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1.始まる日常

 小さい頃の夢なんて今はもう思い出せないけど、周りの人の耳にたこが出来るぐらい言っていた言葉がある。


「大きくなったら絶対にすごい人になるんだ! たくさんの困っている人を助けられるような人に!!」


 希望に溢れたその言葉を話す度に父親は優しく頭を撫でてくれた。俺もそれが嬉しくてよく笑っていた。その頃は本当に自分がすごい人になれると思ってた。

 だけど、今ならなんとなく分かる。

 父親が優しく頭を撫でるのと同時にその表情が毎回どことなく暗かったのは、きっと俺自身がこの言葉が持つ重圧に押し潰されるのを見通していたからなんだろう。

 

 親父が死んで五年経った。

 言葉に出来ない色々なモノと、形のある僅かなもの、扱いきれない肩書き、そんなものを引き継いだ俺は当ても無いまま日々を過ごしている。

 夢の重圧、温かい掌、変わりきれない思い、全てが中途半端なまま止まった。ガラクタの様な過去の残滓が今の俺を何とか支えている。

 でも、もしも、きっと、この『思い(ガラクタ)』を失う事があったら――


 ――俺は一人じゃ生きて行けないだろう。


 *


 石積みの壁で囲まれた窓も扉も無い部屋。部屋の四方に置かれた蝋燭で照らされた部屋の中は面という面全てに血で書かれた陣が描かれていた。

 そんな部屋の中心に立つ一人の少女がいた。これといった飾り気の無い無地のローブを身に纏い、分厚く今にも崩れそうな本を持っている。


『――応えよ、常世の壁を越えてこの声を聞きし者よ。

 我は汝の主と成る者。我は汝の僕と成る者。

 汝この声に答えし者。汝この詩に呼ばれし者』


 少女は額に汗を浮かべながら一心不乱に言葉を紡ぐ。一ページ、また一ページと忙しなく藍色の瞳は動き、手は次項をめくり、息継ぎもないまま紡がれる言葉は数を増してゆく。


『――狭間を旅する者よ。縛られぬその魂よ。

 悠久の旅路に終わりを告げ、汝が降り立つは我が示す標の先』


 陣が淡く光る。赤い血文字が白く輝き始め何かの到来を示すかのように明滅を始める。

 何も無い空間から風が溢れ、狭い空間を縦横無尽に荒れ狂う。


『――来たれ英雄。我が名はリアン。力を求めし者』

 ――応えよ英雄。我が名はリアン。汝を呼ぶ者――』


 * 


 自覚している事だが俺は妙に眠りが浅い。目覚まし時計はいつも七時頃に設定しているのだけど、起きるのは大体三時や四時と朝とは言い辛い時間に起きることがしょっちゅうだ。大体そういう場合はトイレに行ってから再び眠るのだが、今日はなんとなく外を出歩くことにした。

 二段ベッドから音を立てないようにそっと降りる。それでも無音とは行かずにギィギィと音が響くのだが、一段目で寝ている妹――色葉(いろは)が起きることはまず無いだろう。俺と違って一度寝たらまずは起きない。

 そう思っていたのだが――。


「――お兄様、どこへ?」


 呼び止められてしまった。見れば口元まで布団を被っている色葉と目が合った。ヤドカリかお前は。

 

「目が覚めちまったからちょっと出歩いてくるだけだ」

「こんな時間にですか?」


 ちょっとしたアホを見るような目で俺を見る色葉。大変失礼なことを考えているのは理解できたがなんとなく腹が立った。

 特にこれといったものが頭に浮かび上がらなかったから別に何もしないんだけど。


「お前の言いたいことは分かるけどな、与太をしにいくわけじゃないぞ」

「それはどうでしょうね。お兄様は仕事が仕事だけに与太の方が近寄ってきますから」

「……言いやがる」


 色葉のベッドに腰を掛ける。起き上がった色葉の髪を手で掬い、そして頭を撫でる。

 若干頬を赤染めているのは多分恥ずかしさからだろう。十五歳という年で頭を撫でられるのは結構クルものだ。だけど色葉は決してこの行為を嫌がりはしない。


「……お兄様はは本当にお父様にそっくりです。何かあるとすぐ頭を撫でます」

「嫌か?」

「……その質問は卑怯ですよ」


 少し拗ねた風に声を小さくして、色葉はそう言う。その仕草が可愛らしくて少し恥ずかしさを感じた俺は照れ隠しで頭を思い切りくしゃくしゃに撫でる。


「お前だけには嘘はつかない、心配もさせない。だから安心しろ」


 真っ直ぐ目を見て俺はそう話した。

 色葉はちょっと笑った。


 

