第五話 <六引く一は三>
数日後の未明、フランの主都プリスから黒い馬車が到着し、まだ薄暗いうちにヒーナとアンナ、ついでにピートをプリスに移送した。
その護衛には、三百の兵士が動員され、護衛隊の長はヤードと名乗った。
胸や肩の部分だけ金属でできた簡素な鎧に身を包んだ、落ち着いた雰囲気の男だった。
歳は二十をとうに越えているであろう、ヒーナより十歳は年上ではないか。
日に焼けて肌は浅黒く剃り残したようなアゴ髭を少し生やしてはいるが、整った顔立ちのせいか不潔な感じがせず、勤勉実直な印象も受ける。
この時、ヒーナはジルの襲撃で気分が沈んでいた為、軽く挨拶した程度で馬車へこもってしまった。
しかし頭に怪我をしているアンナには、その体を気遣いながら幾つも言葉をかけていた。
馬車に乗って城門を潜り、石畳の上り坂を進み、両開きの大扉の前で馬車から下ろされ、城の中に通された。
天井が高い西洋風の城の内装は、質素ではあるが荘厳な雰囲気でいて、このような城はテレビか絵本の中でしか見た事がなかったヒーナは、少したじろいでしまう。
太くて真っ白な柱が廊下の左右に、対象になって何本も立ち並び、その間には鎧をまとった兵士たちが剣を構えて整列していた。
その間をまっすぐ進んだ。
どうも、自分は歓迎されているようであるという雰囲気は伝わってきたが、そのせいでヒーナは緊張していた。
突き当たりに両開きの扉があり、その扉を開けると白い床の中央に赤い絨毯が敷かれ、真っすぐ正面奥にのびている。
その赤い絨毯の両脇には、映画やアニメで見た社交界そのものの、シルクハットに蝶ネクタイ、燕尾服やタキシードを着た男性、足首まで裾の広がった、きらびやかなドレスに身を包んだ女性など、おおよそ身分の低からぬ気品ある雰囲気の男女が並んでいた。
真っすぐに敷かれた絨毯のその途切れた先、正面奥には、白い複雑な模様のドレスを着た美しい女性が鎮座している。
真珠のように白く輝く肌、ほのかな輝きを放っているかのような艶やかな金髪。
細すぎず程良く肉の付き、すらりと伸びた手足。
近づくにつれてはっきりと分かるほど、ため息がでるような端麗な顔。
そして全体から発する、柔和で厳かな気品のある雰囲気。
それがフランと呼ばれるここの神であることは、誰に説明されなくとも一目で分かった。
ヒーナの姿を見たフランは、感嘆の声で咽を震わせる。
「貴方が、呼び出された巫女…我らの希望…」
すき通るような美しい声でそう唸るフランの表情にはうっすらとした笑みが浮かんでいた。
「よくぞここまで来て下さいました…」
続けてヒーナの労をねぎらい、褒め称えた。
しかし、褒められたヒーナは複雑な表情になった。
フランは大きな青い、何でも透視してしまう様な瞳でヒーナの目をじっと見つめた。
「…そうですか、あなたは…」
美しい声でそうつぶやくフランの表情は、今までとはうってかわって、悲しみや失望、憐嬪といった感情が見て取れる。
ヒーナはそんなフランの顔を見て、泣きそうになった。
それでまた、フランの顔には悲しみの色合いが濃くなった。
その間も、ヒーナは一言も喋れなかった。
フランの傍らに控えていた老婆が、そんな二人のやりとりを見て、
「フラン様、なりませぬぞ!」
と叫んだ。
あまり飾り気のない質素なドレスを着ていたが、品のある老婆である。
老婆の言葉でフランは、ヒーナから視線をはずして目を伏せた。
その仕草が如何にも悲しそうであったので、ヒーナは居たたまれなくなって、視線を床に落とす。
老婆はヒーナの前でひざまずいている小さなウサギをきっと睨んで、「どういう教育を…」とつぶやいた。
しばしの間、重い沈黙の時間が経過し、フランは玉座から立ち上がってヒーナの突っ立っている場所までゆっくりと歩いた。
そして白く輝く肌に、透き通るような薄い産毛が輝く腕をのばし、ヒーナの手を握った。
「貴方を帰してさし上げます。だけれど、この国の者たちの、いえ、私の我侭を聞いてもらえないでしょうか…」
フランの声はヒーナにだけ届くくらい小さく、それでいて切羽詰ったような、息苦しいような声であった。
少し考えたヒーナは、こくりと頷いた。
「ありがとう。この国の者たちに成り代わって感謝します」
フランは少し微笑みながらも、寂しそうな表情でそう言うと、話を続ける。
「私たちの東の防衛拠点であるモナリの町が、ポードという国の軍隊に攻められようとしています」
フランは悲しげに目を伏せた。
「本当はそれを救って欲しかったのですが、今のフランは海賊や山賊、さらに小規模ですが魔獣なども暴れまわり、まさに内憂外患なのです」
伏目がちなフランの長いまつ毛がパタパタと動く。
「その拠点の中の一つ、ブルアという町を山賊が襲っています。それを救っていただきたいのです。もちろん、先ほどあなたに付けた部隊はそのまま、あなたの指揮下に置きます。その一戦の指揮だけでも…」
フランはそう言ってヒーナを見据え、言葉を続ける。
「それが終わったら、貴方を望み通り元の世界へ返して差し上げます」
そこで先程の老婆が、厳しい表情で「フラン様…」と咽を鳴らすようにうなった。
「これは女王とミツカイの戦士との盟約です」
