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ホウレンソウから見るSMAP

ホウレンソウ

今の30歳以上の方ならまずご存じではないだろうか。

「報告・連絡・相談」

社会に出て仕事をするときの三原則のようなものとして言われる言葉の頭文字で「報・連・相」


当然、社会においてこの三つは重要なことだ。

これらが行われていなければ十分な仕事ができるわけがない。

それは当然のこと。

報告・連絡・相談というのは人間関係を築くうえでも重要だ。


さて、少し話はそれるが私から見たSMAP像を語ろう。

SMAPは歌番組が廃れていく時期にデビュー。

アイドルとして当初は成功せず、ジャニーズ事務所でデビュー曲が一位をとらなかったダメグループだ。

だが、いまは「国民的スター」と呼ばれている。

それは彼らが「歌って踊るアイドル」でなく、「新しいアイドル」となったからだろう。


音楽において、音楽の「芸術性」などが評価されがちだ。

だが、小学校などでは「音楽」は「音」を「楽しむ」とする。

正確に言えば、まず「音を楽しめる」→「そのための芸術性」という順である。

私の中学高校時代の音楽教師は「SMAP」の曲は音楽として最低といった。

五人いるのにパートができていないし、音の重ね方も下手だと。

だが、そんな彼らの曲は確かに「愛されている」といえる。

それは「音楽」の基本どおりの「音楽」だからなのではないだろうか。


音楽とは「技術」が高ければいいものではない。

音楽とは「芸術性」が高ければいいものではない。

それらに傾倒しては「自己満足な音楽」ができるだけだ。

もっとも、それもまた「音楽」ではある。

「自分ひとりだけが音を楽しむ」ための一曲。

だが本来は「みんな」で楽しむからこそ、「音楽」はある。

ひとりだけでいいなら周囲に広がる「音」を使う必要はないからだ。


そうして「みんな」が楽しめるために「技術」が生まれた。

だから「技術・芸術性」が高い音楽というものは「みんな」が楽しめるものとなる。

だが、人間の感情というものはそんな「簡単な法則」によって制御されるものではない。

それゆえに技術・芸術性が高くとも「音楽」ではない曲が生まれる。

逆に「技術・芸術性」がなくても「音楽」となる曲がある。


音が外れていても、パートがなってなくても、重なりがなくても

それこそ、「不協和音」があったとしても

聞いて「楽しめる音」を奏でる曲は存在する。

SMAPという存在、そして「世界にひとつだけの花」はまさにコレなのではないだろうか。


先に行ったように「歌って踊る」ことはできなかった。

だから彼らは「個々の得意分野」を磨き、バラエティなどに進出していった。

そんな「バラバラ」な彼らが歌う曲。

それは技術面からみればつたないものだろう。

だが「バラバラ」で「拙い」からこそ「大ヒットした曲」がある。

それが「世界にひとつだけの花」なのだと思う。


ナンバーワンではなくオンリーワン

上手に歌って踊る「歌手」ではなく、踊りも歌もバラバラで下手な「SMAP」だから

その歌詞が耳に心地よく聞こえたのではないのだろうか

そして、皆で歌う「みんなの歌」となったのではないだろうか。

上手に歌わなくても合唱になるんだと、そう示してくれる歌。

もし上手な人が歌っていたら「意味を伝えたい歌」で終わっただけかもしれない。

だが下手なSMAPが5人で歌ったから「みんなの歌」になったのではないだろうか。


「音楽」とは「音を楽しむ」こと。

技術ではなく純粋に「音を楽しめる」曲。

私の学校の音楽教師はまさに「嫉妬」していたのではないだろうか。

もっと「上手く」歌える曲を「下手に」歌われたことで「純粋な音楽」となったことに。

教師として「音楽の技術」を教えている、その逆をいく曲。

まず間違いなく「偶然が生んだ一曲」であることに相違はない。

SMAPだとて歌手として「上手に」歌おうとしているのは間違いない。

そんな彼らの「あがき」が「下手」が「上手」を上回る一曲を作り出したのだろう。

彼らの曲に「元気をもらった」という話が多いのはそのせいではないだろうか。


さて、そんな彼らに解散と内部抗争の話がある。

で、私は週刊誌から「中居VS木村」という記事をみつけた。


もともとSMAPは全員が互いの連絡先や誕生日を知っているというわけではないらしい。

では、どのようにしてバラバラなメンバーが一つのグループになれるのか。

社会の仕事だってあまり知らない相手と一緒に仕事をすることもある。

ではどうやって成り立っているのか。

簡単な話である。

最初に書いた「ホウレンソウ」だ。

一人一人は別々でもその間を繋ぐ線があればいい。

そうすれば結果として一つのグループとなる。

