修学旅行編 第1話:班決めという名の包囲網
五月。
三年生の特大イベント、修学旅行の班決めが始まった。
行き先は京都・奈良・大阪。三泊四日。
クラス中がざわめく中、俺───雨宮 聖次の頭の中では、すでに「危機管理マップ」が展開されていた。
(問題は班の構成だ。瑠奈と同じ班になったら、三泊四日を「他人」のフリで乗り切らなきゃいけない。逆に別の班になったら、目の届かない場所であいつに虫がつくかもしれない───)
「はーい、じゃあ班決めるぞー。今回は自由編成、四人一組な。はい、組みたい人同士で───」
担任が言い終わる前に、背後から腕が回された。
「はい決定ー! 俺と聖次と瑠奈ちゃんと美咲で四人な!」
達也だった。
振り返ると、ニチャアと粘っこい笑みが至近距離にあった。
「……お前、早すぎだろ」
「何言ってんだよ。最後の修学旅行だぜ? メンバーは最初から決まってんだろぉ?」
達也が俺の肩をバンバン叩く。
美咲はすでに瑠奈の腕を取り、「やったー! 同じ班ー!」とはしゃいでいる。
瑠奈は「あー、はいはい」と適当に流し、涼しい顔でスマホをいじっていた。
だが、画面をスクロールする彼女の親指は微かに震え、縁を握る指先はうっすらと白くなっている。
俺は小さく息を吐き、密かに保護者としての安堵を覚えた。
「……まぁ、俺としても助かる。同じ班なら、お前らみたいな問題児から目を離さずに済むからな」
「出たよ、聖次のオカン気質! 引率の先生かよ!」
「うるさい。特に瑠奈、お前はフラフラどっか行きそうだからな。迷子になられても面倒だし、きっちり付いてこいよ」
遥さんや詩織さんの目がない非日常だ。俺がしっかりこいつを見張って、守らなければ。
そんな純粋な保護者としての使命感から口にした言葉だったが、スマホを見つめていた瑠奈の肩がビクッと跳ねた。
彼女はゆっくりと顔を上げ、俺を見る。
その瞳の奥で、何かがバチッと音を立てて火花を散らした気がした。
「……は? なんでアンタに『引率』されなきゃなんないのよ。子ども扱いすんな。キモ」
「キモいとはなんだ。世話焼かせんなよ」
「ハイハイ、分かったから。せいぜい後ろからついてきなさいよ」
瑠奈はニシシと小悪魔のように笑い、美咲の方へと向き直った。
完璧な「生意気なクラスメイト」の仮面。
だが、振り返りざまに音もなく動いた彼女の唇は、確かに「……バカパパ」と紡いでいた。
(なんだかんだ言って、素直じゃないやつだ)
三年の始業式。
あの日、瑠奈は俺の耳元で囁いた。
───覚悟しててね? パパ。
あの目と、今の笑みが重なる。
まさか、この班分け自体が───
「……くっくっく。三泊四日、俺の監視下で逃げ場なしだからなぁ、聖次ぃ? 修学旅行の夜ってのはなぁ……恋バナで真実が暴かれる地獄の時間なんだよぉ……」
達也の囁きで思考が断ち切られた。
考えすぎか。達也の暴走に巻き込まれただけだろう。
───多分。
***
その夜。橘家のリビング。
修学旅行のしおりを広げていると、遥さんがニコニコしながらやってきた。
「聖次さん、修学旅行楽しみね〜! はい、これお守り! 私が作ったの♪」
手渡されたのは、花柄のちりめん布で包まれた小さなお守り袋だった。
手縫いの、少し不格好な形。
でも丁寧に縫い込まれた一針一針に、遥さんの想いが滲んでいる。
「……ありがとうございます。大事にします」
「開けちゃダメよ? お守りは中を見ると効果なくなるから♪」
遥さんはそう言って、人差し指を唇に当てた。
(……中身が気になるが、遥さんの笑顔に免じて開けないでおこう)
だが、この判断が後日の大惨事を招くことになるとは、この時の俺は知るよしもなかった。
***
続いて、スマホが鳴った。
画面には【黒澤 詩織】の名前。
彼女は今、二階の自室で大学のレポートに追われているはずだ。
『口頭だけじゃ忘れそうですからね。文面として確認できるようにしておきました。修学旅行の注意事項です。必ず確認してください。
1. 瑠奈から目を離さないこと
2. 瑠奈に近づく男子の顔と名前を記録すること
3. 写真は1日最低30枚。衣装全身・風景・食事を含むこと
