努力を見ていた人間は
多くの読者に感謝を……。
誤字脱字報告大変助かっています。
私、ソフィア゠サンチェスはエリスが書いた『サン゠ジュスト家の怪死事件』という本に触れる。
私がこの本の存在を知ったのはお茶会の時だった。
エリスの書いた本が評価されていると聞き、私は誇らしくも思った。
──あのエリスにも才能なんてものがあったのね。
だが、私の喜びはぬか喜びのようなものだった。
夫にその本のことを伝えるが、すでに夫も知っていた。そして首を横に振りゆっくりと口を開いた。
夫からさわりを聞いたが作品の中で妹は衰弱死し、妹婿は毒殺され、父親は暴行死されたという。
まるでエリスに自分たちの死を望まれているような気分だと夫は言った。
──それなら、私は?
本の中で私はどうなるのか。
夫は教えてくれなかった。無言で本棚から取り出した『サン゠ジュスト家の怪死事件』を渡した。
エリスにしてきた数々の仕打ちが脳裏をよぎった。
私はゆっくりと本を開き、ページをめくった。
◆
私は、可もなく不可もない普通の貴族令嬢だった。
私の夫の父親はこの国の通信技術に画期的な事業を手掛けていた。
その人と一緒になれれば特別になれるのではないかと思ったがその事業を継いだ夫は、その父親とは似ても似つかない普通の人だった。
どこまでも普通の私は平凡な自分にコンプレックスを持っていた。
生まれた子供も普通だった。1歳から文字が読めたわけでもなく、音が聞き分けられたわけでもない。
だが、2人目の子であるクリスティーナが特別だった。
3歳で姉であるエリスなんて軽く超えた、誰もがクリスティーナを「天才」だと褒めそやす。
周囲がこの子を天才と評価されるたびに私の中のコンプレックスが払拭されていく。
だからこそ、私は姉のエリスより妹のクリスティーナを大切に思っていたのもあった。だが、それも長くは続かなかった。
「妹のクリスティーナ嬢と違って姉であるエリス嬢は……なんというか普通ですね。ですけれど、人の話をしっかりと聞かれる方で不思議と話しやすいと褒めていらしたわ」
「……」
ある茶会でそんなことを言われる。
私には普通というのは決して誉め言葉ではなかった。
「大したことがない」「何の取り柄もない」「普通の人」「普通レベル」「特に良くもない」という評価に聞こえる。
エリスが普通という言葉を聞くたびに私は自分が責められているような気分になった。
「妹のクリスティーナは違うのに」
「姉であるエリスと似ていない」
「「「どうして姉妹でこうも違うのか」」」
クリスティーナが褒められ、エリスが普通と称されるたびに私の中の声が酷くなる。
私がエリスを普通に産んだことが悪いのか。あの子に才能がないことが悪いだろう。
いつかエリスからも責められるのではないかと思い、私はエリスを無意識に避け、見なかった。
「貴方だってあの子と同じ血が流れているのだからきっとできるわ」
——もっとエリスには頑張ってもらわないと。
夫はエリスを「努力の天才」だと評した。
私には慰めのようにも思えたが、今よりはマシになるかもしれないとその言葉を信じることにした。
エリスの誕生日プレゼントや祝祭日には純文学や哲学書などを渡した。夫も似たようなものだった。
人形などを贈られるクリスティーナを羨ましそうに見ていたが、あれはクリスティーナのご褒美だ。努力を認めてほしいのであれば結果を持ってこなければ意味がない。
エリスが大きくなり、高等学院を卒業したが私の思いを無視するかのようにまだエリスは普通だった。
──もっと頑張ってよ。
私の中での憤りは日に日に強くなっていた。
だが、ある日にエリスは倒れた。
──ああ、やっぱりダメだった。
この時になって私はエリスを諦めた。
「……お母様、お父様。もうボロボロになったお姉さまを見ていられません」
「……そうね。あの子には無理をさせすぎたみたい。貴方とは違うのに……」
やはり天才にはかなわない。
クリスティーナとは違うのだ。
才能を前に努力なんて無意味だ。
努力できることも才能?
