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現代に残る、天皇という人柱

天皇家についてはどれだけの人が知っているだろうか。

そういう私も、実は詳しくは知らない。

某小説の影響から天皇家について少し調べてみたがこれが難しい。


第一にどこまでが実在の天皇かという問題だ。

第二に第34代から第49代にわたる複雑さである。

第三に昭和天皇という激動の時代の天皇の存在である。


第三の問題については私の勉強・理解不足である。

明治・大正・昭和と時代が天皇家よりはるかに早く変遷する。


第一の問題については、私は後回しにする、つまり新しい順に学ぶという手法をとることにした。


第二の問題についてだが、これは天皇系図を見ていただければわかるだろう。

宮内省が公開しているもの(宮内省公認)を見ることができる。

『万世一系』の立場であるが、この時代以外は非常にきれいなのだ。

私はここに天皇家の何かがあると考えている。

ちなみに、実在が疑われる推古天皇を除くと、現在まで七名九代の女性天皇が存在している。そのうち五名七代の女性天皇はこの期間にある。


では、残る二名二代の女性天皇はどこか。

第109代 明正天皇(在位1629~43)

第117代 後桜町天皇(在位1762~70)

前者は徳川家光の時代であり、

後者は徳川家治の時代(田沼意次の時代といったほうが伝わりやすいだろうか)

私たちが徳川幕府・改革などで習う時代に確かに存在しているのである。

その後は第118代を最後に第119代からはシンプルに系譜が続く。


現在、女性天皇が存在しないのは「明治維新」の影響である。

男女差別を持ち出すならば、西洋から入ってきたというべきだろう。

明治政府は近代立憲主義に基づき大日本帝国憲法を施行した。

同時に皇室典範という法律を制定した。

『大日本國皇位ハ宗ノ皇統ニシテ男系ノ男子之ヲ繼承ス』

これが現在の皇室典範にも残っている。

つまり、近代になってから男女差別が入ってきたのである。


なお、男女差別と女系天皇容認は全く別次元の問題である。

それは系譜の問題である。

異論がさまざまあるにせよ、現在宮内庁が出している天皇系図を見てほしい。

それは男系についてまとめたものであり女系についての系譜ではない。

男系系譜にすることで私たちは日本国という歴史を見ることができる。

この文化を捨て去ることは果たしてよいことなのだろうか。


さて、本題に入ろう。

私は女系はもちろん女性天皇制も反対である。

それは男尊女卑からではない。

単純に天皇という制度が人柱であるが故である。

天皇家が何をしているかはさまざまに報道されている。

彼らは生まれた時から天皇家の人間としての教養をつまされる。

そこに人権というものはありはしない。

もし、あるというのならば、皇室典範第二十二条は何なのだ。

『天皇・皇太子・皇太孫の成年は十八歳とする。』

そう、彼らは我々と違い二十歳ではなく十八歳で大人の責務を負うのだ。

これが平等な人権なのか。


我々は天皇を象徴とした。

すなわち、天皇という人柱を私たちは作ったのである。


在位中の天皇を呼ぶとき、天皇と呼ぶことがある。これは天皇というものが肩書であるためだが、これは個人を読んでいるものではなく、天皇制度に閉じ込められた「一個人」を無視し、天皇という人柱のシステムを呼んでいると考えることもできてしまう。天皇系図にはきちんと「今上天皇」という呼び名で書かれている。これは今即位している天皇を指しており、現時点で唯一の個人を示す呼称である。敬意を称す称さないは個人の自由だが、せめて「今上天皇」という個人を読んでほしいと願う。そうでなければ個人の自由・平等・権利・義務を尊重しているなど到底言えないだろう。天皇に敬意を表す場合は「陛下」をつける。これは法律で決められた唯一の敬称である。天皇陛下と呼ぶときは敬意を払っており、これは在位の天皇に対してのものと考えられやはり個人を指している。もし在位の天皇に対し「天皇」という呼び方をしたならばそれは「○○の地位にいる誰かさん」と言っているのと変わらない。そこにいる個人を完全に無視した発言に他ならないのではないだろうか。


