第32章:お花見と酔いどれ聖母 ~桜よりも満開の家族愛~
4月の日曜日。
雲ひとつない快晴。絶好のお花見日和だ。
俺たち雨宮家の一行は、朝早くから近所の大きな公園に来ていた。
「ん〜っ! いい天気! 空気も美味しいわね〜!」
先頭を歩くのは、春色のワンピースに身を包んだ遥さん。
日差しを浴びて回るその姿は、とても高校生の娘がいる母親には見えない。完全に恋する乙女だ。
「……聖次さん、荷物持ちますよ?」
「いえ、大丈夫ですよ。これくらい男の仕事ですから」
俺は両手に重箱とクーラーボックス、背中にレジャーシートというフル装備で歩いていた。
声をかけてくれたのは、詩織さんだ。
今日の彼女は、まさに「JD(女子大生)」そのものだった。
トレンチコートに、春らしいパステルカラーのニット。足元はヒールのあるパンプス。
そして何より――裸眼だ。
高校時代、彼女が「武装(生徒会モード)」として常に装着していた眼鏡はない。
両目ともに視力1.5の澄んだ瞳が、桜並木の光を反射してキラキラと輝いている。
メイクも少し覚えて、大人の女性の雰囲気を纏った彼女と歩いていると、すれ違う男性たちの視線が痛いほど突き刺さる。「なんだあの美女」「モデルか?」という声が聞こえるたびに、俺は父親として誇らしいような、心配なような、複雑な気分になる。
「……なんかさー。お姉ちゃんばっかズルくない?」
隣を歩く瑠奈が、唇を尖らせてボヤいた。
彼女は相変わらずのギャルファッション(ミニスカ)だが、今日はどこか機嫌が悪そうだ。
「何がズルいんだ?」
「だってさー! 大学生になったら私服だし、メイクもし放題だし。……アタシなんて、まだあと一年も制服なんだよ? 子供扱いじゃん」
「制服も似合ってるぞ。今の時間を楽しめばいい」
「……むぅ。聖次の分からず屋」
瑠奈は俺の腕にギュッと抱きつき、少し意地悪く笑った。
「……ま、制服の方が『萌える』って男もいるらしいけどね?」
「こら。父親に変な知識を植え付けるな」
***
桜の木の下、絶好のポイントを確保し、宴が始まった。
重箱を開けると、遥さんと俺で早起きして作った料理がずらりと並ぶ。
「わあ……! 凄いです。料亭みたい」
「へへん、半分は聖次さんが作ったんだけどね! あ、この卵焼きアタシが巻いたやつ!」
「さあさあ、まずは乾杯しましょ! 聖次さん、開けて開けて!」
遥さんが目を輝かせて缶ビールを差し出してくる。(イヤイヤ俺、高校生だって)
プシュッ! という軽快な音と共に、雨宮家のお花見がスタートした。
それから、三十分後。
「んふふ〜❤ 聖次さ〜ん、もう一本〜♪」
「……遥さん、そろそろペース落とした方がいいですよ。顔、真っ赤です」
予想通りというか、なんというか。
遥さんは空き缶の山を築き上げ、完全に**「出来上がって」**いた。
トロンとした瞳。上気した頬。色気が通常の三倍増しになっている「酔いどれ聖母」モードだ。
「だ〜ってぇ、お酒も桜も美味しいんだも〜ん。……でもぉ、一番美味しいのは聖次さんの唐揚げかな〜❤」
「そ、そうですか。それは良かったですけど……」
「ん〜っ! 冷たい! もっと構ってよぉ〜! ……はい、あ〜ん❤」
遥さんが箸で唐揚げを掴み、俺の口元に突き出してくる。
昼間の公園。周囲には家族連れや大学生グループがたくさんいる。
「いや、人が見てますから……! それに俺、まだ高校生ですし……」
「いいじゃな〜い! 夫婦だもん! 新婚さんだもん(予定)! ……ねえ、食べてくれないと泣いちゃう」
「うっ……い、いただきます」
潤んだ瞳の上目遣い(破壊力SS級)に勝てるはずもなく、俺は唐揚げを口にした。
美味しい。でも恥ずかしい。
「――ムカつく」
ドス黒いオーラが漂った。
瑠奈だ。彼女は割り箸をへし折らんばかりの勢いで握りしめ、酔っ払う母親を睨みつけている。
「ママばっかりズルイ! ベタベタしすぎ! ここ外だよ!?」
「あら〜? 瑠奈も聖次さんに『あ〜ん』してほしいの〜? でも残念、聖次さんは私の旦那様で〜す♪」
「キィーッ! 大人げない! ……聖次! アタシにも卵焼き食べさせて!」
「えっ、俺が?」
「ママにばっかデレデレしてないで、娘サービスもしなさいよ! ほら、口開けて待ってるから!」
瑠奈が顔を突き出し、口を「あーん」と開けて待機する。
右には酔っ払い聖母。左には嫉妬する愛娘。
詩織さんはと言えば、「ふふ、モテモテですね聖次さん」と、我関せずといった様子で優雅にお茶を飲んでいる。助けてほしい。
「……ちょっと、飲み物買ってきます」
俺はこの甘すぎる修羅場から一時退避するため、立ち上がった。
心臓が持たない。自販機で冷たい水でも買って、頭を冷やそう。
人混みを縫って、公園の入り口付近にある自販機へ向かう。
ふぅ、と一息ついた、その時だった。
「――待ちたまえッ!!」
歌舞伎の見得を切るような、無駄によく通る大声が背中に浴びせられた。
この、芝居がかった独特の口調。
そして、俺に対して一方的なライバル心を燃やしている人間など、世界に一人しかいない。
「……まさか」
恐る恐る振り返ると、そこには予想通りの人物が立っていた。
春風になびく茶髪。無駄に整った顔立ち。そして知的な銀縁眼鏡。
元・生徒会副会長にして、詩織さんを崇拝する「敗北の貴公子」。
神崎 蓮だ。
「……やはり貴様か、雨宮!!」
彼は俺を指差し、世界の終わりを見たかのような顔で叫んだ。
「神聖なる詩織さんの休息を嗅ぎつけたのか!? いや、その抜け駆けのような態度は……まさか**『デート』**のつもりか!?」
「……は?」
「誤魔化しても無駄だぞ! 卒業式のあの抱擁……僕は忘れていない! ええい、どこまで詩織さんを独り占めする気だ、この軟派男めッ!!」
やれやれ。
どうやら今年のお花見は、胃薬が必要になりそうだ。
(続く)