それは人生が成功した人間だからこそ言える言葉だ。凡才には何の意味もない。
「……私がお姉さまの代わりになります」
「クリスティーナ……けれど、妹のあなたは家を背負う必要は」
そうは言ったが私は心の内で賛成だった。エリスには無理なのだ。
「大丈夫です。お姉さまにはこれ以上背負わせません」
クリスティーナであれば安心だろう。
これからはクリスティーナに任せ、エリスは所領で休ませようということになった。エリスが作った基盤もクリスティーナならうまく扱える。それこそエリスよりもね。
不思議とエリスを諦めてから私はエリスに対しての憤りは無くなっていた。
この子も私と同じだった。
エリスが所領に送られてからも何度も訪れ、声をかけた。
今までは顔を見たり、名前を呼ぶことすら抵抗があったが領地は田舎で人目もない所ならエリスにすんなりと声をかけることができた。
だが、お茶に誘っても断られる。
話をしようとしても顔すら見ることはできなかった。
クリスティーナの結婚式の日も近づいてきた。
「ねえ、エリス。じきにクリスティーナ結婚式があるわ。その日は来てくれるわよね?」
「……」
「あなたは姉なのよ? 妹の幸せを祝わないでどうするの? いつまで昔のことを根に持っているの」
いつまでこの田舎に引き籠っているのか。もうそろそろ前を向いてもらわないと困る。天才には敵わないことくらいあなたも分かっていたでしょう。
「私から奪った結果を見せつけたいのですか? それとも妹との差を見せつけたいのですか?」
エリスから扉越しに言われると涙が出た。
普通に産んだ私がやっぱり悪かったのだ。
私も過去に似たような思いをしたことがある。
この子は私だ。蛙の子は蛙。
自分自身が普通であることにコンプレックスを抱えている。
特別にはなれなかった。女の子だった。
◆
パラパラと本を読む……。
妹が、妹婿が、父親が殺された。
全員が全員、家族と似た名前。
主人公である復讐者ミス・フューリーに殺された。
だが、夫が言っていた気になる部分。
──……キミがどこにもいないんだ。
「……」
私はもう一度本を読み、一文をなぞる。
『フューリーとチーナの母親は幼いころに亡くなった』
私はこの物語には名前すら登場していなかった。
物語が始まる前にもうすでに亡くなってしまっている人間。
同時に思った。私があの子を見捨てたのではなく、私が見限られたのだ。
私については何も書くことがなかったのかもしれない。
悪人にも、友人にも、母にすらなれなかった。物語の間で道歩く人と同列の扱いだ。私は物語の中でも特別にすらなれない。
なら、この人は誰?
エリス──ミス・フューリーを実の娘のように思い、愛し、その愛故にフューリーをコントロールしようとした女性。
母親のように慕われていた女性を私は一人しか知らない。
その人だけは現実と小説同じ名前が使われていた。
◆
「エリザ? 私と似た名前ね。これからよろしくね」
私はエリザだ。
サンチェス家のお嬢様であるエリス様の専属侍女として雇われている。
生まれた時からずっと私はこの方を見守ってきた。
誰よりも早く、エリス様の部屋に行き、エリス様の可愛い寝顔を見てから起こす。
エリス様はとても愛らしい。そして、努力家だ。
幼いころから才能を発揮していたクリスティーナ様とは違う。
だが、エリス様はゆっくりと植物のように育つ方だと思った。
私はずっとそう思いエリス様の傍にいた。
人が頑張る姿は美しい。
自身を驕らず、お仕事に励むエリス様をいつも私は見ていた。
私はエリス様といつも一緒にいた。
人に褒められ喜んでいるときも、クリスティーナ様と比較され傷ついているときもずっと傍でお嬢様と共にあった。
「……お母様。クリスはお茶に誘うのに……」
「エリス様」
お母上であられるソフィア様はエリス様を見ないようにしている。使用人たちもそれを気が付いている。知らないのは本人やご家族だけだろう。
「また勉強に戻らないと」
「ご無理をなされないでください。あと奥様は……」
「大丈夫よ。私が頑張ればきっとお母さまも見てくださるわ。それに——」
私の言葉を遮り、そう言って笑うエリス様は最後にこう言った。
「エリザは私にとってお母さんみたいなものだから」
「……」
その言葉を聞いた瞬間に私の中でほの暗い思いが芽生えた。
思えばこの時、いや本当はもっと前——この方にお仕えするよりも前から私は歪んでいたのだろう。
昔から綺麗な物や可愛い物を傷つけたくなる衝動があった。
愛でたいのに、なぜか攻撃的な気持ちになる。
そんな気持ちがずっとあった。
やってはいけないと分かっていてもその線を越えたくて仕方がない。
幼少期のころに家で鳥の雛を買っていた
