もしかしたら、すりかえトリック?
2016年8月10日
大分県別府署が行った隠しカメラの騒動が非難を浴びている。
参議院選挙からあまりにも間を置きすぎていて
ちょっと気になったので簡単に調べてみることにした。
日本労働組合総連合会によると、
1. 連合大分東部地域協議会などが入居する別府地区労働福祉会館の敷地内に、第24回参議院選挙の期間中、大分県警別府署員が複数回にわたり無断で立ち入り、隠しカメラ2台を設置していた。県警は同署による無断立ち入りが不適切であったことを認め、建造物侵入罪にあたる可能性があるとして調査および関係者の処分を検討している模様だが、強い不快感を覚える。
2. 連合大分からの報告などによると、カメラの設置について県警は、別府署員が公有地と勘違いして設置したこと、また、個別事案について特定人物の動向を把握するために同署の判断で設置したものとしている。その一方で、県警は調査中であることを理由に目的などの詳細を明らかにしていないが、選挙運動の拠点として見張ることが目的だったのであれば極めて遺憾であると言わざるを得ない。
3. 同会館には、労働・生活・福祉に係る市民相談窓口である大分県労働者福祉協議会ライフサポートセンターも設置されている。実際に、カメラには会館に出入りする人たちの映像が残っており、今回の行為は、入居団体および関係組織のみならず、多くの市民に不安を感じさせるものである。これらの活動を監視することは絶対に許されない。連合大分が県警および別府署に対して「プライバシーの侵害等の観点からも極めて重たい問題である」と抗議したのは当然である。
4. いうまでもなく、労働組合は憲法第28条によって保障された団結権にもとづいて結成されており、その目的は、労働組合法第2条にあるとおり、労働者が主体となって自主的に労働条件の維持改善、その他経済的地位の向上をはかることである。そのために我々は、政策・制度要求やそれを実現するための政治活動に、法令遵守を大前提に取り組んでいる。連合は、労働組合の目的と活動について内外に発信し、理解を得ながら、引き続き積極的に政治活動に取り組んでいく。
とりあえず問題となっている別府地区労働福祉会館をgoogleマップで調べてみた。境川緑地に面し、西面の石垣を挟んで国立別府障碍者センターが存在する。問題となっているカメラが仕掛けられたとされている西面の木々だが、石垣の上の藪の中である。その奥にさらに石垣が見える。正直、画像だけで同会館の敷地と認識するのは難しい。実際に現地に行かなければわからないが、「あんなところ」を手入れするというのは少し不自然な気がする。
と、調べるとなんとなく不自然さが浮かび上がってきた。
となると問題となっている『参院選公示(6月22日)前の同18日夜』という設置日のことである。やけに公示前という文字が踊っているのだが、実は一番気になったのはこの日付です。
設置日の次の日、2016年6月19日。
この日は国会前で「怒りと悲しみの沖縄県民大会に呼応するいのちと平和のための6・19大行動」が行われた日であり、大分県にて参議院比例区で出馬予定の社民党党首が参加している。同日、市民の会による「選挙に勝とう!戦争法廃止19日行動」が行われ、また大分駅前では「戦争法廃止!第12波統一行動」が行われ社民党の衆議院議員が参加と熱気にあふれていました。
つまり、設置された日は「公示の数日前」ではなく「沖縄県民大会に呼応して行われる運動の前日」
巧みなすり替え議論となります。
となると、いろいろと状況が変わってきます。
なぜ今なのか・・・
選挙が終わったから⇒連合が選挙中に抗議のみであった理由が不明である。自民からの圧力にしては連合の立場が弱すぎるし、そもそも圧力があったのなら表に出ないはず。
つまり、「時間がたち県民大会の熱狂を皆が忘れたから」と考えられてしまう。
とあるニュースでは法律の専門家として日弁連 宇都宮健児弁護士のコメントがあげられ「法律的には私有地に入って監視カメラをつけているので住居侵入罪にあたる。それから刑事犯罪には触れないが、出入りする顔を撮っていることからすれば個人のプライバシーの侵害という問題は発生する」「そういうことを恒常的にやる社会が健全なのかと。とりわけ選挙活動というのは民主主義社会で国民主権を行使する場で一番、表現の自由とか政治活動が保障されなければいけないのに警察が介入する、これは大変な問題」とある。が、宇都宮健児氏は「怒りと悲しみの沖縄県民大会に呼応するいのちと平和のための6・19大行動」の共催団体の一つである「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」の賛同者でもある。となればこの解釈にはいささか主義主張が入っていることを勘ぐってしまう
さて、警察の言い分、「戦争法廃止運動が盛り上がった時期に」設置した目的は何か?
