最終章:卒業式 ―― 甘くて冷たい契約
3月。
雲ひとつない青空の下、校庭の桜の蕾も膨らみ始めていた。
今日は、俺たちの高校の卒業式だ。
「……卒業生、退場」
拍手の中、俺たちは体育館を後にした。
教室に戻り、最後のホームルームが終わる。
「おい聖次ぃ! 一生ダチだからな! 結婚式呼べよ!」
「美咲も呼んでよね〜! てか、瑠奈と写真撮りたいんだけど!」
達也と美咲が騒いでいるが、瑠奈の姿が見当たらない。
ふと、俺のスマホが震えた。
瑠奈からのLINEだ。
『 屋上に来て。 一人で 』
俺は達也たちを適当にかわし、人がいなくなった階段を駆け上がった。
***
屋上のドアを開けると、春の風が吹き抜けた。
フェンス越しに海が見える、いつもの場所。
そこに、卒業証書の筒を抱えた瑠奈が立っていた。
風に靡くブレザー姿を見るのも、これで最後だ。
「……遅いよ、聖次」
「悪かったな。……みんな探してたぞ」
「……知ってる。でも、最後にアンタと二人になりたかったから」
瑠奈は俺に近づいてきた。
その表情は、どこか切なげで、でも強い意志を宿していた。
「……ねえ、聖次」
「ん?」
「……第二ボタン、ちょーだい」
彼女は右手を差し出した。
ベタな展開だ。だが、俺は苦笑いしながらブレザーの第二ボタンを引きちぎった。
「……ほらよ。やるよ」
「……ふふ。ありがと」
瑠奈はボタンを受け取ると、それを愛おしそうに両手で包み込んだ。
そして、スッと俺の懐に入り込んできた。
「……ねえ。合格のご褒美、まだ半分しか貰ってないって言ったら……どうする?」
ドキリとした。
彼女の顔が近い。
文化祭の時と同じ距離。だが、今の彼女は「演技」ではない。
「……瑠奈。俺は」
「……動かないで」
彼女は俺のネクタイをグイッと引っ張った。
俺の体勢が崩れ、顔が下がる。
逃げようとする俺の退路を断つように、彼女は俺の頬を両手で挟み込んだ。
「……文化祭の時、言ったよね。『本番は、合格してから』って」
「っ、おい待て! それは……!」
「……約束は、守らなきゃダメでしょ?」
彼女の瞳が、いたずらっぽく、そして熱く輝いた。
「……さよなら、アタシの初恋」
次の瞬間。
彼女はつま先立ちになり、俺の唇を塞いだ。
――チュッ。
指越しではない。
柔らかく、温かい、本物の感触。
それは、あの日雨宿りしたコンビニで食べた、チョコミントのアイスのような――甘くて、少しだけ冷たくて、切ない味がした。
一瞬の出来事だったが、時が止まったように長く感じた。
彼女はすぐに離れ、呆然とする俺を見て「ニシシ」と悪戯っ子のように笑った。
「……奪ってやった。ざまーみろ」
「お、お前……!」
「……お別れのキス。そして、これからは『パパ』としてよろしくねっていう、契約の印」
彼女は顔を真っ赤にしながらも、晴れ晴れとした顔で言った。
「……これで満足した。もう思い残すことはない」
俺は唇に指を当てた。
そこには、彼女の体温と、柔らかい感触が確かに残っていた。
これは、彼女が生涯で一度だけ見せた、精一杯の愛の証なのだから。
「……一生、忘れないでよね。アタシの唇の味」
「……とんでもない娘だ、お前は」
俺たちは春風の中で、初めて「父と娘」として、そして「元クラスメイト」として笑い合った。
***
その日の午後。
俺たちは、家族全員で市役所の窓口にいた。
婚姻届、そして入籍の手続きだ。
「……はい、受理されました。おめでとうございます」
係員の言葉と共に、遥さんは「雨宮 遥」になった。
聖次と遥さんが顔を見合わせて笑い合う。
遥さんが、潤んだ瞳で俺を見上げる。
「……聖次さん」
「……はい」
「……私、雨宮 遥になれた?」
「はい。……今日から僕たちは、本当の夫婦です」
俺たちは人目もはばからず、ロビーの片隅で静かに抱き合った。
未亡人という過去も、年の差も、世間の目も、もう関係ない。
ただの家族だ。
そして、傍らで見ていた詩織さんと瑠奈も、手続き(氏の変更届)を終えて戻ってきた。