毎日、毎日お世話をして、餌を上げて育てていた。
やがて飛べるようになった頃、私の肩に止まったその鳥を——私は握りつぶした。まだ息がある小鳥を私はさらに石で磨り潰した。
私を慕い、懐き、敬ってくる存在を心の底から愛で、潰す快感を今でも忘れられなかった。
同時にエリス様に対して自分の娘のように思っていた。
エリス様のご予定を整えるのは私の仕事だった。
私はエリス様が自分の手から離れることに我慢できなかった。
私は未婚で子供もいない。
だから、母親にならなくてよかったと思う。
絶対に自分の子供なら赤ちゃんの時に壊してたもの。
私は何もエリス様を憎んでいるわけではない。憎しみの対象を殺すなんて思ったことがない。愛したものを私は壊したいのだ。
誰かに理解なんてしてほしいとは思わない。嘆きもしない。
誰も彼もが私を理解なんてできるはずがないからだ。だから私の心の内だけにこの何とも言い難い感情を潜める。
エリス様に気安く触れることは無礼であり認められない。何より、殴られることを黙っているような気弱な人間ではないことは知っている。
だから、エリス様のスケジュールを把握し、エリス様を私の思い通りに動かす。まるで宝石の原石を磨き上げるように自身の身を削るエリス様の様子を眺めることが堪らなかった。
誰かに認められたい、褒められたい。誰かのためじゃなくて自分のために。
自分勝手な感情かもしれないと自嘲していたが、エリス様にはそれが全てだった。それでも叶わぬ希望を持ち続け必死に頑張られるエリス様が愛おしかった。
最も不要なものは婚約者であるザイアン様との交流だ。
そう思っていると、クリスティーナ様が私にスケジュールを教えるようにとおっしゃってきた。
私はこれが好機だと思った。
エリス様にとっての不要な時間をクリスティーナ様に押し付けることができる。私は少し悩む素振りをしながらもクリスティーナ様にザイアン様との交流の予定をお伝えした。何よりザイアン様もクリスティーナ様に好意を寄せているのが丸わかりだ。それに気が付かないエリス様ではない。諦めながらも政略結婚と割り切っている。
私だけがエリス様のスケジュールを把握している。
調整できるのは私だけだ。
エリス様に不要なものはすべてクリスティーナ様に押し付ければいい。
「……何もエリス様が現地まで赴かなくとも……」
「数字が合わないことがあるのよ。それに手紙が届かないことだってあったわ。私はクリスティーナみたいに一度で聞いたことを覚えるのが難しいし、人伝に聞いてその間にミスがあるとその人たちを疑ってしまうみたいじゃない。それは申し訳ないわ」
「……エリス様」
仕事でのミスが見られるようになるとエリス様は人を使わず自分で動くようになった。
その数字を変えたのは私だ。手紙を隠したのも私だ。
人に頼ることができるエリス様だが、人を疑うことをしたくないエリス様は本当にいい子だ。
だが、少しずつ少しずつとじわじわとミスが増えることにより、他人に頼ることに不安に覚えるようになる。
空回りし、徒労し、難渋し、苦慮され、無意味な努力をされるエリス様はとても愛おしかった。
◆
そして、とうとうエリス様がお倒れになった。
その結果、いまさら何を思ったのか当主様がエリス様を次期当主から外し、田舎の所領で療養するようにと命じた。
無論、エリス様が到底納得できるわけがなかった。
「……妹に惹かれましたか? 1か月前のオペラもクリスティーナと観に行きましたものね。半年ほど前からお茶もしなくなりましたね」
「……違う、惹かれたとかじゃない。それにオペラやお茶会はキミは忙しいと思ったから」
「私があなたの誘いを断ったことがありましたか? 毎回きちんとスケジュールを空けるようにしていました」
ハッとしてエリス様が睨んでくる。
その目には諦観だけがあった。
私はその目を見て思わず目を逸らす、ゾクリとした性行為後のような快感が背中を走ったのを感じた。
「『努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない』そうおっしゃったのはお父様ではないですか」
「お母様は『貴方だってあの子と同じ血が流れているのだからきっとできるわ』でしたよね? 私は出来が悪かったようですね」
「……私は最初から妹の方がふさわしいのではと言いましたよね? それでもあなたは私がいいと言った。私は期待外れでしたか?」
「私が何かミスでも致しましたか? 成果はしっかりとあげられていますが。貴方たちには物足りませんでしたか?」
「……なるほど、私はもう用なしですか」
