人間と戦争
「戦争関連の研究について科学者の良心は」
よく問われる問題である。
科学者は研究し、その成果は様々なものの開発に関わる。
それは軍事技術に対しても同じである。
では、科学者は軍事利用を目的とした研究にどう向かい合うべきなのか。
さて、どこかオカシイと感じた人はいないだろうか。
まあほとんどの人は「普通」だと感じることだろう。
だが、考えてほしい。
第二次世界大戦において作られた「大和」や「武蔵」といった大型戦艦。
それらの建造技術は後の大型造船技術の基盤となった。
あるホテルの回転レストランは主砲の旋回技術が用いられた。
今、私がこうして利用しているインターネットも軍事技術だ。
携帯電話とて同様。
ドイツの高速道路や車とて同じ。
では、軍事技術と民間技術は何が違うのか。
「中身は同じ」で「使い方が違う」
それだけのこと。
だから研究する仕方は何も変わらない。
一見すれば軍事関係とは全く異なる分野の研究であっても、
成果次第・使い方次第ではあっという間に軍事に応用される。
アメリカ大統領に原子爆弾の研究をなぜ要請したのか。
それはナチスが研究しており、その対策からである。
ナチス崩壊後、その研究はエネルギー関連へと移った。
が、時のアメリカ大統領は戦後の優位性を獲得するため爆弾として使用した。
当時の研究者の反対の請願は届くことはなく、使用された。
そして、「原爆被害」は「原子力研究の成果の責任」として今も語られている。
戦争になったとき「研究者は国に協力すべきか否か」という問いがある。
だが、おかしくはないだろうか。
なぜ「研究者」限定なのだ。
研究者は知識を持っているからか?
戦争に大きな影響力をもつからか?
否!
知識や影響力でいうならば「政治家」や「報道」の方がはるかに強い。
研究者はお金がなければ研究はできない。
戦争になったとき、真っ先に削られる予算こそ非軍事系予算である。
当然、非軍事系研究も含まれる。
考えてほしい。
戦争に関係するのは「研究者」だけなのか。
彼らだけが特別な人間なのか。
違う。
私たちは「人間」として「戦争に反対」しなければならない。
国が戦争を起こそうとしたとき、
命がけで「戦争」と戦うことで平和が維持される。
戦後生き残るのは「常に戦争に加担した者」だけである。
なぜなら、「戦争」と戦ったものは「まず真っ先に命を落とす」からだ。
それは大衆・報道・政治。
その多くを敵に回すからだ。
本当に平和を志すならば
「戦争」を起こさないことも重要だが
それと同時に、「戦争」と戦うことも重要だ。
私たちの手に銃があるとする。
銃は「銃の意思で弾丸を発射し殺人を起こす」だろうか。
そんなことはない。
銃は「銃の所持者が引き金を引かないかぎり」殺人を起こさない。
戦争を防ぐ一番の方法は
結局、「必死」の決意である。
死んでも「戦争」に加担しない心。
だが、そうした場合、「一方的な蹂躙」が待っている、敗北・滅亡が待っている。
片方がいかに「戦争」に加担しない意思を持とうとも、
片方が「戦争」に加担すれば容易に均衡が崩れる。
勝つのは「戦争」を肯定する人間である。
だから「戦争」はなくならない。
皆が負けたくないからだ。
皆が死にたくないからだ。
カルタゴはローマに対し武器を捨て降伏した。
その先に待っていたのは、大量虐殺によるカルタゴ滅亡である。
だが、歴史は残り語り継がれている。
ならば、次はどうすればよいのか。
もう正解は手の届く場所にある。
「戦争」を賛美するもの、「戦争」を求めるもの
彼らは確かに存在する。
それを忘れてはいけない。
「反戦」の意思と「戦戦」の意思。
戦争に反対するだけでなく、「戦争」と「戦う」こと
必ず死ぬと書き「必死」、まさしくそのとおりである。
命を捨てて次代へ繋ぐ。
人間が戦争を捨てることはできない。
なぜなら、「勝利」したいから。「敗北」したくないから。
ならばできることは、少しでも「戦争」を減らすことだ。
「戦争」という制度に「戦争」を仕掛けるのだ。
それは「勝利」したい、他人より「優れて」ありたい
そうした「欲求」を「理性」で抑え込むことだ。
他人と手を繋ぐこと、他人と「共に成長する」こと
それを選ぶことだ。
他人と競争するのでなく、「自分」と競争すること。
他人を蹴落とすのでなく、「自分」をひたすら磨くこと。
研究とは常に「自分」との戦いだ。
だからこそ、もっとも「戦争」と遠く、もっとも「戦争」と近い。
研究自体が戦争へ結びつくことはなく、研究成果は戦争へ利用される。
あなたは「自分」と戦う人であるか?
それとも「他人」と戦う人であるか?
「自分」をひたすら酷すことは難しい。
「他人」を貶めることは簡単だ。
難しさから目を背け、安易な道を選択したとき「戦争」は発生する。
人間は戦争と共にある。
それは「自分」と向き合うことが難しいが故に。
あなたは銃を向け合ったとき、引き金を引かずに殺される覚悟があるか?