4. ブレた写真は不可。撮り直すこと
5. 夜の外出は絶対禁止
6. 何かあれば即座に報告すること
以上。
追記:お土産は抹茶系でお願いします』
最後だけ急に私情が混じっている。
俺がスタンプで返すと、すぐに追加のメッセージが来た。
『スタンプで済まさないでください。「了解しました」と文字で返信を』
……怖い。
「了解しました」
『よろしい。……お願いしましたよ。お父さん』
最後の一行だけ、明らかにフォントサイズが小さくなっている気がした。
***
翌朝。新幹線のホーム。
集合場所に着くと、達也と美咲がすでにテンション最高潮で待っていた。
「おっせーぞ聖次ぃ! 旅は始まりが肝心だろうが!」
「集合時間ちょうどだろ」
瑠奈はイヤホンを片耳に引っかけ、スマホをいじりながら俺の隣に並んだ。
いつもより少し荷物が多い。ボストンバッグの持ち手を握る指が、重さで赤くなっている。
「……おはよ」
「おう。荷物貸せ」
俺は有無を言わさず、瑠奈のバッグを奪い取った。
「ちょ、何すんのよ」
「重いだろ。網棚に乗せるまで持っててやる」
「平気だし……ッ」
反抗しようとする瑠奈の耳元で、俺は周囲に聞こえない声で囁いた。
「(……いいから。娘の荷物くらい持たせろ)」
息をするように、ごく自然に放ったその言葉。
その瞬間、瑠奈の動きがピタリと止まった。
彼女は下唇をギュッと噛み締め、持っていき場のない視線を足元へと落とす。
バッグを奪われた手が空中で迷子になり、やがて、パーカーの裾を乱暴に掴んだ。
「……うっさい。バカ」
顔を上げた時には、いつものふてぶてしいギャルの顔。
だが、耳の裏側まで真っ赤に染まっているのは、五月の朝の冷え込みのせいではないだろう。
新幹線に乗り込む。
座席は二列の指定席を向かい合わせにした、四人用のボックスシート状態。
当然のように達也が配置を仕切り、「進行方向側に聖次&瑠奈! 向かい側に俺と美咲な!」という布陣が敷かれた。
「なんで俺が瑠奈と並びなんだよ。男女で分けた方が」
「バカ野郎、こういうのはフィーリングだ! 細かいこと気にすんな!」
「意味がわからん」
俺がため息をついて通路側に座ると、奥の窓際席に瑠奈が腰を下ろした。
狭い座席。俺の右腕と、瑠奈の左腕が、触れるか触れないかの距離にある。
少しでも姿勢を崩せば、お互いの体温が布越しに伝わってきそうな、危険な領域。
俺は「家族」として、変に意識しないよう努めて前を向いた。
新幹線が動き出す。
車窓を流れるビル群を眺めながら、俺はポケットの中のお守りに触れた。
遥さんの手縫いのお守り。詩織さんの指令書。
家で待つ二人の気配を、布越しに感じる。
ふと隣を見ると、瑠奈がイヤホンを外し、窓に頬杖をついて目を閉じていた。
だが、その体は不自然なほど窓側に張り付いている。
俺に少しでも触れないように、必死に距離を取っているかのように。
(……三泊四日か)
学校では「他人」。家では「家族」。
この旅行中、俺たちはどっちの顔で過ごすんだろう。
どちらでもない距離が、新幹線の速度と共に近づいてくる気がした。
「──なぁなぁ聖次ぃ、しりとりしようぜしりとり! 京都にちなんだやつ!」
「……まだ出発して五分だぞ達也」
「細けぇことは気にすんな! はい、『きょうと』の『と』から!」
「……豆腐。京都だから」
「腑に落ちねぇ! もっとこう、ロマンチックなやつ出せよ!」
賑やかな新幹線の車内。
俺たちは向かいの席の達也たちと他愛のない文句を言い合いながら、西へと向かっていく。
ふと隣を見ると、目を閉じているはずの瑠奈の肩が微かに揺れていた。
どうやら寝たふりをして、俺と達也のアホなやり取りを笑っているらしい。
───だが、俺は気づいていなかった。
窓ガラスを鏡代わりにして、彼女がずっと、真横に座る俺の顔を盗み見ていたことに。
絶対に言葉にはできない。
触れたいのに触れられない、この数センチの絶対領域。
それを「家族」という免罪符で無神経に踏み荒らしてくる俺に、彼女がどれほど呼吸を乱し、軋むような痛みを飲み込んでいたかを。
こうして、俺の胃袋の耐久値を試す、長くて騒がしい修学旅行が幕を開けた。