「私の今までの努力は? すべてなかったことにしろということですか? 今までの成果もすべて妹に渡せと? 私の身体が心配? 今更、私の身体のことを考えられるのであればなぜ私の心のことを考えてくださらなかったのですか!? すべてを奪われて終わってもなにも思うことはないのですね!?」
最高の眺めだった。
◆
所領に送られるその日までエリス様は誰ともお会いにならなかった。
当主様がエリス様が領地で快適に過ごせるように人事を整えるが、誰も王都から遠く離れた僻地なんて行きたがらなかった。
「私はお供させていただきます」
「エリザ……そうだな、専属侍女の君が共にいってくれるのなら安心だな。向こうでどのように過ごしているのか、エリスのことを教えてくれ」
「かしこまりました」
エリス様のスケジュールをクリスティーナ様にお伝えしたことは特に問題にはならなかった。
主人を想っての行動と当主様たちは私を責めなかったからだ。
ああ、でも……人目が無くなったら、もっととまらなくなってしまうかもしれない。
そう思いながらも私はエリス様についていくために身辺整理を始めた。
そして、領地へと向かう日になると私はエリス様と同じ馬車に乗り込む。エリス様は最後までご家族の誰とも口を利かなかった。
奥様は急な心境の変化があったのか今更ながらエリス様を心配する素振りを見せ始めた。だが、もう奥様がエリス様に入り込める余地はない。もうとっくに見限られているのだから。
王都を出てからもエリス様は一言も話さない。
まだ心を落ち着けることができていないのだろう。
私は所領についてからの生活に内心、心を躍らせていた。
だからこそ油断した。
「あなたは今日で解雇よ」
「……は?」
所領に着く間に立ち寄った町を旅立つ際に私は解雇を宣告された。
いきなり解雇と言われ納得できるわけがない。今までエリス様とずっと一緒にいたのだ。「はい」などと納得できるわけがなかった。
「な、なぜ?」
「……私のスケジュールを勝手に他人に教え私に嘘をつく侍女なんていらないわ」
「も、申し訳ございません! お嬢様……私は……クリスティーナ様に頼まれて。お嬢様に無理をさせないようにと……」
「私のためってこと?」
「は、はい……」
「貴方がしたのは裏切り以外の何物でもないけれどね」
冷たい目。
諦観とは違う。
私に対して本当の憎悪を向けている眼だ。
「──っ──」
「妹の言葉が重要なら私よりあっちに仕えればいいじゃない。どうせ、領地で私のしていることを両親に報告するようにとでも命令されたのでしょう」
「あ……」
私に有無を言わさず馬車の扉を閉められ、荷物は全て置いていかれた。
私の手には退職金を込みで入れられた馬車代が残されていた。
「置いていくなんて嘘ですよねっ!! 違いますよねっ!? エリス様は分かってくださっているでしょう!! 今まで誰が面倒を見てきたとっ!!」
私の声など聞こえないと言わんばかりに、馬車が私を置き去りにされてしまった。
◆
置き去りにされた私はサンチェス家に戻ることもできずに町に留まっていた。
今は酒場でお酒を飲み、空になったグラスを指ではじく。
今からエリス様を追いかけてもあの方は私を受け入れないだろう。
まさか、解雇されるなんて思っていなかった。
エリス様は今は疑心暗鬼になられている。誰も信じていない。
私もそこに含まれるようになったのは意外だった。余計な手出しはしないほうがよかったか。
私がしたことなんてエリス様に知られているのはせいぜいスケジュール調整くらいなものだ。
報告書類の数字を書き換えや手紙を隠していたことなどを知られていないのであればまた時間が経てば雇っていただけるのではないだろうか。
時間を経つのをどこかで待つしかない。
あの当主様であれば仕方がないと受け入れていただけるだろう。
今はサンチェス家に戻ろうかと考え、私は酒場を後にした。
「~~♪~~」
ほろ酔い気分。心地よく酔った身体をふらふらと動かす。
今後の予定が決まったので少し気力を取り戻した私は宿泊している宿へと向かおうとする。エリス様から頂いたお金により普段はできない贅沢ができている。
トンと私に誰かがぶつかってきた。
たったその一瞬で、取り返しのつかない出来事に変わった。
「……あえ?」
腹部からジワリと広がる赤いシミ。
血は熱く、腹部に刺さるナイフの冷たさが鮮明に分かる。
何が起きたのか理解するより先に、焼けるような痛みだけが全身を駆け抜ける。
「ぎ、ああ……」
声なんて上げられなかった。
そのまま私は押し倒され、男が持っているナイフがグリグリとさらに深々と私を犯してくる。
男はもう一人いた。
私の声が出ないようにするためか大きな岩を私の頭に何度も打ち付ける。
ガン、ガンン!! バキャ!! グシャ!!