選挙違反の監視とみていいと思う。問題となりそうな点を挙げていこう。
公職選挙法
第百三十三条 休憩所その他これに類似する設備は、選挙運動のため設けることができない。
第百四十条 何人も、選挙運動のため、自動車を連ね又は隊伍を組んで往来する等によつて気勢を張る行為をすることができない。
第百四十条の二 2 前項ただし書の規定により選挙運動のための連呼行為をする者は、学校及び病院、診療所その他の療養施設の周辺においては、静穏を保持するように努めなければならない。
第百三十六条の二 次の各号のいずれかに該当する者は、その地位を利用して選挙運動をすることができない。
一 国若しくは地方公共団体の公務員又は行政執行法人若しくは特定地方独立行政法人の役員若しくは職員
この百三十六条であるが、今回、警察への被害届まで提出したのは日本労働組合総連合会である。その労働組合には「県職員労働組合」も含まれる。そのため連合はただでも選挙違反について睨まれやすいのが当然といえる。
また、大分県労働者福祉協議会ライフサポートセンターであるがNPO法人なども協力している。つまり、出入りしていることとなる。NPO法人に対して総務省は「NPO法人による政治家に対する個人批判については、その内容、時期、方法等によっては、この規定(特定の公職の候補者若しくは公職にある者又は政党を推薦し、支持し、又はこれらに反対することを目的とするものでないこと。)に違反することになるので注意が必要です。」としている。
つまり、根本的な問題は、
連合が本来、政治活動と無縁であるべき「労働・生活・福祉に係る市民相談窓口である大分県労働者福祉協議会ライフサポートセンター」と「連合大分東部地域協議会」という政治活動に関与しうる場所を一緒にしていたことが一番の問題点であるといえるだろう。
切り離すべきを切り離さず、間違ってはいないが正しくはない言葉で誘導する。
これがすりかえトリックというものだ。
と、右翼の考えを書いてきたが、様々な問題が絡んでいる。
この際、すこしだけ政治的な問題の一端を考えていこう。
そもそも右翼がなぜ特に韓国の人々を在日というのか。
それは戦後に端を発する。
戦時中はともに暮らしていたはずなのだが、「韓国」という国ができてから「在日韓国人」が「戦勝国人」を名乗り「日本人」を「敗戦国人」として扱い差別化し暴力をふるったのである。これが右翼には長々と語り継がれているのである。さらに言えば多くの在日韓国人が不法入国であり「韓国」や「北朝鮮」に強制送還されたのだが、これに反発した「朝鮮人」が「アメリカ人」を殺傷する事件が発生し、逮捕された朝鮮人をめぐりさらに暴動がおこったのである。このことから「三国人」などという言葉まで生まれた。いわゆる右翼系の人々はこれをいまだに語り継ぐことで払しょくできずにいるのである。
日本共産党がなぜ支持されないのか
日本には共産党アレルギーというものがある。それは実際は共産主義と違っても「共産主義」を名乗った団体が様々な事件を起こしているからである。日本共産党は「中国」「北朝鮮」「ロシア」に対して反発している。が、おなじ「共産党」という名のもとに一括りにされている。そしてもう一つ。これは私見ではあるが、「ソ連」の共産主義の崩壊の原因の一つに技術革新・労働意欲低下があげられる。これは同じ労働をしても賃金が変わらないところからきているのだが、日本人の場合、職人気質の人々が多いためこれが生じない可能性がある。つまり、日本という特殊な環境の場合、共産主義が成立する可能性があると思われる。もともと資本主義の成熟の先に共産主義があるという論もあり、日本の共産主義化を資本主義各国が警戒している可能性も考えられる。
共産党支持層は?
真の共産党(中国・北朝鮮)支持層といえば、民進党といえる。当初は日本共産党がその一翼をになっていたが、その内情(文化革命の内容など)がわかり離別。結局、その他の政党、現在では民進党に強くその影響が残っているといえるだろう。旧民主党時代の小沢氏などの対応から見れば一目瞭然である。どちらかといえば、思想的な意味合いより、アメリカとの同盟色の濃い自民党に対抗するために近隣国を味方につけざるを得ないという消極的なものといえるだろう。
日本の自由な選挙はどうなる?
言いたくても言葉を言えないとき、それは戦争への第一歩となる。というような言葉を書いた人物がいる。
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
有名なこの詩の作者。峠三吉である。この詩は「序」であるが、この詩から始まる原爆詩集の「あとがき」にその心が記されている。被爆者差別と検閲。自らが「生き残った」ことを言えない。だから「わたし」を返せなのだと私は思う。この詩集の出版により自分はより困窮するだろうと彼は述べている。だが、発言できないことこそが戦争への一歩だとして彼は時間をかけて書き綴り出版した。この詩だけを読むとただ「核」への恨みのように思えるがそうではないのだ。
「発言」できるということ。それは「良きにしろ悪しきにしろ」、とにかく自分の意見を堂々と言えることこそが重要であり、肯定であれ否定であれ、どのような意見にしろ「否」と突きつける。それこそが戦争への道で平和への道ではないと説く。
平和を叫びながら、自らと異なる意見を「否」とするならば、その先に平和はない。
戦争に備えながらも、平和への訴えに耳を傾け考え続けるのならば「戦争」は来ないかもしれない。
大事なのは「自分と違う」ことを許容すること。
こうしたすりかえというものは、得てして人間を「一方向」へと引っ張ってしまう。
だからこそ、あえて私は逆で考えてみた。
もちろん、この考えが当たっている保証などないし、正直間違っているという考えのほうが多分にある。
だが、それでも自ら自らに反論をし続けることこそが、平和への一歩ではないだろうか。
問題をすりかえるのではなく、向き合い、もう一度、別方向から考える。
思い込みにトリックは簡単に付け込んでくる。
すくなくとも、今の日本は言論統制をされていない。
むしろ、過激な運動まで許容されている。
おそらく日本内部は平和だろう。
だが、平和は内側からやってくるものだけではない。
私たちは外へと目を向けなければならない。
私たちが平和を叫ぼうとも戦争は一瞬先にやってくる。
私たちが平和を願おうとも戦争を望む人間はいる。
多種多様な思考があるように。
平和を望む人々がいるのと同じだけ戦争を望む人々がいることも忘れないことである。




