書き方ひとつで印象操作
沖ノ鳥島とは日本人の領有権では『島』である。日本人の居住は不可能ではない。それは歴史が物語っている。いかにも小さいですと書かれた印象操作。だが、本当の大きさは……。
物事を書くとき、そして文章を読むとき
気を付けなければならないのは思い込みなどをつかった印象操作である
その極端な例をあげてみよう
日本最南端の島「沖ノ鳥島」である
写真で見ると
暮らせるようには到底みえない
多くの人がそう感じるだろう
このたび、中国の南シナ海の問題と台湾の漁船捕縛の問題で取り上げられていたが
沖ノ鳥島のうち海面が露出する島はふたつあり、北小島・東小島という
あわせて『わずか九平方メートル』
たいていの場合この表現が使われる
ほかの表現だと『わずか二坪ほど』などだ
ちなみに『二畳ほど』などという呼び方をするがこれは誤りである、後で述べる
坪=畳二つ分なので、尺度を理解できていない人間の言葉だとすぐにわかる
そして、ここに大きな落とし穴がある
実は、このように沖ノ鳥島の面積が私たちの生活に基づく形で語られることはないのだ
いずれも「わずか」や「ほど」とつけいかに小さいかをアピールしている
だが日本は『島』であると主張している
では『岩』と『島』を分けるものはなにか
ある国連の条約に条文が存在する
国連海洋法条約
第121 条【島の制度】
1 島とは、自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、高潮時においても水面上にあるものをいう。
An island is a naturally formed area of land, surrounded by water, which is above water at high tide.
2 3に定める場合を除くほか、島の領海、接続水域、排他的経済水域及び大陸棚は、他の領土に適用されるこの条約の規定に従って決定される。
Except as provided for in paragraph 3, the territorial sea, the contiguous zone, the exclusive economic zone and the continental shelf of an island are determined in accordance with the provisions of this Convention applicable to other land territory.
3 人間の居住又は独自の経済的生活を維持することのできない岩は、排他的経済水域又は大陸棚を有しない。
Rocks which cannot sustain human habitation or economic life of their own shall have no exclusive economic zone or continental shelf.
この第三項が問題となっている
幼いころ、私としてはあんな小さなところに無理でしょと思っていた
だが調べていくと、その印象は容易に覆される
立法と調査 2011.10 No.321(参議院事務局企画調整室編集・発行)
沖ノ鳥島をめぐる諸問題と西太平洋の海洋安全保障
~中国の海洋進出と国連海洋法条約の解釈を踏まえて~
外交防衛委員会調査室 加地良太
この文章によれば、沖ノ鳥島において島とされる二つには面積が大きく異なる
北小島:7.86平方メートル
東小島:1.58平方メートル
東小島は明らかに小さく、第三項は満たせないだろう
では北小島はどうだろうか
九平方メートルからさらに減少した面積
まず、だれもが暮らせないと思うだろう
では、これを不動産公正取引協議会連合会が2011年に定めた規格に合わせよう
畳一枚の面積を1.62平方メートル以上とする、というものだ
現在は畳を敷いてではないので「帖」を用いて表す
では、計算しよう
7.86を1.62で割ったらどうなるか
答えは4.85帖(小数点三桁切り捨て)
もし四角く整えたとすればよくいう四畳半の広さがあるということだ
ちなみに畳の規格はさまざまであり、そのために2011年に最低規格を定めた
だが、昔はさまざまな畳があり面積の言い方があった
「戦後すぐ、日本は住宅が極度に不足していたため四畳半という小さな部屋に七,八人がかたまって寝ることも珍しくはなかった」とは『神がいない死体』という本で書かれている文章だ。
このような時代、アパートや共同住宅などを建築する際に特に採用されていた畳があった
団地間という小さな畳で、一畳が1.445平方メートルというものだ
さて、四畳半といえば、かの有名なアパートであるトキワ荘もそうだったという
1952年に開かれ二階は四畳半の部屋が十室
ここに漫画家たちが集まったという、伝説のアパートである
有名人を上げれば、手塚治虫・藤子不二雄・赤塚不二夫・石ノ森章太郎などがならぶ
彼らの作品は、それなりの国際的知名度があるだろう
では、そんな彼らが暮らした四畳半の広さとはどの程度だったのだろう
アパートであることを考え団地間と仮定すると
1.445×4.5=6.5025平方メートル
東京都に立地していたことを考え江戸間と仮定すると
1.5488×4.5=6.9696平方メートル
彼らが暮らした部屋である。
上述の「四畳半という小さな部屋に七,八人がかたまって寝ることも珍しくはなかった」を考えると
最大サイズの畳は本間といい、1.94045平方メートル
四畳半の最大サイズは1.94045×4.5=8.732025平方メートル
8.73平方メートルに七,八人がかたまって寝るという生活も珍しくないと考えれば
4.85帖(7.86平方メートル)で日本人が居住できるかと問われると
『可能である』という結論しかない
たしかに形がいびつであるなどはあるだろうが戦後を考えれば可能と言わざるをえまい
四角い部屋ではあったがより小さな部屋で暮らし漫画を描いていたであろう偉大な先人もいる
ほかの外国人からすれば居住は無理だろう
だが、こと日本人に限って言うならば、
過去の事例を見る限り不可能と断じることはできない
居住を維持できないのが『岩』ならば、居住を維持できる可能性が十分にあるのは『島』である
すこし単位をいじるだけであっという間に変わってしまう
四畳半の島というと、多くの人が居住可能と思うだろう
意外と大きかったことに私自身が驚きであった
実際に様々な表現を自分で考慮しなければ見えてこないものがある
中国・韓国・台湾や島であると明確にしなかった人々は貧しい暮らしをしていないのだろう
豊かな暮らしばかりだから狭い『岩』で居住は不可能と断じることができるのだ
戦後というどん底を味わった日本人はこの『島』で居住は不可能ではないと主張できる
そして、自国の領土を守るのは当たり前のことである
港湾施設に防波堤や防潮堤を作り港を保護する
生活のために防風林や防砂林を作り集落を保護する
ならば島が削られないように保護するのは当たり前のことだろう
福島第一原発のとき防波堤が低かった、高くすべきだったという人々がいる
領土を守るための当たり前のことをするのに理由は必要だろうか
沖ノ鳥島を波から守るのがおかしいというのならば
防潮防波防砂防風などの施設すべてを否定するべきである
それで「自然」となる
もっともそんなことは口が裂けてもいえるまい
「文明」を手に入れた以上、真の意味で「自然」に戻ることはできない
我々は「自然」と共存することを考えるべきだ
日本には「里山」そして近年では「里海」という概念がある
人間の手が入って初めて成立し循環していく自然界・生命の営み
日本人らしいにもかかわらず私たちの実感しない素晴らしい生活の知恵
私たちは単語一つ文字一つを注意し誘導されないようにしなければ思わぬ落とし穴にはまる
少なくとも私は沖ノ鳥島が「こんなに大きい」とは思わなかった
もちろん、私の書く文章にも印象操作を与えるものもあるだろう
だから、もし読んでいる方がいるならば
疑い、自分ならどう書くか考えながら読むといい
そうすれば「筆者がなぜこの表現、この言葉、この書き順にしたのか」という思慮深さが身につくと
少なくとも私は思っているし、私自身、意識的に実践しようと日夜努力している