一人一人に専属のマネージャーがつき、チーフマネージャーがまとめる。

まさに「マネジメント」である。


さて、ここで私が見た記事の話に戻るが

それは「中居VS木村」という題名ながらも、

中居氏の正月特番が収録直前に急遽中止になったというもので、

実はその理由が裏番組に木村氏のドラマがあるからというものだった。

そして芸能プロ関係者の話として

「本来であれば、事務所がダブルブッキングに気づくべきだったんです。所属するタレント全体を管理しているはずですから。現在のSMAPのちぐはぐな感じが、マネージメントにも出てしまいましたね」

とある。


が、これは普通に考えて「SMAPのちぐはぐな感じが・・・」で済む話なのだろうか。

いや、その部分は必要なのだろうか。

「本来であれば、事務所がダブルブッキングに気づくべきだったんです。所属するタレント全体を管理しているはずですから。」

これだけで済む話で、どこにも「中居VS木村」は必要ない。

逆にこれが「収録されて裏番組で放送」ならば「中居VS木村」である。

にもかかわらず、記事の題名には「年明けの出演番組をめぐって起きていた激突の危機」とまで。


SMAPの解散騒動。

結局、マネジメントというものができていないというのが原因としか見られないのである。

チーフマネージャーがいなくなった。

そして騒動。

番組内で亀裂、音楽活動ができない、などの様々な報道。


SMAPに責任がないとはいえない。

彼らは互いをつなぐ糸を委ねてしまって、それに甘んじていた。

といえど、それが絶対的に悪いのか、といえばなんともいえない。

昔のお笑いコンビなど「相方と仕事以外では口もきかない」という話もある程だ。

では、今の騒動・惨状の原因はどこか。

簡単な話だ。

ホウレンソウ、マネジメントの能力不足。

「事務所がダブルブッキングに気づくべき」

この言葉がすべてを物語っているのではないだろうか。


SMAP×SMAPのビストロスマップの最後のゲストはタモリ氏だったという。

そして彼はSMAP全員に☆のアクセサリーを贈ったという。

星の頂点は尖っている、でもその中心があるから一つになっている。

中心を削り取ってしまえば五つの頂点はバラバラにならざるを得ない。


SMAPは解散する。

それは間違いないと思う、というよりも解散せざるを得ないと思う。

メンバーをつなぐマネジメントがまともにできないのだから「仕事」ができるわけがない。

メンバーにやる気があってもどうしようもないし、ファンなどはもちろんである。

本来、頂点をつなぐ目立たない星の中心。

決して表に出ない「マネージャー」は「仕事」においてはもう一人の「主役」である。


これから彼らがどうなるかはわからないが、

マネジメント能力 < メンバーの能力 の状態にあるならば

メンバーは「役不足」のことしかできないし

マネージャーは「役者不足」となり足を引っ張る。


「ホウレンソウ」

報告・連絡・相談

繋ぐ糸は大事なものだ。

そして、この三原則はある意味でマネジメントの基礎である。


「もしドラ」

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら、の略である。

一大ブームを起こしたこの書籍はそのままマネジメントについての入門書である。

難しいもの、トップが考えるものと考えがちなマネジメントについて改めさせる本だ。

マネジメントは「管理」ではなく、管理を通した「発展」にその本質がある。

だから「すべての人」に関係している。

その代表的なものが「ホウレンソウ」といえる。


SMAPが今後どうなるか知らない。

だが、こうした騒動を通して、私は改めてマネジメントの重要性を実感した。

報告

連絡

相談

とても簡単で当たり前のことながら、それを徹底することはとても難しい。

だが、それだけに「意識」することで改革される。


果たして、私たちはいま、ホウレンソウができているだろうか。

いずれも「相手」がいなくては成り立たない。

私たちは「ひとりよがり」になっていないだろうか。


「世界にひとつだけの花」

それは「世界に花がひとつだけ」あるのではなく、

世界には多くの花があるけれど「自分という花はひとつだけ」というものだ。

それは「他の花を否定すること」ではない。

「他の花がある」から「自分という花が別のもの、つまりオンリーワン」なのである。

他の花がなければ「only oneただひとつ」ではなく「oneただのひとつ」である。

他の花を肯定するから自分の花が肯定され、そしてオンリーワンな花としていられる。


花屋の店先にはいつもいろんな花が並んでいるのだ。

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