私がこれほどまでに天皇とは人柱であると言いはじめ天皇に興味を持ったのは一冊の本がきっかけである。新潮文庫「昭和最後の日」。

それはいまだに読破はできていない。

正直目をそむけたくなることが書いてあった。

それは第一章 予兆に書かれていた、昭和天皇の開腹手術のことと、その際に記者が思い出したとする昭和62年天皇誕生日における嘔吐である。

そこに書かれていたのは八十六歳になる昭和天皇の誕生日スケジュールである。

「八十六歳の高齢者にきょうのスケジュールは過酷だった。決めたほうがおかしいよ。午前九時半から晩までは分刻みだったのだから。」

この言葉通り、そこには「八十六歳の高齢者」へのスケジュールではなく「天皇」としての目を背けたくなるスケジュールが記載されていた。その中には三回の「お出まし」も含まれていた。年齢を考えて四回から三回に減らしたとあるが、その程度では意味がないということは結果が雄弁に語っている。私たちは暢気にも昭和天皇の命というものを削って過ごしていたのである。


近年も天皇との会見は「通常一か月前に申請」することが慣例となっており、その慣例から外れた中国副主席との会見は、「陛下の健康状態が万全ではない」という理由にもかかわらず、小沢一郎氏は「陛下の体調がすぐれないなら優位性の低い(他の)行事はお休みになればいいことだ」「天皇陛下ご自身に聞いてみたら、手違いで遅れたかもしれないが会いましょうと必ずおっしゃると思う」などといって結局、今上天皇と習国家副主席の会見はごり押しされた。

後者の言葉など「昭和天皇の前例」を無視した言葉である。前述の昭和天皇の嘔吐だが、実は「三回目のお出まし」時には体調が悪かったにもかかわらずトイレ中座をせず「ご自分のために皆が集まってくれたのだから」と無理をしたそうである。また嘔吐後の行事を取りやめたことについても「いや、やるべきことはやるよ」と不満を漏らしたという。これら天皇の意思を時に止めるのも宮内庁の役割である。実際、この時に宮内庁は負担軽減を検討したが昭和天皇が普段通りの公務を行っていたため一過性のものとされ立ち消えてしまった。宮内庁は昭和天皇という個人を守ることができなかったのである。

まさに、「天皇」という人柱の前に再び宮内庁は今上天皇個人という大切なものを守ることができなかったのである。


どう考えても、普通の人間扱いではない。象徴という名のもとに我々は「天皇を人柱」としているのである。そして、その人柱がなければ日本国は回らない。今まで我々はそれを続けてきたのだから。いまさら捨てることはできないだろう。


さて、前提としての知識が長くなってしまった。

これらのことを知り、私は女系天皇は無論のこと、女性天皇も否定する。

男女差別ではなく男女区別の概念からの考えからだ。

なぜなら天皇という「人柱」にはとてつもない負荷がかかるからだ。

女性は月経・閉経などホルモンバランスを崩しやすい。外部からの物理的刺激については出産に耐えるため男性よりも強いといわれているが、ホルモンバランスを崩しやすい女性は男性よりも精神的刺激に弱いとする話もある。私はこの話について肯定的な見解をしている。

今も天皇家の女性がどんな風になっているか。よく考えてほしい。

そして天皇という檻に入れられた個人の末路をどうか考えてほしい。

ならば少しでも精神的刺激に強い男性が役目を担うべきではないだろうか。

当然、場合によっては女性天皇が必要となることもあるだろう。

そのあたりの負担が減るように柔軟に対応できるようにするべきだろう。

そして、その上で、男系として連綿と日本史に連ねてきたこの遥か長き文化を捨てることを避けることが自己満足ながらもせめてもの供養ではないだろうか。


我々は「天皇家を人柱」とした。ならば、それ相応の対応をするべきである。

「象徴天皇」という名のもとに、それ以上の道具扱いをするのは止めるべきなのではないだろうか。しかし、行事という長年の文化を削ることは文化保護の観点から人柱になっていただくしかない。しかし、他に削れることは多くあるのではないだろうか。高齢となった天皇の誕生日に押し掛けることが文化なのだろうか。法令で定まっていないからといって、ある程度の余裕をもって組まれているであろう天皇の予定を急遽変更することが文化なのだろうか。


日本国そして日本人は天皇家という人柱の上に生きている。

この長き文化は誇りであると同時に、我々の罪業でもある。

人柱がせめて安らかに過ごせるようにすることが我々のすべきことではないのだろうか。それが現代の人柱へのせめてもの供養となるのではないだろうか。

人柱に責任を押し付けぬよう、象徴とし政治利用しない。

あくまで日本国史という文化の象徴であるとすべきではないのだろうか。

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