第29章:新学年とJDデビュー、そしてクラス替え
4月。
新しい季節は、俺――雨宮 聖次の心臓に悪いイベントと共に幕を開けた。
「……あ、おはようございます。聖次さん」
朝のキッチン。
味噌汁の味見をしていた俺は、起きてきた長女の姿を見て、持っていたお玉を取り落としそうになった。
そこにいたのは、いつもの「鉄壁の生徒会長」ではなかった。
「……し、詩織さん?」
「はい。……変、ですか?」
彼女は不安そうに首を傾げる。
パジャマ代わりの大きめのTシャツ。そして何より、あのトレードマークだった**「眼鏡」がない。**
高校時代、彼女が生徒会長としての威厳を保つため、そして表情を隠すために愛用していたブルーライトカット眼鏡。
それを外した彼女の瞳は、吸い込まれそうなほど澄んでいて、大きく見えた。
元々視力は良い(両目とも1.5だと聞いたことがある)のだから、これが本来の彼女の姿なのだ。
薄くメイクをした素顔は、幼さと大人っぽさが同居していて……正直、破壊力が凄まじい。
「い、いや! 変じゃないです! むしろ……その、新鮮でいいと思います」
「……ふふ。よかった」
詩織さんは花が咲いたように笑うと、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。
「今日から大学のオリエンテーションなので。……少し、イメチェンしてみようかなって」
「そ、そうですよね。JDデビューですもんね」
「はい。眼鏡という『鎧』は、一旦卒業です」
少し悪戯っぽくウインクする彼女に、俺がドギマギしていると、背後から不機嫌そうな足音が近づいてきた。
「……朝から何デレデレしてんのよ、パパ」
金髪を爆発させた寝起きの瑠奈だ。
彼女は裸眼の詩織さんを一瞥すると、「ふん」と鼻を鳴らした。
「……ケッ。ただの眼鏡なしじゃん。もともと目ぇいいくせに、ぶりっ子?」
「あら瑠奈。……嫉妬? 見苦しいわよ」
「はぁ!? してないし! 聖次、朝ごはんハンバーグにしてくんないと学校行かない!」
朝からバチバチ火花を散らす姉妹。
やれやれ、新年度も我が家は平和とは程遠いようだ。
***
そして、登校時間。
俺と瑠奈は、満開の桜並木の下を歩いていた。
詩織さんはオフィスカジュアルに身を包み、一足先に大学へと向かった。家での無防備さが嘘のような「イイ女」っぷりだった
が、それはまた別の話。
問題は、ここからだ。
「よぉよぉ〜? 朝から熱いねぇ、お二人さん?」
校門の前。
ねっとりとした、鼓膜に絡みつくような声が降ってきた。
俺が最も警戒すべき男――小野田 達也だ。
隣には、ギャル仲間の相原 美咲もニヤニヤしながら立っている。
「……朝から濃いな、達也」
「つれないなぁ、ダーリン。春休み中、愛しの瑠奈ちゃんとどう過ごしたか、詳しく聞かせてもらおうと思って待ってたんだぜぇ?」
達也が俺の肩に腕を回してくる。
相変わらず距離感がバグっている。
「ウケる〜。てかさー、あんたたちもう高3じゃん? 18歳じゃん?」
美咲がスマホをいじりながら、爆弾を投下した。
「もう親の同意ナシで結婚できちゃう年齢なんだけど〜。いつすんの? 今日?」
「ぶっ!!」
俺はむせた。
瑠奈を見ると、彼女は満更でもなさそうに髪をいじっている。
「……ま、聖次次第かな〜? アタシはいつハンコ押してもいいけど?」
「おい瑠奈! 冗談でもそういう……」
「ヒューッ! 言ったねぇ! 聞いたか美咲ちゃ〜ん! これはもう**『既成事実』**ってやつじゃないかぁ?」
達也がここぞとばかりに美咲に同意を求める。
周囲の生徒たちが「え、マジ?」「結婚?」「あの二人ガチだったのか」とざわめき始める。
違う。俺が結婚するのは遥さんだ! 瑠奈とは親子になるんだ!
だが、そんな真実を言えるはずもない。
「……お前らなぁ……」
「さあさあ、運命のクラス替えだぜぇ? もし同じクラスになったら、その時は……分かってるよなぁ?」
達也の不吉な予言に、俺の胃がキリキリと痛む。
下駄箱を抜け、昇降口に貼り出された「新3年生クラス名簿」の前へ。
俺は祈るような気持ちで、自分の名前を探した。
雨宮 聖次……雨宮 聖次……あった。3年A組。
そして、そのすぐ近くに。
相原 美咲
小野田 達也
橘 瑠奈
……見事なまでの、役満だった。
「…………嘘だろ。呪われてる……」
「やったぁー!! 聖次といっしょー!!」
瑠奈が歓声を上げて俺の腕に抱きつく。
その力は強く、逃がさないという意志を感じさせた。
美咲が「うぇーい!」とハイタッチを求めてくる。
そして達也が、ぬらりと俺の耳元で囁いた。
「……腐れ縁だなぁ、ダーリン? あと一年、たっぷり**『観察』**させてもらうからなぁ……くっくっく」
達也の不吉な予言に、俺の胃がキリキリと痛む。
だが、その時だった。
俺の腕にしがみついていた瑠奈が、達也たちには聞こえないような、甘く、低い声で囁いた。
「……ザマーミロ」
「……え?」
俺がギョッとして見下ろすと、彼女は俺の制服の袖を、爪が食い込むほど強く握りしめていた。
彼女は周囲には満面の笑みを振りまきながら、唇だけで言葉を紡ぐ。
「……神様も味方してんのよ。……これで、学校でもずっと一緒」
彼女の瞳が、至近距離で妖しく揺らぐ。
「……今年は、誰にも邪魔させないから」
その言葉の対象は、目の前の達也たちだけではない気がした。
家で待つ母も、姉も。
すべてのライバルを排除して、この一年で決着をつける。そんな執念めいた響きがあった。
「……美咲にも、達也にも。……ママにも、お姉ちゃんにも。……絶対、アタシだけのものにしてやるんだから」
最後の一言は、吐息のように耳の奥に染み込んだ。
「……覚悟しててね? パパ」
俺の視界が暗くなった。
家では「焦る娘」の猛攻。
学校では「勘違い悪友」の包囲網。
そして、逃げ場のない「ゼロ距離」でのクラス分け。
俺の平穏な父親ライフは、新学年初日にして完全に詰んでいた。
(続く)




