第56章:最初で最後のデート、そして「パパ」への魔法
その週末。
俺と瑠奈は、電車に揺られて少し離れた街の大型ショッピングモールに来ていた。
瑠奈の合格祝い、そして俺の「改造計画」を実行するためのデートだ。
「……すごい人だな。土曜日だからか」
「何キョロキョロしてんのよ。田舎者丸出し」
隣を歩く瑠奈は、今日は気合が入っていた。
肩の出たオフショルニットに、タイトなミニスカート。足元は厚底のブーツ。
すれ違う男たちが振り返るほどの、堂々たる「イイ女」オーラを放っている。
対する俺は、着古したパーカーにジーンズ。並んで歩くのが申し訳なくなる格差だ。
「……で、ご褒美って何が欲しいんだ? ブランドのバッグか? 財布なら覚悟してきたぞ」
「チッチッチッ。分かってないなぁ、パパは」
瑠奈は人差し指を振り、ニヤリと笑った。
「今日のご褒美は、『アタシの着せ替え人形になる権利』です」
「……はい?」
「これからママと結婚するんでしょ? いつまでもそのヨレヨレのパーカーじゃ、隣を歩くママが可哀想。……だから、アタシがアンタを『イイ男』に改造してあげる」
彼女は俺の手をグイと引き、メンズファッションのフロアへと歩き出した。
***
「ほら、背筋伸ばす! アンタ素材は悪くないんだから!」
「へいへい……」
そこからは、瑠奈の独壇場だった。
彼女は次々とショップを巡り、俺に服を当てがっては、首を振ったり頷いたりを繰り返す。
「色はネイビーかグレーね。聖次は顔が薄いから、あまり柄物は似合わない。シンプルでシルエットが良いやつ」
「詳しいな……」
「当たり前でしょ。未来の服飾学生ナメないで」
彼女は真剣な目で、ラックにかかったジャケットを選別していく。
その横顔は、いつもの生意気な娘ではなく、夢を追うクリエイターの顔つきだった。
「……これ。試着してきて」
渡されたのは、細身のセットアップと、上品なニット。
試着室に放り込まれ、言われるがままに着替える。
カーテンを開けると、腕を組んで待っていた瑠奈が、じっと俺を見つめた。
「…………」
「ど、どうだ? やっぱ似合わなくないか?」
俺が襟元を気にすると、瑠奈はふわりと近づいてきた。
甘い香水の匂いが鼻をくすぐる。
「……うん。悪くない」
彼女は俺の襟を直し、裾のシワを丁寧に伸ばした。
至近距離にある彼女の瞳が、俺を真っ直ぐに見上げる。
「……やっぱり。磨けば光る原石だったじゃん」
「そ、そうか?」
「うん。……ちょっと悔しいくらいにね」
彼女はボソリと呟くと、すぐに店員の方を向いた。
「これにします。あと、この靴も」
会計を済ませている間、若い女性店員が話しかけてきた。
「彼女さん、センス良いですね〜! 彼氏さんの雰囲気ピッタリです! お二人は大学生ですか?」
彼氏。
その言葉に、俺が訂正しようと口を開きかけた時――。
「……ふふ。ありがとーございますぅ〜! もうすぐ遠距離になっちゃうんで、今のうちにカッコよくしとかないと心配でぇ〜!」
瑠奈が俺の腕にギュッと抱きつき、満面のギャルスマイルで答えた。
店員さんは「キャー! ラブラブですねぇ!」と盛り上がっている。
店を出た後、俺は瑠奈に尋ねた。
「……いいのか? 彼氏なんて嘘ついて」
「……いいの」
「え?」
「今日だけ。……今日だけは、親子じゃなくて『男女』ってことで。……それくらい、役得でしょ?」
瑠奈は少し早足で歩き出した。
その耳が赤くなっているのを、俺は見逃さなかった。
***
買い物の後は、美容院だ。
瑠奈が予約していた店で、ボサボサだった髪をカットし、セットしてもらう。
鏡の中に映った自分は、まるで別人のようだった。
「……すげぇ。誰だこれ」
「ふふん。アタシにかかればこんなもんよ」
隣に立った瑠奈が、鏡越しに俺と並ぶ。
お洒落なジャケットを着た男と、華やかな美女。
鏡の中の二人は、どこからどう見てもお似合いのカップルに見えた。
「……ねえ、聖次」
「ん?」
「……これなら。ママの隣に立っても、恥ずかしくないね」
彼女の声は明るかったが、鏡の中の彼女の目は、少し潤んでいるように見えた。
「……アタシが東京に行ってる間、ママとお姉ちゃんのこと、頼んだよ」
「ああ。任せとけ」
「……浮気したら、東京からすっ飛んで帰ってきて刺すから」
「怖いよ! しないよ!」
軽口を叩き合いながら、俺たちはモールを後にした。
帰り道、夕日が二人の影を長く伸ばしていた。
「……最初で最後だよ」
「え?」
「アタシがアンタの服を選ぶのも。……こうやってデートするのも」
彼女は立ち止まり、俺を見上げた。
夕日に照らされたその笑顔は、今まで見たどんな彼女よりも美しく、そして切なかった。
「だって、アタシは東京に行くし。アンタは『パパ』になるんだから」
その言葉には、自分自身への決別が含まれていた。
彼女は俺の腕を取り、エスコートするように歩き出した。
「さあ行こう! カッコよくなったパパを、ママとお姉ちゃんに見せびらかしに!」
俺の隣を歩く彼女の背筋は、ピンと伸びていた。
それは、失恋を乗り越え、自分の足で未来へ歩き出そうとする、一人の自立した女性の歩き方だった。
***
帰宅後。
リビングのドアを開けた瞬間、出迎えた遥さんが目を丸くして固まった。
「……た、ただいま。……どうかな、遥さん?」
俺が慣れないジャケット姿で照れくさそうに髪を掻くと、遥さんの顔がみるみるうちに真っ赤に染まった。
「…………」
「あの、遥さん?」
「……かっこいいぃぃぃぃッ!!」
ドスッ!!
効果音がしそうな勢いで、遥さんが俺の胸に飛び込んできた。
「嘘! 何これ! アイドル!? 俳優!? いいえ私の旦那様よ!! もう惚れ直したわ! 大好き!!」
「ぐ、苦しいです遥さん……! 瑠奈と詩織さんが見てますから!」
俺が赤面して悲鳴を上げると、遥さんは「見せつけてやるのよ!」とさらに強く抱きついてきた。
奥では、詩織さんも眼鏡をズレさせながら「……お父さん、馬子にも衣装とは言いますが……悔しいですが素敵です」と顔を赤らめている。
そんな家族の騒ぎを、瑠奈は少し離れた場所から眺めていた。
彼女は満足そうに一つ頷くと、誰にも聞こえない声で呟いた。
「……ほらね。やっぱりママには敵わないや」
彼女は寂しそうに、けれど清々しく笑った。
俺はこの日買ったジャケットを、一生大切に着ようと思った。
それが、娘からの最初のプレゼントであり、彼女が俺にかけてくれた「最後の魔法」なのだから。
(続く)




