第8章:灼熱のプールサイドと、理性の防波堤
夏休み。
連日の猛暑に耐えかねた遥さんの「涼しいところに行きたいわ〜!」という鶴の一声で、俺たちは市民プールへ行くことになった。
本来なら受験生の詩織さんは不参加のはずだったが、「たまには脳を休めないと効率が落ちますよ」という俺の進言と、遥さんの強引な腕引きによって、渋々ながら連れ出されることになったのだ。
家族サービス。父親としての責務だ。
だが、俺は更衣室を出た瞬間、その認識の甘さを思い知らされることになった。
「――お待たせ、聖次」
日差しの下、瑠奈が仁王立ちしていた。
大胆なホルターネックのビキニ。白磁のような肌と、布面積の少ない極彩色の水着のコントラストが眩しすぎる。
周囲の男子中高生たちが、あからさまに色めき立っているのが分かった。
「……どう? 似合う?」
「……似合いすぎだ。パーカー着ろ。あと俺のそばから離れるな」
「はぁ? 暑いし! ……ま、ナンパ除けくらいには使ってあげるけど」
瑠奈は満更でもなさそうにニシシと笑い、俺の腕に冷たい肌を寄せてきた。
柔らかい感触に俺が硬直していると、テントの日陰からもう一人がおずおずと出てきた。
「……あまり、見ないでください」
詩織さんだ。
彼女は瑠奈とは対照的な、清楚な白いワンピースタイプの水着。だが、その慎ましさが逆に身体のラインを強調していて、破壊力は瑠奈に勝るとも劣らない。
恥ずかしそうにラッシュガードの前を合わせる姿に、俺の理性の堤防がきしむ音を立てた。
「……詩織さん、すごく綺麗です」
「ッ……! お世辞は結構です。……お父さん」
最後だけ小声で「お父さん」と付け加えれば許されると思っているのだろうか。
(可愛すぎるだろ…)
「あらあら〜、みんな仲良しね〜♪」
そして真打ち登場。遥さんは、大人の色気が漂う黒のパレオ付きビキニだった。
25歳。成熟したプロポーションは、娘二人を子供扱いするほどの圧倒的な「母性」と「女」を放っている。
「聖次さ〜ん! 背中にサンオイル塗ってくれない? 手が届かなくてぇ」
「ちょ、ママ! 聖次に何頼んでんのよ!」
「ダメです母さん。教育上よくありません」
キャッキャと騒ぐ三人の美女。
プールサイドの視線が、俺一人に集中する。『あいつ何者だ?』『爆発しろ』という殺気混じりの視線。
俺は空を仰いだ。
……雨宮 聖次、17歳。
この夏、僕は父親としての威厳を守りきれるのだろうか。
***
遥さんと瑠奈が流れるプールにはしゃぎに行った後。
俺は、日陰のベンチで荷物番をしている詩織さんの隣に座った。
彼女は体育座りで膝を抱え、少し居心地が悪そうにしている。
「……泳がないんですか?」
「……人が多いのは苦手なんです。それに、その……」
彼女がチラリと周囲を見る。
プールサイドには、獲物を物色するように視線を巡らせている男たちのグループがいた。彼らのねっとりとした視線が、清楚な詩織さんに突き刺さっている。
「……視線が、怖くて」
「なるほど」
俺は立ち上がり、彼女の手を引いた。
「えっ? せ、聖次さん?」
「せっかく来たんです。水に入らないと損ですよ。……僕が壁になりますから」
俺たちは流れるプールに入った。
俺は周囲の視線を物理的に遮るように、詩織さんの背後に立つ。
「……どうですか? これなら見えないでしょう」
「……はい」
水の中の浮遊感。そして、背中合わせに感じる俺の体温。
詩織さんの強張っていた肩の力が、少しずつ抜けていくのが分かった。
「……あの、聖次さん」
「はい」
「……手、掴んでてもいいですか? はぐれると困るので」
彼女の言い訳じみた提案。
俺は何も聞かずに左手を差し出した。
「どうぞ」
水中で、彼女の細い指が俺の手をギュッと握る。
それは「迷子防止」という理由には少し強すぎる力だった。
ふと横を見ると、詩織さんの横顔が夕焼けのように赤くなっていた。
暑さのせいだけではないことは、鈍感な俺でも分かった。
(……頼りに、してくれてるのかな)
外敵から身を守るために、親鳥の翼の下に隠れる雛鳥のように。
彼女は今、俺を「安全な場所」として認識してくれている。
俺はその信頼に応えるべく、彼女の手を握り返した。
――その時。
「あ〜!! お姉ちゃんズルい! パパと手繋いでる!」
「あらあら〜、若いっていいわね〜♪」
浮き輪に乗った瑠奈と遥さんが流れてきた。
詩織さんは「ひゃっ!?」と声を上げ、バッと手を離したが、その距離感は来る前よりも確実に縮まっていた。
(続く)




