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【完結】娘はクラスメイト 『〜パパになっちゃったら、好きって言えないじゃん!!〜 』  作者: NEXT


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修学旅行編 第2話:解放区のスイッチと、清水の舞台


 京都駅のホームに降り立つ。

 五月の少し湿った風が、頬を撫でていく。


「うわー! 京都着いたー!」


 美咲が両手を広げてはしゃぎ、達也が「とりあえず写真撮ろぜ!」とスマホを構える。

 新幹線の密室から解放された途端、こいつらのテンションは限界突破だ。


 俺は小さく息を吐き、隣を振り返る。

 新幹線の中で、窓ガラスに張り付くようにして縮こまっていた瑠奈の姿。

 あの息の詰まるような緊張感は、さすがに解けただろうか。


「……」


 瑠奈はホームの端に立ち、見知らぬ京都の空を見上げている。

 そして、胸いっぱいに空気を吸い込み、長く、ゆっくりと息を吐き出す。

 まるで、これまで自分を縛り付けていた見えない鎖を、一つ残らず断ち切るように。


 振り返った彼女の瞳と交差した瞬間。

 俺の背筋に、ゾクリと悪寒が走る。


(……なんだ、今の目)


 新幹線での、触れることすら怯えていた迷子の目はどこにもない。

 そこにあるのは、獲物を前にした肉食獣の、明確な光。


「……何ボーッとしてんのよ、聖次」

「え?」

「置いてくよ。ほら、早く」


 瑠奈が俺の制服の袖を、クイッと引く。

 その指先の力強さに、俺は直感する。

 こいつ、今、明確に『スイッチ』を入れたな、と。


 ここは家じゃない。目を光らせる遥さんも詩織さんもいない。

 そして教室でもない。周囲は浮かれた観光客ばかりで、達也たちの悪ふざけも「修学旅行のテンション」という最強の隠れ蓑になる。


 つまりここは、彼女にとって一切の制限がない『完全な解放区』。

 俺の胃が、キリキリと音を立てて悲鳴を上げ始めた。


 ***


 最初の目的地は清水寺。

 清水坂を登る。修学旅行の団体と外国人観光客で、坂道は芋洗い状態だ。

 両脇には土産物屋が並び、八ッ橋の試食を差し出す店員の声が飛び交っている。


「ねえ聖次、これ食べてみて」


 不意に、瑠奈が抹茶味の八ッ橋を差し出してくる。

 俺が受け取ろうと手を伸ばすと、彼女はサッと手を引き、そのまま俺の口元へ八ッ橋を押し当てた。


「ほら、口開けて」

「……は?」


 俺が間抜けな声を漏らした瞬間。

 その隙を突いて、瑠奈が直接八ッ橋を放り込んでくる。

 柔らかい生地と餡の甘さ。そして、俺の唇を掠めた彼女の指先の熱。

 新幹線でのあの「数センチの絶対領域」を、いとも容易く踏み越えてきた。


「あーっ! お前ら大衆の面前であーんとか何してくれちゃってんだよー!」


 すかさず、背後から達也の歓声が炸裂する。

 美咲もスマホを構えて「激写激写!」とはしゃぎ回る始末。


「いや! これは瑠奈が勝手に……」

「なによ。アタシからのあーんがそんなにイヤなわけ?」


 瑠奈が腰に手を当てて俺を睨む。目は笑っている。

 達也たちには「仲の良いクラスメイトの悪ふざけ」に見える絶妙なライン。だが、俺には分かる。これは完全な『確信犯』だ。


「逃げんなよ聖次ぃ! 女の子からのあーんを断るとか男として終わってるぜ!?」


 達也が俺の背中をドンと押す。

 その衝撃で俺が前によろめいた瞬間、瑠奈が俺の腕をガシッと掴む。


「……ほらね。言ったでしょ」


 周囲の喧騒に紛れ、達也たちには絶対に聞こえない低く甘い声。

 それが、俺の耳元を撫でる。


「……ここなら、誰の目があっても、堂々とくっつける」


 ゾクリ、と背筋に電流が走る。

 彼女は新幹線の中で迷っていたわけじゃない。この『ゼロ距離の猛攻』を仕掛けるための最適なタイミングを、息を潜めて窺っていただけなのだ。


「はい、もう一個。あーん♪」


 俺の言葉を遮るように、瑠奈が満面の笑みで次の八ッ橋を押し込んでくる。

 俺は娘の容赦のない猛攻に、ただ冷や汗を流しながら咀嚼するしかなかった。


 ***


 清水寺の境内。本堂を抜け、有名な「清水の舞台」に出る。

 眼下に広がる京都の街並み。新緑の木々が風に揺れている。


「うおー! すっげー! ここから飛び降りるってマジ!?」


 達也が柵から身を乗り出す。


「飛び降りんな。死ぬぞ」

「知ってるか聖次。昔はここから飛び降りて生きてたら願いが叶うって言われてたんだぜ?」


 達也がニヤリと笑う。嫌な予感がする。こいつのこの顔は「仕掛ける顔」だ。


「───なぁ聖次ぃ。ここで告白すると成就するって知ってるかぁ? 清水の舞台から飛び降りるつもりで告白、ってな!」


 達也が俺と瑠奈を交互に見る。美咲が「きゃー!」と黄色い声を上げて煽る。


「やっちゃいなよ聖次! ここで瑠奈に想いをぶつけなよ!」

「……お前がここから飛び降りろ」


 俺は達也の肩を掴んで柵の方に向ける。達也は笑いながら逃げていく。

 ふと隣を見ると、瑠奈は舞台の欄干に両手をかけて、遥か遠くの景色を眺めていた。


 風が彼女の金髪を揺らす。

 達也たちが写真を撮りに離れた隙に、瑠奈がポツリと呟く。


