第4章:生徒会長の孤独と、真夜中のココア
学校における黒澤 詩織という存在は、「完璧」と同義語だった。
才色兼備の生徒会長。成績トップ。
当然、そんな雲の上の存在と、下級生の俺との接点など普通はあるはずがない。
……表向きは。
「――おい、雨宮」
放課後、担任に頼まれて書類を生徒会室へ届けることになった。
コン、コン、コン。
俺は礼儀正しく、三回ノックをした。
「どうぞ」
凛とした声。俺は扉を開けた。
夕日が差し込む部屋の中、長机に座ってパソコンの画面と格闘している詩織さんがいた。
普段は見かけない、縁の細い眼鏡をかけている。パソコン作業用の、ブルーライトカット眼鏡だ。
そのレンズ越しに見える彼女の瞳は、いつもより知的で、そして冷たく見えた。
「失礼します。担任から書類を……」
「そこの机に置いておいてください。ご苦労様です」
彼女は顔も上げずに淡々と指示を出す。
完全に「赤の他人」への対応だ。
俺は言われた通りに封筒を置き、すぐに退出しようとした。
だが、俺の足はそこで止まった。
「……あの、詩織先輩」
「何ですか? 私語は慎むようにと――」
顔を上げた彼女が、眼鏡の奥から鋭い視線を向けてくる。
しかし、俺が見ていたのは彼女の目ではない。キーボードの上に置かれた、その「指先」だ。
「……震えてますよ」
「え?」
詩織さんが自分の手元を見る。微かだが、指先が震えている。
俺には分かる。これは、遥さんが「限界ギリギリまで無理をしている時」と同じサインだ。
「少し、休みましたか?」
「……あなたには関係ありません。早く出て行って」
彼女は冷ややかに俺を見据えた。
「私がしっかりしなきゃいけないんです。母さんはあの通り抜けているし、瑠奈は自由奔放だわ。父さんがいない今、誰かがこの家の大黒柱にならなきゃいけない。……あなたの出る幕なんてないのよ」
それは悲痛な覚悟の言葉だった。
昨日、遥さんから聞いた「黒澤」の名前を守ろうとする彼女の過去。それが今、目の前の彼女を縛り付けている。
俺はそれ以上何も言えず、静かに生徒会室を後にした。
***
その夜。
深夜一時を回った頃、ふと目が覚めてリビングへと降りた俺は、ドアの隙間から漏れる光に気づいた。
そこにいたのは、詩織さんだった。
ダイニングテーブルにノートパソコンを広げ、生徒会の書類の束と睨めっこをしている。
暗い部屋の中、ディスプレイの青白い明かりだけが彼女の顔を照らしていた。
だが、その手は動いていなかった。
彼女は眼鏡を外し、両手で顔を覆って、深いため息をついていた。
「……もう、無理……」
消え入りそうな呟き。
俺は音を立てないようにキッチンへ向かい、マグカップを二つ用意した。
カチャ。
ソーサーが触れる小さな音。
「……ッ!?」
詩織さんが弾かれたように顔を上げる。
慌てて眼鏡をかけ直し、いつもの「完璧な生徒会長」の仮面を被ろうとする。
「な、何ですか……? 盗み見なんて趣味が悪いですよ」
「すみません。喉が渇いて目が覚めたんです」
俺は彼女の動揺には気づかないフリをして、温めたココアを彼女の前に置いた。
「飲みますか?」
「……いりません。カフェインを摂らないと眠くなるので」
「ブラックコーヒーは胃に悪いですよ。今は脳みそに糖分をあげた方がいい」
俺は半ば強引にカップを置く。
詩織さんは不服そうだったが、立ち上る甘い香りに抗えず、渋々カップを手に取った。
一口飲む。彼女の張り詰めていた肩の力が、ふっと抜けるのが見えた。
「……美味しい」
「遥さんにも、よく作ったんです」
俺は、目の前の少女――無理をして大人ぶろうとしている彼女を真っ直ぐに見た。
「……詩織さん」
「何ですか」
「大黒柱とか、父親の代わりとか、そんなに急いでならなくていいんじゃないですか? 俺みたいな頼りないのがいる間くらい、サボればいい」
俺は自然と手を伸ばし――彼女の頭に、ポンと手を置いた。
遥さんを慰める時と同じように。まるで子供をあやすように。
「……頑張りすぎだよ」
その一言だけ。
敬語が抜けた、素の言葉だった。
その瞬間。
彼女の瞳が大きく見開かれた。
彼女は俺の手を振り払うこともせず、ただ呆然と俺を見つめている。その瞳が、徐々に潤んでいく。
(……あれ? 俺、今なんか生意気な口を……)
我に返り、慌てて手を引っ込めようとした時、彼女が震える声で呟いた。
「……お父、さん……」
「え?」
「……いえ、なんでもないです!」
詩織さんは急激に顔を赤くし、ガタッと椅子を引いて立ち上がった。
「こ、ココア、ご馳走様でした! もう寝ますから、戸締まり確認してくださいね!」
彼女は逃げるように、パタパタと自室へ走っていった。
残されたのは、飲みかけのココアと、まだ温かい空気だけ。
その時の俺はまだ知らなかった。
彼女が俺に重ねた影の正体と、その夜を境に、彼女の俺を見る目が「監視対象」から「別の何か」へと変わり始めたことを。
(続く)
最後までお読みいただきありがとうございます!
もし「面白そう!」と思っていただけましたら、
【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にタップして応援し、ブックマーク登録していただけるとランキングと作者のテンションが上がりますので是非お願いします!