 夜道というか朝道というか。一緒に行くと言い出した色葉と二人で家を出る。

 親父が俺に残した形ある僅かなもの。それがこの家と少しのお金。そして妹の色葉。


 色葉は俺の母親の娘だ。俺がまだずっと小さい頃。訳があって別れた俺の親父と色葉の母。その時に俺を引き取ったのが親父、そしてまだお腹の中にいた色葉は色葉の母が責任を持って育てるということで話は終わったらしい。

 だけど八年前、色葉の母親は交通事故で亡くなり、そしてそれを知った親父は母方の親戚達に色葉が回される前に引き取ったらしい。無論俺には内緒だ。

 それから、色葉を信用の置ける友人に預けた。というわけらしい。

 何に気を使ったのかは知らないが俺は別に気にしないから一緒に暮らせばよかったものを、親父は随分と面倒なことをしていたものだと思う。


 色葉と出合ったのは五年前。親父の葬式場で初めて顔を会わせた。葬式場で一枚の封筒を持つどこか暗い色葉に俺が話しかけたのがきっかけ。

 “どうしたの?”と聞くと“お父さんが死んじゃったの”と色葉は言った。

 色葉の持っていた封筒は親父の遺言状。そこには色葉の過去の経緯と俺の妹であること。自分の死後は出来れば二人揃って暮らして欲しい。そんなことが書いてあった。

 

 勿論当時の俺には父親が書いた難しい文章を完璧に理解することは出来なかった。

 ただ、文の終わりに書いてあった親父の一言。


 “色葉を守ってあげて欲しい”


 その頃ある挫折を味わった俺が色葉と一緒に暮らすのに、その一言以上の理由が要らなかった。



「……少しまだ冷えますね」


 まだ少し寒さが残る五月の夜道。さすがに薄着の寝巻きじゃ寒いだろうと俺の上着を着せたのだがどうやら足りなかったらしい。


「だから大人しく寝てろって言ったんだ。折角の日曜日を早起きする必要もないだろうに」

「嫌ですよ、お兄様目を離すとすぐどこか行っちゃうんですもん。見張れる範囲で見張っておかないと」

「……俺ってそんなに信用がないんだな」

「あ! そういうわけじゃなくて」


 他愛もないことを話しながら歩いていると、近所のコンビニへと着いた。中に入って色葉用の適当な飲み物とコーヒー、そしてサンドイッチを買うだけの簡単なお仕事。

 色葉を連れてさっくりと買い物を済ませ帰路に着く。


「お兄様は今日はなにか用事があるんですか?」

「ん? ……んー、ないなぁ。依頼もそんな急いでやるものばかりじゃないし」


 色葉にそう返しながら俺は頭の中で頼まれていた“依頼”を確認していた。どれも急いでやるものではないのは確かだし、これといって面白そうな依頼もあるわけではない。

 俺はコーヒーを開けて飲みながら、開いた手でOKサインを出した。

 親父から受け継いだ肩書き――《二代目頼まれ屋》の仕事とはしばらく向き合わなくていいだろう。


「そうですか。なら久しぶりにのんびりできますね。お兄様は最近色々と頼まれごとで忙しそうでしたから」

「まあなぁ。そうだな、どっか行きたいところはあるか? なんなら連れてってやるぞ」

「いえ、これといってないので大丈夫ですよ。それよりもお兄様が自分の体を大事にしてもらったほうが助かります。……それにしても、頼まれ屋を引き継いで随分と経ちましたね」

「……そうだな」


 頼まれ屋――それは親父が始めた何でも屋の別称。

 親父が始めたこの仕事、この町では随分と有名なもので知らない人間ははいないほどだ。良い意味でも悪い意味でも。

 『気に入った依頼のみを受けること、我を通して人間らしくあれ。それを忘れるなよ』

 俺が親父から教わった教え。俺はそれを自分なりに考えて理解し、そして今日まで頼まれ屋を受け継いできた。


「……お兄様はいつまで続けるのですか?」


 ふと色葉はそう言うと立ち止まった。

 

「……多分、終わるまでだ」

「そう……ですか。変なこと聞いてすみません」


 そう言うと色葉は再び歩みを始めた。俺は少し間を置いて色葉の後を追うように続く。

  

 色葉は正直俺がこの仕事をしているのを良く思っていない。言葉には決して出さないが態度がそう示している。

 それは多分この仕事が綺麗なものではないからだろう。

 親父の代から受け継いだ仕事だけれど、当然その頃からの顧客というかそういう人もいる。大抵そういう人から入る依頼は暴力ごとだったり、真っ黒な仕事ばかりだ。

 色葉はそういうに事に関わっている俺を心配してくれてるのだろう。

 

 俺は早足で色葉の後ろから近づくと、ぽんぽんと頭を撫でた。


「……お兄様?」

「心配すんな。お前だけには嘘はつかないから」

「……知ってますよ。そんなこと」


 色葉はそう言って笑ってくれた。

 「そうか」と、俺も笑って、そして隣り合わせで俺達は笑う。


 

 唐突に、前触れ無く、突然、そこで俺の日常は消えた。

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