第4話:数字の向こう側にあるもの
悪徳商人マルクが兵士に連行され、静まり返った広場に、やがて地鳴りのような歓声が沸き起こった。
「やった……本当に、あのマルクを追い出したんだ!」
「ありがとう、レオン! お前は村の救世主だ!」
あの商人には村人たちも相当鬱憤がたまっていたのであろう。レオンは広場の真ん中でもみくちゃにされ、なかなか広場をあとにすることが出来なかった。
現代日本で監査法人に勤めていた頃、レオンに向けられる視線はいつも「恐怖」か「嫌悪」だった。数字のミスを突きつけ、コストカットを迫る死神。そんな彼が、今、生まれて初めて「計算」をして感謝されていた。
喧騒を離れ、レオンは村の外れにある小さな我が家へ戻った。
扉を開けると、薬草の独特な青臭い香りと、パチパチと爆ぜる暖炉の音が彼を迎える。
当然初めて訪れる家のはずだが、どこか落ち着きを覚える。これも身体に染み付いた記憶の影響だろうか。
「お兄ちゃん!」
幼い妹のミナが駆け寄ってくる。その後ろから、母のマーラが安堵の表情で歩み寄った。
「聞いたわよ、レオン。マルクを……あの人を、捕まえてくれたんですってね。お父さんも、きっと空の上で喜んでいるわ」
さすがは片田舎の小さな村である。すでにほとんどの村人がこの出来事を知っていた。
夕食は、村人からもらったジャガイモのスープだった。その他にも手袋やお花など、数々の贈り物が届いていたという。
テーブルに置かれた母の手が目に入る。薬草の灰汁で黒く染まり、度重なる乾燥作業の熱と乾燥でひび割れている。
(……この手だ)
レオンの胸に、鋭い痛みが走った。
現代の会計学において、人件費は「いかに削減するか」を競う記号に過ぎない。だが、目の前でスープを運ぶ母のこの荒れた手は、決して記号ではない。
父を亡くしたあと、自分と妹を育てるために捧げられた「時間」そのもの。削り取られた「命」そのものが、この損益計算書には載らない「コスト」の正体だったのだ。
「レオン? どうしたの、そんなに難しい顔をして」
「……いや。母さん、今までごめん。これからは、母さんのその手が、もっと綺麗になるような仕事をしてみせるよ」
言葉では言い表せない想いが胸のうちに溢れ、次の瞬間には言葉を発していた。
「ねぇねぇ、お兄ちゃん。今日はおうちに色んな人がきて、みんなお兄ちゃんにありがとうって言ってたよ!」
何を感謝しているのかは分かっていないだろうが、妹は誇らしそう村人たちの様子を話している。
3人で食卓を囲み、啜ったジャガイモのスープはどこか懐かしい味がした。
食後、庭先で夜風に当たっていると、エリーナが父である村長を連れてやってきた。彼女の瞳は、昼間の事件の興奮が冷めやらぬように輝いている。
「レオン! お父さんと相談してたんだけどね」
エリーナはレオンの前に身を乗り出すと、弾んだ声で言った。
「あなたがあんなに凄いの、私、今日初めて知ったわ! あのマルクを数字だけでやっつけちゃうなんて、まるで魔法みたいだった。ねえ、レオン。あの魔法を使って、この村をまるごと立て直してくれない?」
「エリーナ、そんなに簡単に言うもんじゃない……」
困り顔の村長をよそに、彼女の言葉は止まらない。
「だってもったいないわ! レオンの頭脳があれば、この村はもっと豊かになれる。冬に怯えなくて済むようになる。私、レオンが村の『先生』になって、みんなに魔法を教えてくれたら最高だと思うの!」
無邪気で、けれど一点の曇りもない信頼の眼差し。
村長も、意を決したようにレオンを見つめた。
「レオン君。エリーナの言う通りだ。我々は数字に疎く、今まで奪われるがままだった。どうか……この村を救うために、君の力を貸してはくれないだろうか」
レオンは空を見上げた。異世界の夜空には、見たこともない星々が流れている。
かつて自分をすり潰した「会計」という知識。それを今度は、守るために使おう。
「……分かりました。ただし、僕のやり方は厳しいですよ」
レオンの脳内では、すでに「戦略」が動き始めていた。
まずは、明日やってくるであろう商会の幹部ガルドである。
どうやらマルクのした不正の謝罪に訪れると先ほど連絡があったという。ただ実情は、謝罪とは名ばかりの口止めである。
エリーナから聞いた話であるが、「金色の獅子商会」は、御用商人として宮殿にも出入りしている。この国でも3本の指に入る大商会らしい。たかが片田舎の小競り合いではあるが、信用に傷がつくこと、また、同様の不正が他の地域でも明るみになることを恐れているのであろう。まずはどのようにこの商会と決着をつけるか。
そして、この村に巣食う「非効率」という魔物をどう駆除するか。
「まずは、村の子供たちを借ります。僕の『計算機』になってもらうために」
レオンの不敵な笑みに、エリーナは首を傾げながらも、嬉しそうに微笑み返した。
会計士レオンによる、異世界村興しがいよいよ本格的に幕を開ける。