それが私が聞いた最後の音だった。
◆
ミス・フューリーによって殺されたのは母親だった。
だが、その母親はフューリーたちの実の母親ではない。
フューリーの侍女だった女性だ。
かつて家の使用人だったが後妻へと納まって義母となっていた。
その女性の名前はエリザ・サン゠ジュストだった。
屋敷で孤立しているフューリーの味方だったが、その本性はフューリーに対して行われた数々の仕打ちのすべての元凶だった。当主たちに虚偽の報告をし、何もできない女性だということを広めていた。
優しく包容力のある彼女をフューリーは実の母親のように愛した。
だが、同時に彼女には嗜虐趣味があった。
傷つけながらも自身に縋ってくるフューリーを愛おしくも思っていた。
そして、復讐を決意したフューリーにより殺された。
死因はフューリー自身の手による刺殺だった。
一緒に過ごした年の数だけ刺されていた。
自身の復讐の中でフューリーがその死に唯一涙を見せた人間だった。幼いころからの愛は大きくなっても消えなかった。
だが、同じくらいの憎悪もあった。
愛と憎しみは紙一重。
エリザの遺体は見つかることなくフューリーの手により葬られた。
エリザは元々使用人であり、家族もいない。
誰もエリザを探すことはなかった。
死体が見つからなければ事件にもならない。ましてや誰も彼女が殺されたなどと思うことはなく、ミス・フューリーの犯罪は誰にも知られることはなかった。
こうして、彼女は4つの完全犯罪をやり遂げた。
◆
小説とは違いエリザを襲った犯人はすぐに捕まった。
エリザを襲ったのは町の浮浪者の男2人だった。
襲った理由は極めて単純で「金を持っていたから襲った」だった。
毎晩、働くでもなく遅くまで高い酒を飲み、町でも指折りのいい宿に泊まっている。
大金を持っている酔っ払いの女性というだけで襲われる理由には十分だった。
この片田舎の町で起きた強盗事件の被害者のエリザは亡くなった。顔も潰されていたため誰が亡くなったのかもわからないが、着ている服から宿を利用している女性くらいしかわからなかった。
それに犯人はすぐに捕まったことで大きな騒ぎになるわけでもなく、調査もなく、ただの1つの解決済事件として速やかに処理され、時間が経つにつれ人々の記憶から消えていった。
エリザを襲ったこの事件の事の発端は金だ。
エリスは退職金として金を渡しただけだ。
無論、エリスは襲われることなんて想像すらしていなかった。
大金を持っている人間が襲われるというのは古今東西どこにでもありふれた話だ。「故意」ではないが「過失」ではある。
だが、それを調べる人は誰もいない。
エリス自身も強盗殺人のことは知らなかった。
事件が起きたこともエリスは知らず、知らされることもなかった。
サンチェス家もエリザを探すことはしなかった。
身辺整理をしっかりとこなし、サンチェス家にエリザがいないのは使用人たちの共通認識であり、今もエリスの領地にいると思っている人間が大半だったのだ。
エリスの復讐の手段は小説だ。
それ以上でも以下でもない。
エリスはエリザの歪んだ性癖も知らない。
彼女が小説にエリザと同じ名前を使ったのは、母のように慕い、悪役のように自身を裏切り、もう二度と会うことのないエリザに対するささやかな復讐だった。
残念ながらその復讐はエリザには届くことはなかった。もしもエリザがこの小説を読んでいたらどうなっていたかは本人以外知るすべはない。
だが、エリスがこの小説を書き終えた時にはもうエリザへの憎しみも消え、過去にとらわれることはなくなった。
『サン゠ジュスト家の怪死事件』が売れ、評価されるたびに「もしかして」という噂は広がる。それは国だけではなく国外にも広がりを見せる。
モデルとなったサンチェス家。
彼らの事業は続いたが、彼らは必要以上に人の視線に恐れるようになり、彼らは表舞台に出てくることはできなくなった。
エリスの名が世界に広まるにつれて、彼らの後悔は日々募るばかりだった。
そして、サンチェス家の人間がこの本を読み終えたタイミングをどこかで見ていたかの如く、エリスから手紙が届いた。
ご愛読ありがとうございました。
エリス
非常に多くの方に読んでいただき感謝です。
初期から感想欄にはさまざまな意見を頂きました。
次回はエリス視点の話を書いて終了としたいと思います。




