第40章:夏祭り、夕立と透ける想い
8月。
地元で開催される花火大会の日。
俺、雨宮 聖次は、会場近くの待ち合わせ場所で冷や汗を流していた。
「お待たせ〜! 聖次さ〜ん!」
人混みを割って現れたのは、三人の浴衣美人たちだった。
先頭は遥さん。淡いピンクの生地に桜の柄が入った浴衣。うなじをアップにし、年齢を感じさせない(むしろ若返っている)可憐な色気を振りまいている。
続いて詩織さん。深い紺色に金魚が泳ぐ、シックで涼しげなデザイン。凛とした立ち姿は「高嶺の花」そのもので、周囲の男たちの視線を独占している。
そして、瑠奈。鮮やかな向日葵柄の浴衣に、髪は少し高めの位置でまとめたアレンジ。元気さと儚さが同居したその姿は、まさに夏のアイドルだ。
「……どう? 似合う?」
瑠奈がクルリと回ってみせる。袖がふわりと舞う。
「……ああ。三人とも似合いすぎてて、俺の胃が痛いよ。ボディガード代請求したい」
「ふふ、頼りにしていますよ、お父さん」
詩織さんが楽しそうに笑う。
こうして、雨宮家(with 注目度MAX)の夏祭りが始まった。
***
屋台が並ぶ参道は、芋洗い状態の混雑だった。
俺は遥さんと詩織さん、そして瑠奈がはぐれないように、最後尾から目を光らせていた。
(……ん? なんだあの視線は)
ふと、雑踏の中から強烈な「殺気」のようなものを感じた。
俺が目を凝らすと、射的屋の影に、怪しい人影があった。
目深に被った帽子。マスク。そして、無駄に知的な銀縁眼鏡。
(……まさか、神崎先輩?)
間違いない。あのオーラは彼だ。
彼は手帳のようなものを確認し、ニヤリと笑って詩織さんの背後に忍び寄ろうとしていた。
『作戦フェーズ2:人混みに紛れて詩織さんを隔離(救出)する……!』
彼の心の声が聞こえてきそうだ。
だが、彼が詩織さんに手を伸ばそうとした、その瞬間。
「あ〜っ! 見て聖次さん! あそこのりんご飴、すっごく大きいの〜!」
テンションの上がった遥さんが、急に方向転換して腕を振り回した。
バシィッ!!
遥さんのハンドバッグの金具部分が、背後から忍び寄っていた神崎の顔面にクリーンヒットした。
「うべっ……!?」
「あら? いま何か当たったかしら?」
「……い、いえ! 気のせいです遥さん!」
俺は必死に笑いを堪えた。
神崎は鼻を押さえ、よろめきながら後ずさる。
「……く、くそっ……! 見えない結界でも張ってあるのか、雨宮ァァ……!」
彼は捨て台詞を残し、人波に飲まれて消えていった。
天然聖母の最強の防衛システムに、アーメン。
***
神崎の襲撃(自滅)もありつつ、俺たちは祭りを楽しんでいた。
だが、空の機嫌が変わったのは、花火の打ち上げ時刻が迫った頃だった。
ポツリ。
頬に冷たいものが当たった。
直後、遠くで雷鳴が轟き、バケツをひっくり返したような土砂降りの雨が降り出した。
「キャアアッ!?」
「雨!? ウソ、最悪!」
「みんな! 屋根のある場所に避難しましょう!」
周囲の客が一斉にパニックになり、走り出す。
その混乱の中で、俺たちは分断された。
「遥さん! 詩織!」
「聖次さん! 私たちは向こうの公民館に行きます!」
「瑠奈をお願い!」
人混みの波に押され、遥さんと詩織さんは流されていく。
俺は近くにいた瑠奈の手を、咄嗟に掴んだ。
「瑠奈! こっちだ!」
「聖次……ッ!」
俺は彼女の手を引き、人の流れとは逆方向――神社の境内の奥、森の方へと走った。
***
神社の社務所の軒下。