手には、新しい住民票の写しがある。
「……私たちも、無事に『雨宮』になりました」
「……なんか変な感じ。名字変わるとか」
照れくさそうに笑う二人を見て、俺の胸がいっぱいになる。
もちろん、年齢的にも法律的にも俺が彼女たちの「親権」を持つわけじゃないし、養子縁組をしたわけでもない。
けれど、卒業式の今日から、俺たちは同じ「雨宮」の名を持つ、一つの家族だ。
「よろしく頼むよ。……詩織、瑠奈」
「はい。……よろしくお願いします、お父さん」
「よろ、パパ」
こうして、俺たちの新しい生活が始まった。
***
数日後。
瑠奈の出発の日。
東京行きの新幹線のホームには、見送りのために達也、美咲、そして神崎が集まっていた。
「瑠奈ちゃ〜ん! 元気でね〜! 東京行っても俺たちのこと忘れんなよぉ〜!」
「向こうでイケメン彼氏できたら紹介してよね!」
「ううっ……詩織さんの妹君が旅立つとは……これもまた青春の1ページか……!」
神崎は相変わらずハンカチを噛んで号泣している。
そこへ、俺と遥さん、詩織さんが合流した。
「みんな、見送りありがとな」
「おっ、聖次! ……って、おい!」
達也が俺たちの腕――ガッチリと恋人繋ぎされた手元を見て、目を丸くした。
俺はニヤリと笑い、爆弾を投下することにした。
「ああ、紹介が遅れたな。……この人が、俺の妻になった遥さんだ。俺たち、入籍したんだ」
「「「はぁぁぁぁぁッ!!??」」」
駅のホームに三人の絶叫が響き渡った。
「にゅ、入籍ぃ!? お前、マジで結婚したのかよ!? てかその人……」
達也が目を見開き、遥さんを凝視する。
そして、何かに気づいたように指差した。
「ま、待て! 俺、この人を見たことあるぞ! 去年の文化祭! あと一昨年の体育祭にもいた……噂の『謎の超絶美女』じゃねーか!!」
美咲もハッとして口元を押さえる。
「あ! そういえば! 私たちが話しかけようとしたら、いつも聖次か瑠奈、それに詩織先輩が邪魔してきて……結局誰か分からなかったあの人!?」
「そーだ! 一昨年の文化祭で詩織先輩が倒れた時も、近くにいた美人だ! ……ってことは聖次、お前……」
達也の顔が引きつる。
ようやく彼の中で、二年越しの謎が解けようとしていた。
「お前ら、あの時からずっと……この人を隠してたのか!?」
「……悪いな。俺が選んだのは、最初から遥さん一人だ。だから必死に隠してたんだよ。お前らに見つかったら面倒だからな」
俺があっけらかんと言うと、達也と美咲は「ぐぬぬ」と呻いた。
だが、すぐに達也が吠える。
「だ、だからってよ! じゃあ瑠奈ちゃんはどうなるんだよ! お前ら両想いじゃなかったのかよ!? 失恋して一人で東京に行くのか!? 可哀想すぎるだろ!」
そこへ、瑠奈がトランクを引きながら近づいてきた。
「はいはい、うるさいわよアンタたち。……聖次はママを選んだの。アタシは潔く身を引いたってわけ」
瑠奈があっけらかんと言うと、達也がさらに混乱して首を傾げた。
「え、ちょ、待てよ。……ママ?」
達也の視線が、瑠奈と、俺の隣にいる遥さんを行き来する。
「え、瑠奈ちゃんの……ママ? ……ってことは、聖次が瑠奈ちゃんのママと結婚したってことは……」
瑠奈はニヤリと笑い、俺の背中をバンと叩いた。
「そ。……だからコイツは、2年生の途中からアタシの『パパ』になろうと頑張ってたわけ」
「「「…………はい?」」」
三人の動きが止まった。
時が止まった。
思考回路がショートする音が聞こえた気がした。
「2年の……途中から……パパ?」
「ダディ……?」
「お父さん……?」
達也が震える指で俺と瑠奈を交互に指差す。
「お、おい待て聖次。じゃあ俺らが文化祭で『お似合いだぞー』とか冷やかしてた時も……お前は瑠奈ちゃんの……パパだったのか? ……え? ダーリンじゃなくて? ダディ?」
「ああ。卒業式の日から、戸籍上の名字も一緒だ」
「……親……子……?」
達也と美咲が白目を剥いて固まった。