「……飛び降りなくても、絶対落としてみせるし」


「───は?」

「なんでもない。行こ」


 瑠奈は俺の腕に自分の腕を絡め、さっさと歩き出す。

 振り払うことなど許されない。その腕のホールド力は、新幹線でのあの躊躇いが嘘のような、彼女の執念そのものだ。


 ***


 清水寺を下り、音羽の滝へ。

 三本の滝がある。それぞれ「学業成就」「恋愛成就」「延命長寿」のご利益があるとされている。


「はい、ここ重要ー!」


 達也がガイド気取りでスマホの画面を見せる。


「左が学業、真ん中が恋愛、右が長寿。さあ聖次、どれを飲む?」

「……長寿で」

「渋すぎだろ高校生!」


 俺は黙って右の滝の水を柄杓で受ける。

(……長生きしないと、あいつらの猛攻で過労死しそうだからな……)

 半分、本気だ。


 続いて瑠奈が柄杓を手に取る。

 美咲が「恋愛でしょ!」と後ろから押す。

 瑠奈は美咲の手を払い、静かに───左の滝に柄杓を差し出した。


「……学業」

「えー!? そこ!?」

「うるさい。アタシだって、色々考えてんのよ」


 瑠奈はゴクリと水を飲み、柄杓を置く。

 俺は、その横顔をじっと見つめる。

 さっきまでの肉食獣のような瞳ではなく、どこか切羽詰まったような、真剣な色。


(……こいつ……)


 進路調査票を前に「やりたいことなんてない」と頭を悩ませていたこいつが、本気で自分の未来を掴み取ろうとしている。

 俺は、ほんの少しだけ大人になろうとしている娘の背中を、複雑な思いで見つめていた。


 ***


 夜。旅館。

 風呂を済ませ、男子部屋で布団を敷いた後。達也が枕を抱えて俺の隣に転がってくる。


「なぁ聖次。お前、瑠奈ちゃんのことどう思ってんの」

「……ぶっ」


 寝る直前の不意打ちに、俺はむせる。


「いや、マジな話。俺はずっとお前らのこと見てきたけどさ。お前ら、絶対ただのクラスメイトじゃねぇだろ。なんで告らないの?」


 達也の目は真剣だ。友人として、俺の背中を押そうとしてくれているのだ。

 だが、言えるわけがない。「俺はあいつの義父になる予定だ」なんて。


「……単純な話じゃないんだ。今は絶対に言えない理由がある」

「ふーん……まあ、お前がそう言うなら信じるけどさ。あんまり焦らすと、他のやつに持ってかれるぜ?」

「……ああ」


 達也がゴロンと寝返りを打ち、すぐに寝息を立て始める。


「え? 達……寝た……?」


 気絶かと思うほどの早い達也の寝落ちをクスリと笑いながら、俺は布団の中で天井を見つめる。


 ───スマホが光った。瑠奈からのLINE。


『起きてる? 自販機。五分後』


 有無を言わさない呼び出し。

 俺は達也の寝息を確認し、音を立てないように布団を抜け出す。


 廊下に出る。

 自販機コーナーの蛍光灯の下に、浴衣の上にパーカーを羽織った瑠奈が立っている。相変わらず着方が完全にギャルだ。


「……遅い」

「五分って言っただろ」

「三分で来なさいよ」

「無茶言うな」


 瑠奈がボタンを押し、俺にミルクティーの缶を投げてくる。

 二人で缶を開け、並んで壁にもたれる。


「……なんか、変な感じ」

「何が」

「学校でもない、家でもない場所で、こうやって普通に喋ってんの」


 瑠奈が缶を両手で包み込む。


「家だとママたちがいるし。学校だと達也たちがうるさいし。……今、やっと二人きり」


 瑠奈が一歩、俺の方へ距離を詰める。

 甘いシャンプーの匂いが、夜の廊下に漂う。

 昼間の強引な『猛攻』とは違う。今のこいつは、純粋にこの二人きりの時間を噛み締めているように見えた。


「……こういう時間、もっと……」


 瑠奈の声が、消え入りそうに小さくなる。

 俺が何か言おうとした、その時───。


「……へぇ。こんな時間に二人で何してんの?」


 背後から声がした。心臓が跳ね上がる。

 振り返ると、パジャマ姿の美咲が、スマホを片手に目を輝かせて立っている。


「み、美咲!? なんで……」

「トイレ行こうとしたら、深夜の密会じゃ〜ん。はい、証拠写真〜」

「撮るな!」


 瑠奈が顔を真っ赤にして美咲のスマホを叩き落とそうとする。


「冗談冗談。……でも、明日お土産一個おごってくれたら黙っててあげる♪」


 美咲はウインクして去っていく。

 残された俺と瑠奈は気まずい沈黙の中、ぬるくなったミルクティーを飲み干す。


「……帰るか」

「……うん」


 自販機コーナーから少し離れた、薄暗い非常階段の踊り場。

 ここなら誰にも見つからない。ここでそれぞれの部屋へと別れる。


「……聖次」

「ん」

「……明日も、きっと楽しい日になるんだろーなー」


 そう言いながら、瑠奈はこちらをチラッと見やる。

 その瞳には、肉食獣の鋭さではなく、同級生の男の子をからかうような、小悪魔の光が宿っている。


「……お手柔らかに頼むよ」


 瑠奈が小さく笑って、非常階段のドアの向こうへと消えていく。

 部屋に戻り、布団に潜り込む。


 一日目が終わった。

 こいつは「修学旅行」という、公認でゼロ距離に踏み込める免罪符を手に入れてしまった。


 ───残り二夜。俺の胃壁と理性の防波堤は、もつだろうか。


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