ここなら雨は凌げる。
俺たちは肩で息をしながら、そこへ滑り込んだ。
「……ハァ、ハァ……大丈夫か、瑠奈」
「……うん。……最悪。びしょ濡れじゃん」
瑠奈が自身の浴衣を見下ろして顔をしかめる。
薄手の浴衣は雨に濡れて肌に張り付き、色っぽく透けてしまっている。
「……ッ、見んなバカ!」
「見てない! ……ほら、これ使え」
俺は着ていた甚平の上着を脱ぎ、震える彼女の肩にかけてやった。
俺は中のTシャツ一枚になるが、彼女が風邪をひくよりマシだ。
雨音だけが響く、静寂の空間。
薄暗い軒下で、瑠奈が俺の上着をギュッと前で合わせる。
「……まただ」
「え?」
「……雨の日。アンタはいつも、こうやってアタシを守ってくれる」
彼女は濡れた前髪の間から、俺を見上げた。
その瞳は、どこか切なく、それでいて熱っぽい色をしていた。
「……あの時も、そうだった」
「……?」
「……なんでもない」
瑠奈は首を振り、神社の石段に腰を下ろした。
雨は小降りになり始めていたが、まだ止みそうにない。
「……ねえ、聖次」
「なんだ」
瑠奈が、少し震える声で切り出した。
「……キス、したことある?」
ドキン、と心臓が跳ねた。
その問いかけを聞いた瞬間、俺の脳裏に**「ある光景」**が鮮烈にフラッシュバックした。
――去年の冬。茜色に染まる放課後の教室。
――『これは、目を覚まさせるための悪あがき』。
――俺のネクタイを掴み、泣きそうな顔で迫ってきた彼女の唇。
あの時は、間一髪瑠奈の悪ふざけで見逃がしてくれた。
だが、今はどうだ?
ここは神社の裏手。雨音に閉ざされた密室のような空間。
詩織さんも、遥さんもいない。
誰も、助けに来ない。
(……マズイ)
俺の背中に冷や汗が流れる。
逃げようとする俺の思考を先読みするように、瑠奈がスッと立ち上がった。
「アタシはない。……ファーストキス、まだ取ってある」
彼女が一歩、近づく。
俺が後ずさろうとすると、背中が社務所の柱に当たった。
逃げ場はない。
「……ねえ。この前の約束、覚えてる?」
「や、約束……?」
「オープンキャンパスの時。……合格したら、ご褒美デートしてくれるってやつ」
彼女の手が伸びてくる。
去年の冬、ネクタイを掴んだその手が、今度は俺の**Tシャツの胸元**を力強く鷲掴みにした。
「……ッ!」
グイッ、と引かれる。
抵抗できない引力。顔が近い。
彼女の吐息と、雨の匂いが混ざり合う。
瑠奈の瞳は、あの冬の日と同じ――いや、あの時よりも深い「覚悟」を宿して揺れていた。
(……されるッ!)
俺が覚悟を決めて目を閉じかけた、その時だった。
「……その時。……もらってくれる?」
――え?
俺が目を開けると、瑠奈は唇を重ねる寸前で止まっていた。
ヒュルルル……ドンッ!!
タイミングを見計らったように、最初の一発目の花火が夜空に咲いた。
色とりどりの光が、瑠奈の真剣な瞳を一瞬だけ照らし出す。
「……返事は、春まで待ってあげる」
彼女は悪戯っぽく、けれどどこか泣きそうな顔で微笑んだ。
掴んでいた俺のTシャツを、ポンと離す。
「……覚悟しといてよね、パパ」
それは、義理の娘からの、あまりに大胆な「予約」だった。
全身の力が抜け、俺はその場にへたり込みそうになった。
打ち上がる花火の音に紛れて、俺の早鐘のような心臓の音が響いている。
雨上がりの神社で交わされたこの契約が、俺たち家族の運命を大きく揺るがすことになるのは、まだ少し先の話だ。
(続く)




