したものになるよう誘導してエネルギーをとりだしているのである。
起こらない反応を起こすもの。起こる反応から使いやすい反応に誘導するもの。さて。どちらが「自然」でどちらが「不自然」なのだろうか。
身近な分かりやすさと時間という理解が難しく分かりにくいものに惑わされて私たちは自分たちが「意図的」に行っていることをさも「自然」に起こっていることだと思い込み、本来は「自然」に起こることであるのにあたかも「意図的」にしていると自惚れてしまっているのではあるまいか。
「自然」か「不自然」か。それは人間がどこまで「自然」なのかにもよる。
これほど難しい二択はないのではなかろうか。