フランは顔を上げ、謁見の間全体に向かってそう言うと、傍らの老婆に向き直り、
「いいですね、シャロン」
と念押しする。
それで今まで口を挟んで来た老婆シャロンも、両脇に居並ぶ貴人達も、誰も反論はできなかった。
静まり返った謁見の間に、玉座の脇にある小さな扉が開いて色白の少女が入って来た。
歳は十八歳くらいだろうか。血管が青く透けて見えるほど色白で背はヒーナと同じくらい。
金色の前髪をまとめて上げ頭の上で膨らませたような髪型に、草色の下地にカラフルな花柄の刺繍の入ったドレスを着ており、そのドレスにはひらひらとした刺繍のレリーフが袖や裾に付いていた。
その姿を見たフランが微笑んで、
「あら今日は可愛らしいですね、エリーゼ。よく似合いますよ」
と言うと、その少女は少し赤くなって、
「ありがとうございます、今日はポンパドゥールにしてみました」
とスカートを摘まんで礼をした。
そこで、列している紳士達からも感嘆の声が上がる。
その感嘆を制するように、おしゃれな少女エリーゼがヒーナに向き直って、
「私はフラン軍第一師団長兼、フラン軍総司令官のエリーゼ。あなたと同じミツカイです」
と自己紹介をした。
続けて、
「このフランの軍事は第七師団までの部隊と、優れた師団長によって支えられています」
とエリーゼが言うと、周りの貴人たちもうんうんとうなづいた。
「ところが最近、西にある隣国のクワイが、その北のバートという国を滅ぼし、六カ国で保っていた均衡が崩れました。五カ国になり、クワイ国以外の、リーエン、ポード、マルグ、そして我が国フランは、単独で強大となったクワイ国にどう立ち向かうか方針を思案している最中です」
ヒーナはクワイという名に心当たりがあった。
「あの、…クワイってジルって人のいる…?」
女王フランはそれを聞いて、
「そうです、あなたが二度も撃退したのは、バートを滅ぼした主力部隊を率いていたというミツカイです」
と、ヒーナに微笑みかけた。
「おぉあのジルを…」などと周囲がどよめく中、ヒーナは頭の中で今の話を整理する。
ピートとかいう狂いウサギに教えられた世界図では、丸いケーキを六等分した一つがフランであった。
中央が険しい山岳地帯山であるために、両隣以外は軍事的に攻め難く、フランの西はクワイ国、東がポード国で、フラン国が軍事的に衝突があるのもこの二国である。
この六カ国は治める領土の大きさや資源の保有などが同じくらいであるため、世界の均衡が保たれていた。
しかし、西のクワイ国がその北隣の国を滅ぼしたとなれば、領土は二倍になったと考えられる。
そうなれば軍を整える数ヶ月から数年のうちに力は他の国の二倍になるだろう。
一人勝ち状態となったのである。
「…あの、それならば…」
ヒーナは恐る恐る声を出した。
エリーゼは「何か?」と聞き返す。
周囲はまた静まり返った。
「他の四カ国が今の内に二カ国を滅ぼし、天下が三カ国になれば、力はまた均衡します…」
ヒーナの言葉に、エリーゼとシャロンが「おぉ」と声を上げた。
「そうなれば、三カ国がまたお互いをけん制して平和が保てるな」
しわがれた声でシャロンがうなずく。
「しかし、これを残り四カ国のすべての方針としなければ…」
エリーゼがそうつぶやくと、ヒーナが、
「噂とか、貼り紙を…『6-1=3』と書いた紙を全国に貼ってはどうでしょうか?」
と言った。
「その答えは普通は五だが…なるほど、謎の怪文を解かせるのだな…各国の施設や町の広場などに貼り紙を出せば…」
シャロンがつぶやいた。
「怪文の謎も相まって、町の噂になり国の高官の知るところとなる。その中に意味が分かる者がいれば、その国の方針になるやも知れぬ…」
そう言うエリーゼにヒーナが付け足す。
「なにより、最終的には最大国力のクワイ国も知るというのが重要です」
「なぜ、わざわざクワイに知らせる必要があるのだ?」
シャロンがいぶかしげにたずねた。
ヒーナが答えようとすると、それを制してエリーゼが答える。
「最大勢力であるクワイが三カ国構想に乗ればとてもやり易いし、例え乗らなくても、クワイの動きにあわせて他の四カ国が連携するようになればクワイ国は攻め難い。知るだけでクワイは三分になる寸前まで動きを抑えられる事になるだろう、という事か…」
ヒーナはエリーゼの言にうなずいた。
合点のいったシャロンは、
「なるほど、こういう構想があるとすれば、クワイが先んじて他国に攻め入れば、他の四国が連携してクワイを押さえに掛かるような動きをするだろうと予測ができる。それだけでもクワイの動きをけん制する役に立つ、という事か…」
とつぶやいて、ヒーナを見つめてニヤリと微笑んだ。
「さて、早速段取りしようかね」
言下フランに一礼して、老婆シャロンは杖をつきながら、エリーゼが入ってきた扉から出て行った。
「あなたに与える軍の説明をします。後で私室まで来るように」
エリーゼはヒーナに向かってそう言ってから、シャロンと同じく謁見の間をあとにした。
そして、女王フランが立ち上がり、
「新しいミツカイ、ヒーナ。頼みますよ…」
と、意味ありげな眼差しで見つめて奥に下がった。
ピートがヒーナの耳元まで飛んで来て、「帰るよ」とささやいた。
そこでようやく、ヒーナは肩の力を抜くことができた。