「聖次×瑠奈」という推しカプが、「父×娘」という禁断のジャンルに進化したことに脳が追いついていない。
自分たちが全力で応援していた「純愛」は、実は「親子愛(予定)」だったのだ。
そして、最も深刻なダメージを受けたのは神崎だった。
「……ま、待て。雨宮が瑠奈さんの父ということは……論理的に考えて……」
神崎がガギギギ、と錆びついたロボットのように詩織さんの方を向く。
詩織さんは、優雅な笑みで俺の横に立った。
「はい。聖次さんは、私の新しい『お父さん』になりました。……ね、お父さん?」
「はい♪」
俺が満面の笑みで肯定の意を返すと――。
その瞬間。
神崎が天を仰ぎ、膝から崩れ落ちた。
「お……お、お義父さぁぁぁぁぁんッ!!!」
神崎の絶叫がこだまする。
彼はそのまま俺の足元にすがりつき、高速で土下座を始めた。
「し、知らなかったとはいえ数々の無礼を……ッ! どうか、どうか詩織さんとの交際をお許しくださいお義父様ァァァ!!」
「誰が義父だ! あと交際してねぇよ! 一生許さん!」
カオスだ。周囲の乗客がドン引きしている。
このままでは感動の別れが台無しになる――そう思った時だった。
「……神崎さん。うるさいです」
詩織さんの冷徹な声(絶対零度)が響いた。
「瑠奈の門出です。これ以上騒ぐなら、今後一切の接触を断ち、LINEもブロックします」
「…………ッ!!」
神崎は瞬時に口をチャックし、直立不動の姿勢をとった。
「……達也、美咲。アンタたちも」
「は、はいッ!」
瑠奈が呆れつつも笑って告げると、三馬鹿はようやく静かになった。
その時。
発車を告げるメロディが流れ始めた。
「……行かなきゃ」
瑠奈がトランクの持ち手を握り直す。
ふざけ合う時間は終わりだ。
彼女は一人ずつとハグを交わし、最後に俺の前に立った。
「……聖次」
彼女は何かを言いかけて、やめた。
言葉はもう、全部伝えたから。
その代わり、彼女は真っ直ぐに俺の目を見つめ、ニカッと笑った。
「……ダサいおっさんになったら承知しないからね! アタシが自慢できる、カッコいい男でいなさいよ? ……じゃあね!」
彼女は背を向け、新幹線に乗り込んだ。
プシュー、と無機質な音を立ててドアが閉まる。
ガラス越し。
まだ車体は動いていない。
その静寂の一瞬に、瑠奈が窓枠に手を当て、俺たちに向かって叫ぶように口を開いた。
分厚いガラスに阻まれ、声は聞こえない。
けれど、その唇の動きで、はっきりと分かった。
『 大 好 き 』
そして、ガタン、と車体が動き出した瞬間――彼女は俺の目を見て、悪戯っぽく笑い、こう付け加えた。
『 パ パ 』
新幹線が速度を上げ、彼女の姿が小さくなっていく。
俺は、彼女が見えなくなるまで、大きく手を振り返した。
「……ああ。約束するよ」
遠ざかる背中。
『パパ』になってしまったら、もう好きとは言えない。
けれど彼女は最後に、最高の笑顔で『パパ』と呼んでくれた。
それは、彼女なりの初恋への決着であり、俺への最高の愛の言葉だった。
あの日、雨の中で震えていた少女はもういない。
そこには、自分の足で未来へと歩き出す、一人の大人の女性がいた。
娘はクラスメイトだった。
そして今は――俺を振り回し続ける、かけがえのない「家族」だ。
雨宮家の物語は、ここからまた新しく始まっていくのだ。
――それでも。
娘がクラスメイトだった時間を、
俺は一生忘れない。
(本編 完)
【読者の皆様へ:まだ終わりではありません!】
本編はこれにて完結――
……と思った方へ。
明日(2/4)、物語の“真の結末”となる
「特別編(追憶3話)」+「エピローグ」を【計4話】一挙公開します。
二人の娘と、母の愛。
それぞれの「過去」と「想い」が繋がる“ラスト”まで、
どうか見届けてください。
▼明日の更新スケジュール(完結フェスティバル)
18:00 特別編①【追憶】(瑠奈)
19:00 特別編②【追憶】(詩織)
20:00 特別編③【追憶】(遥)
21:00 エピローグ(真の結末)




