第6章:湯けむり狂想曲と、脱衣所の地雷原
橘家には、いくつかのローカルルールが存在する。
その一つが、**「入浴時、替えの下着とパジャマは脱衣所の棚にある『各自のカゴ』にセットしておくこと」**だ。
だが、今の俺にとって、そのシステムは拷問に近い試練だった。
夜の九時。
遥さんの「お風呂、沸いたわよ〜」の一言で、入浴順争奪戦が勃発した。
「アタシが一番!」
「待ちなさい瑠奈。今日は私が先よ。昨日はあなたが一番風呂だったでしょう」
姉妹の小競り合い。俺は蚊帳の外だ。
すると遥さんが、とんでもない提案を口にした。
「そんなに揉めるなら、みんなで一緒に入ればいいじゃない?」
「「……は?」」
時が止まる。しかし遥さんは止まらない。
「だって家族でしょ? そこに聖次さんが増えるだけよ。背中の流しっこ、楽しいわよ〜?」
「い、いやいやいや遥さん!?」
俺は慌てて全力のツッコミを入れた。
「さすがにそれはマズイです! 娘さんたちは多感な時期ですし、俺だって……俺だって健全な男子なんですから!」
結局、厳正なるじゃんけんの結果、入浴順は「瑠奈 → 詩織 → 遥 → 聖次」という順番で決定した。
***
一時間半後。
俺の番が回ってきた。
脱衣所の引き戸を開ける。湿った空気と共に、三種類のシャンプーやボディソープの甘い香りが入り混じって漂ってくる。
それだけで俺の心拍数は上がりっぱなしだ。
脱衣所の棚には、四段に分かれたスペースがあり、それぞれに「脱衣カゴ」が置かれている。
上から、詩織さん、遥さん、俺。
そして一番下の段が、瑠奈のカゴだ。
俺は服を脱ごうとして――ふと、視線が一番下の段に吸い寄せられた。
そこには、先ほど風呂上がりたてホヤホヤの瑠奈が入れたであろう、脱ぎたての洗濯物が山になっている。
そして、その頂上付近に、チラリと見えている黒い布地。
(……ッ!?)
俺は慌てて視線を逸らした。
いけない。見てはいけない。俺は父親だ。娘のプライバシーを覗き見るなんて言語道断だ。
俺は天井を見上げた。よし、何も見てない。
……だが。
俺の眼球は、意思とは裏腹に、マグネットのように再び最下段へと引っ張られた。
(……いや、あくまで確認だ。忘れ物がないかの確認だ)
二度見。
黒いレース。面積が少ない。え、瑠奈ってあんな大人っぽいの穿いてるのか?
(……待て待て、見間違いかもしれない)
三度見。
間違いない。サイドが紐になっているタイプだ。ギャルだからか? いや、それにしても刺激が強すぎる。
俺は釘付けになった。
ガン見である。まごうことなき直視である。
俺の「観察眼」スキルが、レースの編み目やリボンの形状まで詳細に脳内保存しようとフル稼働を始めてしまった。
その時だった。
ガラッ!!
突然、脱衣所のドアが開いた。
「わぁっ!?」
「きゃあぁぁっ!?」
入ってきたのは、パジャマ姿の瑠奈だった。
俺はとっさに一番近くにあったバスタオルで前を隠す。
「な、なんだよ瑠奈! ノックくらいしろ!」
「う、うるさいっ! 忘れ物したのよ! スマホ置き忘れたの!」
瑠奈は顔を真っ赤にして背けたまま、しゃがみ込んで自分のカゴの横からスマホを鷲掴みにした。
そして立ち上がりざま、俺を睨みつける。
その視線は、俺の顔ではなく――俺の視線がさっきまで注がれていた「カゴ」と、今の俺の「泳いだ目」を往復した。
「……ッ!! アンタまさか、見てた?」
「み、見てない! 天井しか見てない!」
「ウソつき! アンタの目、バッチリ下向いてたし! てか今、目が泳いでるし! ガン見してたでしょ!?」
「してない! ……あー、いや、その……ちらっと、確認というか……」
「……サイテー!! バカ! エッチ! ……パパのムッツリ!!」
図星を突かれた俺がしどろもどろになると、瑠奈は絶叫と共にタオルを投げつけ、走り去っていった。
後に残されたのは、半裸の俺と、投げつけられたタオルから香る甘い匂い。
そして、「パパ」と呼ばれたことへの微かな――いや、大きな喜びだけだった。
(……反省しよう。でも、眼福だった)
俺は緩みそうになる頬を叩き、冷水を浴びるために浴室へと入った。
(続く)




